ブタの釣り方

 ブタの釣り方を知っているだろうか。

彼らは人間がとても住めないであろう氷点下の世界で暮らしている。我々人類が太陽を浴びながら地表で暮らしていたのはいつの話だったか。地球が温暖化と言われていたなんて嘘のようだった。世界は全て氷と化していた。冷凍庫が冷えすぎて霜だらけになっているとはわけが違う。冷凍庫はコンセントを抜けば温度は元に戻るかもしれないが、この手段はとれない。地球を静止させるわけにはいかないからだ。地上には温度が存在する隙間がなく、あらゆる生物は活動を静止せざる負えなくなる。生死は言うまでもない。唯一、ブタだけが過酷な現環境を生き抜けていた。あの家畜であったブタが、だ。少なくとも当時のことを語ることができるものは地表で氷漬けになっているか、地殻近く潜って死ぬまで寒さに震えて土にかえったことだろう。人類が地表から地底へと寒さから逃げていくのとは裏腹に、人間がこの厳しい環境においても安定した食料を得るために品種改良を繰り返した結果、ブタだけが異常なこの状況を生き抜ける進化した種となってしまった。地上を歩くのはブタ、泥を啜るのは人間となった。


 氷が割れる音がした。

「きた」

 私がそう言うと狩りに出てきたハンターたちに緊張がはしった。何もかも凍ってしまっている中をブタの群れがトーン、トーンと耳鳴りにも似た高い音を鼻で鳴らし、無重力下にでもいるみたいに高く跳ねながら移動していた。下で暮らす者たちにとってたんぱく源は常に不足している。寒さによって他の肉となりえるものは絶滅した。人の手が入ったブタだけが生きている。しかし、ブタは寒さにこそ強くなったものの、暑いところには弱かった。暑いといっても人間が暮らしていける程度の熱ではあるが、それでもブタたちにとっては火に飛び込むようなものなのだろう。地下では数秒と生きていけなかった。しかも地下で死んだり、解体をしようとすると内臓や肉が異常な速度で腐り落ちてしまって使い物にならなかった。以前のように家畜としては向いていなかった。地上で捕まえて殺し、解体をする必要があった。だから命の危険があると分かっていても外に狩りに出なければいけなかった。特殊な耐寒スーツを着ているハンターは地上で五分程度であれば何事もなく動けた。しかし、それ以上時間が過ぎると耐寒スーツの性能が一気に落ちてしまい死に至る。わずかばかりの時間を使ってハンターは狩りを行う必要があった。

「罠には気付かれてないか?」

 今回の狩りの中で一番の熟練者のハンターである男性が私に言った。

「ええ。まだ気付かれていないわ」

「そうか。気をつけろよ。あいつらは警戒心が強い。それに熱探査にも優れているから違和感があると俺たちの位置にも感づかれる」

「分かっています。だから私が見ているのでしょ」

 狩りメンバーで唯一の女性だった私が一番地表に近い配置にいた。他の者は少し離れたところで地下よりに待機している。これには理由があった。比較的、男性よりも女性が体温低い傾向があって、熱に敏感なブタに警戒されにくいということでこういう配置になった。弓や銃などは寒気でまともに使用できない。この過酷な状況で私たちの狩りは罠に限られた。ブタは冷気を餌とする。特に不純物があまり入っていない氷なんかはブタにとってはご褒美で、丸のみするほどである。ゆえに罠は実にシンプルだった。餌となる氷に紐をつけてブタが丸のみしたらみんなで引っ張る、それだけだった。私たちがいるところまで引っ張りこんでしまえば地上ほどの寒気はないので気絶してしまう。そして地下ほど暖かくもないので腐ることもない。ただ引っ張るタイミングを間違えればブタに簡単に逃げられてしまう。適切なタイミングを計るにはより近くで確認する必要があった。

「なあ、嬢ちゃん。お前さんはブタを捕まえたらどうする?」

 熟練ハンターが私に言った。こんなときに急にどうしたんだと思ったが、

「そうですね、とりあえずお腹いっぱい肉を食べたいですね」

 と、普通に答えた。すると熟練ハンターは笑って言った。

「そうか。いや、すまねえ。くだらない質問しちまった。実はこの狩りでハンターを引退しようと思っていてな。最後に先輩としてアドバイスでもと思ったんだが、どうやらお前さんには必要なさそうだな」

「どうしてですか?」

「無事にブタを捕まえて帰ってくる気があるからさ」

「なるほど」

「お前さんは腹いっぱいになるために、俺は最後を飾るために。大物を捕まえてみせようぜ」

「はい」

 それにしても寒い。ああ、くそったれのブタめ。はやく、帰ってココアでも飲みたいわ。

 悪態をつきながらも罠と繋がっている紐を強く握りしめた。地上に近づくほど寒さは厳しくなり、耐寒スーツを着ているとはいえ、寒さを完全に防ぐものではなかった。あくまでも生命維持に必要な最低限な温度を保つことができるものだった。狩りが早く終わるにこしたことはないのだ。



 一匹のブタが氷に近づいていく。どうやら餌に気付いたようだった。

 こいつは大物だ。

 通常のブタよりも一回りほど大きかった。こいつを仕留めることができればしばらくはたんぱく源には困ることはないだろう。私は緊張と食欲で唾をのんだ。

 トーン、トーン、トーン、トーン。

執念深いようで何度も氷の周りをうろうろしながら匂いを嗅いでいるようだった。先ほどより近くで鼻を鳴らす音を聞いているので頭が痛くなりそうだった。ようやく確認が終わったのか、氷を口で咥えた。

 まだだ。

 飴玉をなめるように氷を口の中で転がして味わっていた。こちらとしては焦らされているようで苛立った。

 はやくしやがれ、ブタやろう。

十分に味わったのか、口の中で転がすのを止めると大きく長く一回だけ鼻を鳴らした。

トーーーーン。

 食事前の挨拶をしているようだ、と私はふと思った。

そしてブタは氷を――のみ込んだ。

「ひっぱれえええええい!」

 私の言葉でハンターが一斉に紐を引っ張り始めた。

 やっぱり、こいつ大物だ!

 最前で紐引っ張る者として、確かな感触でそれが分かった。通常のブタであれば最初の引きである程度は引っ張ってこれるものだが、今回のブタはあまり動いていなかった。それどころか逆にこちらが引っ張られつつあった。

「嬢ちゃん、大丈夫かぁ⁉」

 紐の引っ張り合いに夢中で、先ほどの熟練ハンターが近くに来ていたことに気付かなかった。

「こいつ、やばいですね」

「ああ。こんな引きのやつは初めてだ。とりあえず前代われ」

「はい!」

 私たちは紐を引っ張りつつも前後を入れ替わった――その時だった。

 トーン。

 ブタが鼻を鳴らす音がした。すると私たちの紐が思い切りブタに引っ張られていった。私は思わず紐から手を離すと前のめりに転んでしまった。その際、頭を揺らしてしまって強い眩暈に陥った。その場でうずくまって動けなかった。しばらくして眩暈が収まると周囲を確認した。紐は完全にブタによって引っ張れていて、全部地上に出てしまっていた。そして気付く。私の前にいた熟練ハンターがいないことに。すぐに地上を確認する。ブタが咥えている紐にぶら下がっている人影があった。握った紐ごと凍り付いてしまった熟練ハンターの姿であった。

 トーン、トーン、トーン。

 高い音が頭に響いて、また眩暈がしそうだった。

 ブタが鼻を鳴らした。そして氷になった彼を、丸のみにしたのだった。

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