89話 勇者の計算外その13
じめじめした薄暗い地下牢に、僕はいた。
まだ癒着させてそれほど経過していない、右肩がじくじく痛む。
だが、それ以上に僕を苦しめるのはトールに敗北したことだ。
魔剣を用い、鎧を身につけ、魔王であるリサの支援まで受けていた僕が、あっさりと、あっけなく、地に伏したんだ。
ありえない。決して認められない。
僕とトールとの間に越えられない壁があるなんて。
「トール、おまえのせいだ、全部おまえのせい」
「五月蠅いぞ! 静かにしろ!」
隣の部屋にいるジジイが怒鳴っている。
お前こそ黙れ。
僕は考え事で忙しいんだ。殺すぞ。
じゃらりと手足にはめられた手錠と鎖が鳴る。
動きを制限するのは、遺物である拘束具。
これらは身体能力を大きく低下させる効果も有している。
防御力だけ変わらず、力はレベル10相当だ。
鉄格子や壁を破壊して逃げ出すことも、看守の隙を見て鍵を奪い取ることもできない。
最悪で最低だ。この手錠さえなければ、すぐにでもこんな場所から逃げ出すというのに。
全部トールのせいだ。トールが僕を邪魔したから。
あいつさえいなければ。
カツカツカツ。ジャラ。ジャラ。
何度も聞いた音が聞こえる。
どうやら看守のお出ましのようだ。
しかも、今日は足音が複数聞こえる。
「この者がセインです」
「ふむ、これが国王を殺し、多くの兵を斬り殺した裏切り者か。思っていたよりも顔はいいな」
「いかがいたしますか」
「泥で顔を汚せ。民衆が気分良く石を投げられるようにするのだ」
「はっ」
兵士が牢の中へ入り、僕の顔に泥を塗りつける。
やめろ、僕の顔になんてものを塗るんだ。
僕は勇者だぞ。神に選ばれし勇者だ。
「こいつ、抵抗するな!」
「うぐっ!」
兵士に殴られる。
痛みはないが、屈辱的だ。
剣があれば喉を一突きにしてやるのに。
強引に立たされ、牢から出される。
「君にはしっかり役に立ってもらう。我々を本気で怒らせた代償は払ってもらわねばならないからな」
「僕にこんなことをしてただで済むと思うなよ。僕は神に選ばれたんだ。勇者とは、正義そのもの。神が下す裁きの代行者だ。僕を害すると言う事は、神に逆らうと同義。すなわち僕は、神にあらゆることを許され守られる、超越的存在なんだ」
「……何を言っているんだこの者は?」
「さぁ? 裏切り者の考えることは分かりません」
やはり愚者には理解できないか。
僕の価値は。
だが、今に驚くがいい。
勇者である僕を害することが、どれほど愚かな行為なのかを知るがいいさ。
「やめ、あげっ! ぼくはゆうしゃ、あぎゃ! 止めろと言っている! 殺すぞお前ら!!」
四方八方から民によって石を投げつけられる。
罵声が飛び僕を嘲笑った。
何度も魔眼の力で目に入る女共を取り込もうとしたが、スキルを封じられているせいか効果が及んだ気配はない。
野次馬の中には見覚えのある男共の姿もあった。
僕に女を寝取られた奴らだ。
殺意に満ちた目で投石する。
だが、当たっても痛みはない。
レベル100の僕に効くはずないのだ。
なのに、なぜこいつらはこんなにも必死に石を投げようとするのか。
寝取られた恨み?
馬鹿な。女なんていくらでもいる、さっさと次を作ればいいじゃないか。
そうか、女を理由にして僕に嫉妬しているんだな。
恵まれた僕が羨ましいんだろ。
「見ていろ! いずれ神の罰が下るぞ! 僕は勇者だ! 魔王を倒すことを運命づけられた、選ばれし――石を投げるな!」
くそっ、腹立たしい。
僕を誰だと思っている。
セイン様だぞ。世界を手に入れた暁には、お前ら全員死刑にしてやる。
「そいつの舌を切り落とせ!」
「そーだそーだ!」
「舌だけじゃなくて、ぶら下げている物も切り落とすべきよ!」
「そーだそーだ!!」
飛び出す発言に血の気が引く。
こいつら正気か?
僕の舌やアレを切り落とすだと??
馬に乗った貴族が声に応えた。
「みなの怒りは理解できる。では今夜にも彼のフランクフルトソーセージを切り落とそう。おっと、サイズを間違えた。小さめのウィンナーソーセージだったな、失敬」
貴族のジョークに、民衆は腹を抱えてゲラゲラ笑う。
羞恥心で顔が熱くなり体が震えた。
よくも気にしていることを。
許さない、絶対に許さないからな。
「しかし、みなのもの。舌を切り落とすのは面白みに欠けるのではないか。裏切り者の許しを懇願する言葉が聞きたいはずだ」
民衆は賛同したらしく貴族に喝采を送った。
◇
刑罰が始まって一週間が経過。
僕は憔悴しきっていた。
連日、十時間以上の拷問。
休んでいる間もひたすら悪夢にうなされる。
振り返るのは己の行為について。
どうして失敗したのだろうか。
もし次があるならもっと上手くやる。
そんなことばかりが頭に浮かんだ。
カツカツカツ。ジャラ。ジャラ。
聞き慣れた音にビクッと体が震える。
「今日で終わりだ。今までご苦労だった」
「おわり……ははっ、はははははっ! やったぞ! ようやく僕の価値を理解したんだな!」
看守の言葉に僕は笑い転げる。
ほらみろ。僕は神に選ばれし勇者なんだ。
ここを出たら、全ての責任をとらせてやるからな。
それからトールを殺す。仲間も犯して殺す。
ざまぁみろ、お前らには僕は殺せないんだよ。
神に愛されているのはトールじゃない、僕なんだ。
僕こそが全てを奪うことを許されている。
牢を出され、僕は笑顔で通路を行く。
これから先にあるだろう、未来に胸をときめかせる。
ここを出たらまずはエリクサーで失ったアレを取り戻さないと。それから、豪華な食事を飽きるまで堪能して、スキル封じを解く方法を探すんだ。ああ、トールを始末する為にレベルもあげないとね。魔剣と鎧を取り戻して、高レベルの魔物を殺しまくるんだ。そうすれば300くらいすぐに手が届く。
わぁぁあああああっ!
建物の外に出た途端、僕は愕然とした。
そこにあったのは――処刑人と処刑台。
千を越す見物人が周囲に押し寄せ、僕が登場したことに喜びの声をあげている。
「止まるな。進め」
「そんな、話が違うじゃないか」
「ここで跪け」
台に首を乗せられる。
目の前には頭を受け止める為の籠が置いてあった。
僕の前であの貴族がしゃがみ込む。
「すまないな勇者様。ギロチンを使いたかったんだが、どうもレベル100を超える相手には途中で刃が止まるようなんだ。だから古くさい処刑方法を行うことにした」
「待て、いや、待ってください。お願いします。許してください」
「はははっ、君は何を言っているんだ。もう許せるラインはとっくに超えているんだぞ」
「何でもします。だから殺さないでください」
僕は涙を流しながら懇願する。
今を逃せばもう助からない。
本能で察していた。
「では彼らに謝罪をしたまえ。期待を裏切り、信頼を裏切り、祖国を裏切り、ヒューマンを裏切ったことへの謝罪を」
民衆の怒りに満ちた顔がはっきりと目に入る。
彼らは殺せとコールしていた。
こんな奴らに頭を下げなければならないのかと怒りが沸々と湧く。
だが、ここで下手を打てば命はない。
非常に屈辱的だが受け入れるしか助かる道はなかった。
「僕は道を間違った。勇者であるにもかかわらず、祖国を裏切りヒューマンを裏切った。だけど、真実は違う。僕は魔族と交渉し、君達の住みよい世界をなんとか作ろうと模索していた。信じて欲しい、僕は悪人じゃない。善人だ」
民衆が静まりかえる。
いける、所詮は馬鹿な奴らの集まりだ。
丸め込むのは容易。
「詭弁だ! 俺は妻を奪われたぞ!」
「俺も彼女を寝取られた!」
「王様を殺したことはどうなるんだよ!」
「そいつに冒険者だった親友を殺されたぞ!」
「セイン、どうして私を捨てたの!?」
次々に声があがる。
冷や汗が額から垂れた。
やめろ、こんなところでそんな発言をするんじゃない。
僕が殺されるだろうが。ふざけるなよ。
再び民衆の殺せコールが始まる。
「違う、あいつらの言っていることは全て嘘だ。僕を陥れようとしているんだ」
「そうなのか。そうは見えないが」
「頼む。助けてくれ」
「ずいぶんと偉そうだな」
「お願いします、助けてください」
貴族は微笑む。
気持ちが通じた、と希望を見た。
「お前の殺した騎士の中に私の弟がいた。だからこそ、私はこの役目を自ら買って出たのだ」
「ひぃ」
「貴様の記録は歴史から抹消される。セイン、お前は最初からいなかったのだ」
「い、やだ、ぼくは死にたくない、ちゃんと謝るからころさないで」
「やれ」
貴族の声と共に斧が振り下ろされた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
セイン視点はこれで終了です。
まだまだ続きますので、引き続きよろしくお願いいたします。
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