66話 勇者の計算外その10
ばさっ、ばさっ。
僕とリサが乗ったワイバーンがゆっくりと旋回しながら降下する。
耳元では風の音が喧しいほどに響いていた。
ずさぁ。ようやく地面に降り立ち、僕らは飛び降りる。
目の前には漆黒の城がそびえ立っている。
今いる場所は魔王の暮らす王城の庭園。
乗ってきた黒いワイバーンは丸くなって眠り始めた。
「魔王の城と言うからどれほど禍々しいのかと期待したんだけど、案外普通だね」
「それはそうでしょ。誰が好き好んで荒れた場所で過ごしたがるの。良いことを教えてあげる、強い獣は整った環境でこそ育つものなのよ。痩せ細った虎は肥えた狼に負けることを覚えておきなさい」
なるほどね、それもそうだ。
魔族だって住みにくい環境に暮らしたくはないか。
「ここに来るまでに話した通り、僕がお前の主でいいんだよな」
「もちろん。貴方は私のお仕えする方だわ。魔王を越える世界の覇者になるべき勇者様」
「なら、もっとへりくだって喋れ。お前の態度に気分を害している」
「ああっ! ごめんなさい! セインをないがしろにしているわけじゃないの、つい魔王としての威厳を演出するくせが出てしまって!」
リサは僕に抱きつき謝罪をする。
押しつけられる胸とすぐ近くから覗ける谷間に興奮する。
さらに彼女は、白く長い足で僕の足を絡めた。
魔王である彼女は恐ろしいまでに美しく妖艶で、極度に僕を刺激する。
「貴方に全てを与えてあげるから」
「期待しているよリサ」
一時はトールが現れ激しく動揺した。
漫遊だったことも驚いたが、まさかあのお荷物のトールが英雄になっていたなんて。
どうやってあれだけの力を手に入れたのかは気になるところだが、どうせ僕には敵いやしない。
こちらにはレベル800の魔王がいるのだから。
それに彼女が言うには、魔族側にあるアイテムで僕の力を格段に上げることも可能らしい。
地道に鍛えていたのが馬鹿らしくなる話だ。
「こちらに来て」
リサに案内されるがまま、城内へと踏み入る。
「お帰りなさいませ魔王様」
「どう? セイン」
エントランスで迎えてくれたのは、使用人の女達だ。
そのどれもが僕好みで美しい。
魔族の女を一度、抱いてみたかったんだよ。
「すべて自由にしていいわよ。ここは貴方のお城だもの」
「くく、くくく、最高だよ。他に僕を喜ばせるものはないのかい」
「付いてきて」
階段を上がり謁見の間へと足を踏み入れる。
黒を基調とした金で装飾された玉座、まさに僕にふさわしい支配者の椅子だ。
リサに促され腰を下ろす。
はぁぁ、気持ちが良い。
これが王の座か。
かたかたかた。
……ん?
腰にある聖剣が震え始める。
次の瞬間、剣は光の粒子となって消え去ってしまった。
「聖剣が!?」
「やっぱりそうなったのね。でも心配無用よ。ここには聖剣に勝るとも劣らない魔剣が存在しているもの」
「だったらいいか」
確かに聖剣を失ったのは痛手だが、だからといって困りはしない。
代わりの物があるならそれを使えば良いんだ。
それにさ、前々から聖剣より魔剣の方に興味があったんだよ。
あの禍々しいデザイン、僕の好みなんだよなぁ。
「デネブ」
「はっ」
部屋に黒髪の美女がやってくる。
デネブと言えば六将軍の一人だったはず。
ぴっちりとした黒い服装に、腕には魔装らしき手甲が付けられている。
そのスタイルを僕はなめるように見てやった。
デネブは顔を伏せつつ、睨み付けるような目で僕を見る。
うんうん、その強気な態度嫌いじゃないよ。
その方が組み伏せた時に気分が良い。
「セインの為に魔剣を用意しなさい」
「ただちに」
退室したデネブはすぐに一振りの剣を持ってきた。
漆黒のゾッとするような禍々しいデザインの片手剣。
見ているだけでも寒気がしそうだ。
「聖剣は台座から抜かないと使えないけど、魔剣は違うわ。誰でも鞘から抜けば所有者になれる」
「もし所有者が死ねばどうなる」
「ここへ戻ってくるわ。その点は聖剣と同じね」
玉座から立ち上がり、僕は魔剣を掴んだ。
柄を握り鞘から抜こうとして、すぐにそれを止める。
聖剣には試練があった。魔剣にもあると考えるのは普通だ。
僕の考えていることを察したリサが説明をする。
「魔剣には一つだけ試練があるわ。それは剣を鞘から抜くこと。ただし、死よりも恐ろしい苦痛がそれを阻止しようとするわ」
「抜けば良いんだな。だったら簡単だ」
かきっ、剣を僅かに抜く。
直後にすさまじい痛みが全身に走った。
「あがぁぁあああっ!? ぐぁぁあああああっ!!」
がしゃん。僕は剣を落とし、両膝を屈した。
全身に噴き出す嫌な汗。
まるで溶岩に体を突っ込んだような、いや、裸で極寒に晒されたような、とにかく名状しがたい魂をヤスリでごりごり削られるような痛み。
果たして人に耐えられるものなのか。
そう思わされる地獄だ。
「言い忘れてたけど、剣は引き出すほどに痛みが増すわよ。一気に引き抜いても良いけど、それは止めた方が良いわね。たぶん精神が壊れるわ」
「くっ、少し時間をくれ」
「どうぞ。好きなだけ楽しんでね」
与えられた部屋に僕は籠もった。
◇
「ぎゃぁぁああああああっ!!」
がしゃん。
また剣を落とす。
これで何度目だろうか。
もう魔剣は諦めて別の手段で強くなるべきじゃないのか。
だが、リサは魔剣の所有者でない勇者には誰も従わないと言った。
この暗黒領域では力こそが全て、そして、その象徴が魔剣だ。
魔剣を抜けない者は魔族には認められない。
ここで僕の存在を知らしめるには、まずはこの魔剣を手に入れなければならない。
だけど、信じられないほど痛くて苦しいんだ。
今すぐなにもかも諦めて逃げ出したいくらいに辛い。
「やめないぞ……僕は勇者なんだ、世界を手に入れ、全てを手に入れる勇者。トール、お前に誰を敵に回したのか教えてやるよ」
剣を掴み、僕は一気に引き抜く。
「ぎゃぁぁあああああああああっ!!」
すさまじい痛みが駆け抜け一瞬、視界が真っ白になった。
「おめでとうセイン」
気絶していたのだろう、仰向けに倒れ、視界に満面の笑みのリサが映っていた、
右手には剣の感触。
僕は引き抜いたのだ。
「想像以上の成果よ。すぐにギブアップすると思ってた」
「馬鹿にするな……」
「そうじゃないわ。実はセインに渡したのは魔剣の中でも最強クラスだったの。長い歴史でも抜けたのは九人くらいかな。つまりセインは十人目」
僕は体を起こし、しばしぼんやりする。
最強クラスの魔剣?
なんだそれは?
「魔剣は聖剣と違って階級があるのよ。六将軍が所有しているのは、上から二番目。まぁまぁ強い魔剣ね」
「僕を騙したのか」
「そうじゃないのよ。ほら、先入観があると抜けるものも抜けなくなるでしょ。セインのことを想って、あえて黙ってたのよ。辛かったんだから」
リサは僕に抱きついた。
……ふん、まぁいいさ。
僕にとって結果が全てだ。
最強クラスの魔剣を手に入れられたなら他はどうだっていい。
「これで僕はトールを越えたのか」
「うーん、どうなのかしら。私、鑑定スキル持ってないからレベルは分からないのよね。あの強さなら暗黒領域にやってくるだろうし、その時に調べればいいでしょ」
「……トールが来る? ここに?」
「貴方の穴埋めを漫遊旅団でしたらそうなるでしょうね。ふふ」
脳裏に僕を見下ろすトールの顔がよぎる。
お荷物だった役立たずのくせに、僕をあんな目で見やがって。
許せない。どっちが上なのかすぐにはっきりさせてやる。
トール、お前は僕が殺す。
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