37話 戦士の苦悩


 俺はじっと待ち続けた。

 ネイが目覚める時を。


 カエデやフラウは並んで座ったまま船をこいでいる。

 パン太も目を閉じて宙を漂っていた。


「ここは……」

「!?」


 ネイが目を覚ました。


 すぐに駆け寄り声をかける。


「痛いところはないか!? 意識ははっきりしてるか!?」

「……トール?」

「ああ、俺だ。トールだ」


 彼女はぼんやりとした目で周りを確認した。


 それからゆっくり上体を起こす。


「そっか、アタシ捨てられたんだっけ」

「セインにか?」

「そう、あのデカいのに負けそうだったから、アタシが足止めにされたんだよ。そのまま死ねとか言われてさ」


 握りしめた拳が震えた。

 怒りが殺意へと変った瞬間だ。


 俺の表情を見たネイは困惑していた。


「なんでそんな顔するんだよ。仲間なら捨て石になるくらい当然だろ。そりゃあセインに捨てられたのはショックだったけど、生きてるならまた合流できるじゃん」

「お前はあいつに洗脳されている」

「…………そっか」


 意外な反応だった。

 てっきり事実を否定されると思っていた。


 彼女は苦笑してから悲しそうな色を浮かべる。


 もしかすると彼女の中でも引っかかっていたのだろうか。


 いや、そうあって当然だ。

 洗脳状態にあったとしても過去の記憶が消えるわけではない。

 必ず違和感はあるはずなんだ。


 俺は椅子を引き寄せ腰を下ろす。


「アタシさ、セインのことが好きなんだ。でもこの感情はどこかおかしくて、思考もどこかおかしくて、おかしいことだらけなんだ。以前は……好きな人を好きでいられたはずなのにさ」


 ぽたぽた、彼女の目から滴がこぼれる。

 滴が落ちた右手には今も例の指輪がはめられていた。


 彼女の姿を見ていると血管が切れそうな気がした。


 あのいつも明るく活発なネイを、あいつは泣かせている。


 洗脳を施したのがセインなのはほぼ確実、親友だった男の正体がクソ野郎だったことは知っていたが、ここまでの人間のクズだったとは。


 そして、俺も吐き気がするほどの鈍感なクソ野郎だ。


 近くにいながら彼女が抱えているものにも気が付かなかったなんて。


「洗脳を解く方法がある」


 懐からとある小瓶を取り出す。

 これは遺跡で見つけた最上級解呪薬。


 医者によれば状態異常の洗脳は一種の呪いだそうだ。


 幸運なことに俺はすでに彼女を救う手段を手に入れていた。


 ただし、医者にはこうも言われた。


『思考と感情を取り戻せば必ず反動がある。洗脳中の行為が本来の意思と大きく乖離していた場合、精神にのしかかる負担は大きい。場合によっては崩壊の恐れもある』


 薬を飲ませるのはリスクが高い、それは分かっている。

 けれどどう考えたってこのままにもできない。


 だから本人に選んでもらう事にした。


「これを飲めば洗脳は解ける。その代わり精神的苦痛がお前を苦しめるだろう。どうするかは任せる。もしこのままでいいなら返してくれ」

「……少し考えさせてくれよ」


 小瓶を受け取ったネイは横になり俺に背を向けた。

 布団の中で小さく小さく丸くなる。


「隣の部屋にいるからいつでも声をかけてくれ」


 俺は部屋を出た。



 ◇



「ぎゃぁぁあああああああああっ!!」


 突然の叫び声に目を覚ます。

 今の声は間違いなくネイのものだ。


 部屋を飛び出し隣の部屋へ。


「大丈夫か!?」

「ひぃ、ひぎぃいいい! あぐ、うぎぃ!」


 ベッドの上で悶え苦しむネイがいた。


 両手で顔を押さえ背中が弓なりに反る。

 それからベッドを転げ落ち、うずくまるように身を縮めた。


「ふぎ、うぎぃいいいい! えひぃ!」


 異様な光景、彼女は床に爪を立ててがりがりと引っ掻く。

 体は僅かに震えていた。


 最初は悲鳴だと思っていたが違った、これは彼女の嗚咽なのだ。

 

 床には空になった小瓶が転がっている。


「ネイさん、頑張ってください。私がいますから」


 カエデが彼女を包み込み癒やしの波動を使用する。

 精神的苦痛を緩和する力もあるようだ。


 ネイの声が落ち着きを取り戻し始める。


「トール、アタシをみないで……こんな汚れたアタシを……」

「お前は汚れてなんかいない。俺の中ではずっとネイはネイのままだ」

「…………ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。アタシ、酷いこと言った、酷いことした、自分の心もトールも裏切って、最低だ、こんなの最低すぎる」

「セインに洗脳されていたんだ、お前の意思じゃない。とにかく今は休め。カエデ、フラウ、席を外すから後は頼む」


 部屋を出ようとすると、金属を壁にぶつけたような音が響いた。


 たぶん、セインの指輪を外して投げつけたのだろう。


 それから大きな泣き声が聞こえる。

 今は俺が近くにいるのは良くないように思えた。


 宿を出ると適当な場所で腰を下ろす。


「人は強いな。あんなことがあったのに」


 街は少しずつだが復興を開始していた。


 魔族に破壊された建物を大勢の人がトンカチで直している。

 落ち込んだ表情の者もいるが、なんとか笑顔になろうと努めていた。


 ネイにも彼らのような強さを期待したい。


 もし無理だというのなら一生面倒を見る覚悟はある。


 ネイは幼なじみで男友達のような奴だ。

 すごく良い奴なんだよ。

 数え切れないくらい世話になって、お荷物だった俺があのパーティーにいられたのはあいつのおかげでもある。


 何度も俺はあいつの明るさに救われたんだ。


「戦士のおにいちゃん!」

「あ、ああ、元気か」


 ここ最近で見知った子供が集まってくる。


 街では俺は魔族を倒した英雄扱いだ。

 いや、一応ではあるが本物の英雄だったな。


 おかげで宿も無料で借りられるし、身の回りに必要なものもいえばすぐに用意してもらえる。


 街が完全に復興した暁には石像が建てられるそうだ。

 もちろん断ったんだが住人の熱意がすごくて受け入れるしかなかった。


「またあれみせてよ」

「しょうがないな」


 ナイフを抜いて子供から木材を受け取る。

 イメージするのは以前倒したレッドドラゴンだ。


 速く正確に木材を削り二、三秒で木像を作った。


 子供達がわぁぁぁっと盛り上がる。


 そこから木材を大量に押しつけられ、あれも作れこれも作れと要求がエスカレートする。

 一番人気はロー助とカエデ、二番はパン太とフラウだ。

 俺はどうやら子供にはあまり人気がないようだな。残念。


 子供達を解散させ俺は作業中の男達に声をかけた。


「手伝えることはないか」

「あんたは街を救った英雄だ。そんな方に働いてもらうのは申し訳ない」

「気にするな。何かしてないと気が滅入ってしまいそうでな」

「……それじゃあ森から丸太を運んでもらえないか」

「お安い御用だ」


 俺はこの日、ひたすらに復興作業を手伝った。



 ◇



 三日が経過した頃、ネイはなんとか俺とまともに会話ができるくらいになっていた。ただし、記憶を掘り起こすようなことを口に出すと、すぐに謝ってひどく落ち込んでしまう。


 それでもカエデのスキルのおかげで、少しずつだが快方に向かっているようだった。


「トールは優しいよ」

「何だよ急に」


 夕食の席でそう言ったネイは疲れた様子だった。

 ここ数日でずいぶんとやつれた気がする。


「こんなアタシを助けようとしてさ。でもその優しさが辛いんだ」

「はぁぁ、言っとくけどな、それは俺も同じだったんだぞ?」

「え?」

「お荷物だった俺を、お前は見放さずに残留させてくれただろ。その期待や優しさは俺にとって重かったんだ」


 彼女はきょとんとした顔をする。


 なんだよその表情は。

 変なことを言ってる気分になるだろ。


「ぶふっ、そっか、そうだったな。トールは必死で頑張ってたもんな。ある意味ではアタシと同じか」

「そうだよ、だから乗り越えてくれ」


 ことん、ネイはフォークを置いた。


「アタシさ、村に戻ろうかと思ってるんだ」

「冒険者は引退するのか」

「うん。もう心が折れたよ。冒険とか、ときめきとか、人生とかに疲れたんだ。父さんや母さんのいる田舎で静かに暮らしたい」


 人生に疲れた――その言葉を聞いて俺は嫌な予感を感じた。

 まさか自ら命を絶つなんてことをしないよな。


 ようやくセインの呪縛から解放したのに終わりなんてやめてくれ。


「せめて最後に最高の思い出だけもらえないか」


 俺の手に手を重ねる。


 その瞬間、確信した。

 こいつ村に戻ると言ってどこかで死ぬつもりだ。


「来い!」

「え!? うわっ!?」


 強引に手を掴んで宿を出る。


 そのまま街の奴隷商の元へと突き出した。


「この女に主従契約を刻んでくれ」

「ふぁ!?」


 村には帰してやる。

 だが、俺の奴隷としてだ。


 自ら命を断つなんてことさせないからな。


 お前はこれから一生、俺の命令を守りながら生きるんだ。


 それがお前の罰だ。

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