38話 戦士、別れを惜しむ
主従契約は奴隷でなくとも、双方に了解があれば刻むことができる。
優先度の高い命令は主人が撤回しない限り、自力での変更はできない……と奴隷商は伝えた。
「一応決まりで洗脳状態じゃないか確認させてもらうよ」
「分かった」
奴隷商である中年男性は、ネイの頭から液体を遠慮なくぶっかけた。
聞くところによれば、洗脳状態を確認する薬があるそうだ。
体にかけると反応して薄くピンクに光るとかなんとか。
ネイの体は光らなかった。
「希にいるんだよ、洗脳してから契約させようとする輩が。ウチはあこぎな商売だが、その分決まりはきっちり守る。おかしな契約なんてすれば、同罪でしょっ引かれちまうからね」
「その、洗脳というのは簡単にできる物なのか」
「状態異常が出るくらい短期間で洗脳する方法は限られてる。一つ目は禁忌指定されている催眠魔法、二つ目は洗脳薬でこっちも禁忌指定されている、三つ目はスキルの誘惑の魔眼だね」
ネイが「くしゅん」とくしゃみをするので、羽織っていた外套をかけてやる。
悪いがもう少しだけそのままでいてもらいたい。
彼から聞く話は非常に重要だ。
「魔法と薬はどこの国も取り締まりが厳しいから基本的に使えない。残るは誘惑の魔眼だが、こっちは発現するのは極めて希でね、複数の条件はあるがクリアすると、簡単に異性を支配することができる」
「もし所持していたらどうなる」
「そりゃあ間違いなく牢獄か処刑だろうね。昔、スキルを持っていた奴が好き放題したことがあって、それ以来所持者は漏れなく重罪人扱いになってる」
……総合的に判断するとセインが持っているのはスキルだ。
もし魔法や薬なら俺も同じように洗脳されていただろう。
第一、そのようなものを使用している、所持しているところを見たことがない。
もう一点、あいつが異様に喜んでいた時期があった。
勇者のジョブを発現する以前だ。
あれは誘惑の魔眼を発現して浮かれていたのだろう。
ただ、あくまでも全ては憶測にすぎない。
俺はあいつのステータスを見たことがあるが、そのようなスキルはなかったように思う。
「ネイにかけた薬をいくつか売ってくれないか」
「そりゃあ構わないが。安くないよ」
五本ほど薬を購入し懐へいれた。
これでリサとソアラが洗脳状態か確認できる。
カエデは鑑定があるが、俺には相手のステータスをのぞき見ることはできない。
「なぁ、本当に主従契約を刻むのか」
「いやなのか。本気で断るなら無理強いはしないが……命を絶たないと約束できるなら話はなかったことにする」
「約束は、できないかな。たぶんアタシこのままだと終わりそうなんだ」
「だったら!」
「違うんだ。こんな嬉しいことがあっていいのかなって思っただけなんだよ。アタシ、トールのこと裏切ったのに」
はぁ? なに言ってんだこいつ?
頭にダメージが残ってるのか?
ネイは外套のフードを深くかぶって身を小さくする。
「こんなのさ、ただのご褒美だよ」
「医者に頭も見てもらうか」
「おま、相変わらず鈍感だな!」
どすっ、ネイの拳が腹部に当たる。
よく分からんが契約を拒絶しているわけではないらしい。
再確認として奴隷商に質問する。
「契約で精神的影響はあるのか」
「ないですな」
「契約を結ぶと奴隷扱いになることも」
「ないですな。基本、首輪をしていない者は奴隷として扱わない決まりがあります。逆に言えば、契約を結んでいなくとも首輪があればそれは奴隷なんですよ」
うーむ、思わぬ形でカエデが、何の影響も受けていないことを知ってしまった。
あの好意はそのままの彼女の気持ちのようだ。
少し顔が合わせづらくなった気がする。
「では始めます」
こうして――ネイの主従契約は無事に終わった。
◇
さらに数日が経過した。
街の大部分は復興し、店はどこも賑わいを見せている。
時々『漫遊旅団お墨付き』などと書かれた看板を見かけ、恥ずかしさに目を背けたりしていた。
まだ俺の石像は建っていないが、すでに建設予定地でちゃくちゃくと作業は進んでいる。
完成予想では、俺を中心に左右にカエデとフラウが並ぶのだとか。
漫遊旅団の石像が街のシンボルになった日には、一度で良いから見に来て欲しいとお願いされている。
はぁぁ、目立つのはいやなのだが。仕方がない。
「ここまででいいよ」
リュックを背負ったネイが振り返る。
まだ表情には暗さがあるが、洗脳を解いたばかりの頃と比べると幾分明るくなった。
あえてどのようなことをされたのかは聞いていない。
それは彼女にとって一番残酷な拷問だからだ。
もしかしたら死を許すべきなのかもしれない。
けど、共に育った仲間をみすみす死なせる勇気は俺にはなかった。
どうあってでもいい、生きていて欲しい。
彼女への最初で最後になるだろう命令は『生きろ』だ。
「村まで送っていくって言ってるだろ」
「いいって。一人の方が気が楽だし」
「もう一度聞くが、俺達の仲間にならないか。お前のつらさは分からないが、一緒にいれば救われることだってあるだろ」
「よしてくれよ。もう村に帰るって決めたんだからさ、それにアタシはあんたの隣に立つ資格はないよ」
ネイはカエデを見つめる。
二人は数秒見つめ合い互いにお辞儀した。
「こいつを頼むよ。がさつで鈍感だけど優しい奴なんだ」
「知ってます」
「それとこいつおっぱい大好きだから」
「おい」
余計なことを言うな。
俺の可愛いカエデに悪影響だろ。
……まぁ、否定はしないが。
「じゃあせめてアルマンまで送らせてくれ。そこからなら知り合いの運送会社に、村まで安全に送ってもらえる」
「それくらいなら……いいか」
このままさようなら、はさすがにどうかと思う。
回復薬で傷は癒えたとは言え、まだまだ無理はできない。
それに、もう少し話をしたかった。
「よーやくフラウの出番ね!」
「?」
頭の中に疑問符が浮かぶ。
ここからフラウが役立つことなんかあったか。
「フェアリー族の鱗粉があるじゃない。空を飛んでいけばアルマンまで一日で戻れるわよ」
「ああっ! そういえば!」
「主様……忘れてたのね」
そっかそっか、空を飛べば移動も速いのか。
転移の魔法陣も使うことを考えたんだが、あれは面倒なフェアリーの里に繋がってて通りたくなかったんだ。
しかし、空を飛ぶのかぁ……楽しみだな。
フラウが俺達の真上でくるりと回転する。
ふわっ。足が浮き上がった。
「おおおおおおっ! 浮いてる!」
「どう、フラウは自慢の奴隷でしょ」
「お前は最高だ! 本当に仲間にできて良かったよ!」
「ふ、ふん、すごく顔が熱いわ」
すすす、なぜかカエデが俺に近づいて身を寄せる。
「ご主人様を飛ばすことはできませんが、いつどんな時でもどのような要求にも応え、最高に癒やしてみせます!」
「お、おう……」
なんだ、急にどうした。
なぜいきなり有能さをアピールしてくる。
どすっ、いきなりネイに腹パンされる。
「いちゃいちゃすんな! アルマンまで送ってくれるんだろ!」
「そうだったな。よし、行くぞ」
俺を先頭に後方からカエデ、ネイが追いかけ、フラウはパン太に乗って最後尾から付いてくる。
妖精の粉があればパン太も高い位置で飛行できるようだ。
◇
「今度こそお別れだな」
「ああ」
ネイの背後では、ジョナサンの幌馬車が出発を待っていた。
ここから数日かけて彼女は生まれ育った村へと帰還する。
戻って何をするのかはまだ決めていないようだが、とりあえず両親の仕事を手伝うらしい。
ネイの家は夫婦仲も良いし兄弟も多く、彼女を可愛がっているから、きっと温かく迎えてくれるだろう。
彼女は近づいて俺の服を握った。
見上げる目には涙が溜められている。
「ソアラを助けてあげてくれ。アタシはあいつの興味が薄かったおかげで、まだ扱いがマシだったけど、ソアラはかなりひどい状態だ」
「リサは?」
「…………」
ネイは視線を逸らして黙り込む。
それで察した、ソアラはまだ救える位置にいるがリサはもう……。
「トールはまだリサを好きなのか」
「分からない。以前ははっきりとそう言えたが、この頃自分の気持ちがどこにあるのか見えなくなっている。たぶん、あの時、彼女を諦めたからなんだろうな」
「その方がいい。きっとトールは……酷く傷つくから」
彼女は「それと」と言葉を続ける。
「セインを殺してくれ。たぶん、できるのはトール達だけだ」
「言われなくともそのつもりだ。元親友としてけじめだけはきっちりつける」
「頼む。向こうの動きは伝えたとおりだから」
ネイは俺に抱きついて顔を埋める。
しばらく鼻を啜る音が聞こえ、唐突に走り出し馬車に飛び乗る。
「またなトール!」
「ああ! また会おう!」
互いに見えなくなるまで手を振り続けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます