タイムスリップ殺人事件
二〇一九年、十二月十九日。過去と現在と未来が一堂に会することになった。タイムスリップから招待を受けたからだ。
最初に待ち合わせの部屋に現れたのは現在であった。
「おや、私が一番乗りですか」
現在は用意されていた椅子に座ると本を読みだした。しばらく読み続けていき、キリのいいところで栞を挟んで本を閉じた。するといつの間にか過去が隣に座って現在と同じ本を読んでいた。
「過去、君はいつも突然私の前に現れるね」
「しょうがねえだろ。俺は過去なんだから。それよりこいつは面白いのかい?」
過去はつまらなさそうに本をぺらぺらと捲っている。現在は肩をすくめて、
「君が今やっている通りさ。私もつまらないと思いながら読んでいたものさ」
「俺はこんな面白くない本をしばらく読み続けないといけねえのか」
「しょうがないじゃないか。現在である私が読んで、そして君は過去なんだから」
「過去だからって同じことをしないといけないことに対しての感情がないとは限らねえんだぜ」
「それは私だって同じさ」
二人がそんな風なことを言っていると机の下で物音がした。一体何事かと現在と過去がのぞき込むと誰かがうつぶせになって寝ているようだった。寝ていた人物は目を覚ましたようでゆっくりと体を起こして机の下から出てきた。未来であった。
「いやあ、よく寝た」
「よくもまあ、こんなところで寝ていられますね」
「おまえいつからここで寝てたんだ?」
「最初からだよ。僕はずっと前からここにいたんだ」
「……未来、また遅刻したからってそういうことにしましたね」
「あっはっは」
「笑ってごまかさない。まったく、君の遅刻癖はいつになったら治るんだい。そのたびに遅刻しなかった時間軸を選びとるようなことをして」
「始まったよ、現在のお説教」
「お説教じゃありません。常識を述べているだけです。私はあなた達に干渉はしません。なぜなら――」
「『現在とは観測者だから』ってか? 聞き飽きたぜ、その台詞」
「だったら何回も言わせないでください」
「ふん。それにしてもてっきり俺は誰かが死んでいるのかと思ったぜ」
「同感です。私たちは一目では区別つかないのだから気をつけていただきたい」
「いやー、ごめんごめん。次から僕も気をつけるよ」
元々時間という概念である彼らには個性というものがない。お互いに自分がそうであるという自覚以外に持ちえる情報はないに等しいのだ。それすらも実際は持ち合わせていないのかもしれない。外見も全身黒のタイツ姿で顔も白い面で隠れている。一見すると違いがないのは当たり前なのだが、しかし唯一見分けることができる部分があった。面である。そこにはでかでかと『過去』『現在』『未来』と書かれていた。なんとも間抜けである。
しかし、それだけが自分と他人を分ける唯一の手段でもあった。
しばらくタイムスリップを待っていた三人だったが一向にタイムスリップが来る様子がなかった。何をやっているのだろうかと言っていると次第に意識が朦朧として気付くと彼らは意識を失っていた。意識を同時に取り戻した三人は驚愕した。そこにはタイムスリップが背中から包丁を刺され、大量の血を流して死んでいたからである。現在は言った。
「これは殺人だ」
過去は言った。
「これは殺人だった」
未来は言った。
「これは殺人かもしれない」
この中の誰かが犯人であるという確信が三人にはあったのだった。タイムスリップという一個体を認識できるのが彼らしかいないからである。時折、猫も観測できるらしいがここでは些末なことである。認識と干渉できるかは別物である。時間という種である彼らしかタイムスリップには干渉できない。神というものが存在すれば勿論、犯人としての有力候補にもなろうが彼もまた認識外の存在。それは現在過去未来であろうが観測は不可能なのである。だからここではそういったイレギュラーはないのである。
現在は言った。
「どうしてタイムスリップは殺されなければならなかったのか。彼は私たち時間軸の中では特殊な立場だった。確かにトラブルメーカーなところがあったが、何も殺されるほどのことではない。時には修正力があるのだから自然と元通りになる」
「はっ、さすが優等生な現在様は言うことが違う。確かな今を生きていらっしゃる。まあ、理由なんてものは簡単さ。犯人にとって邪魔だからだろう」
過去は吐き捨てるように言った。
「そういうことなら犯人は過去、君ではないのかい? 君はタイムスリップのことを嫌っていた。今までの自分の在り方を変えられてしまうから」
「ああ? そんなこというなら現在、お前だって似たようなものだろうが」
「確かに私もタイムスリップには多々迷惑をかけられてきましたが、しかしだからと言って殺意を覚えるほどではありません」
「ならお前はどうなんだよ、未来。お前だって自分が選択できる未来を勝手に変えることができるタイムスリップは目障りだったんじゃねえのか」
「とんでもない。僕はタイムスリップのことは大好きだよ。例えるならテレビのチャンネルをいくら変えてもつまらない番組しかやっていないところに生放送が入ってくるような新鮮さを、タイムスリップは僕に与えてくれるからね」
殺害の動機からは犯人の特定は難しく、現在もすぐに次の話題に移った。
「考え方を変えましょう。なぜ私たちは意識を失ってしまったのか」
「僕たちは時間だからね。人間とは違って睡眠という生物的な行動はない。概念的な僕たちにはバイオリズムなどは存在しない。具合が悪くなるなんてこと起きようがない」
「だから不思議ではあるな、確かに」
未来の言葉に過去は頷く。
「そうですね。ただ唯一考えられることがあります。時間軸の移動、その改変に伴うことであれば私たちも世界に関与ができません。時間であっても、いや時間だからこそというべきですか」
「つまり、あの瞬間に未来、現在、過去におけるすべての事象の改変が行われたと?」
「ええ。そう考えれば私たちの意識がなくなるのも頷けます。改変中の世界には私たちは私たちではいられなくなる。世界の再編です」
「なんだかよく分かんねえな。もっと簡単に説明しろよ」
机に両足を乗せて話を聞いていた過去が言った。
「……まあ、簡単に説明するとパソコンのアップデート更新と同じですね。新しい状態にするために一旦、再起動をかけないといけないでしょう、あれと同じです」
「なるほど。最初からそう言えよ」
同じ時間のくせになぜ理解できないのか、と呆れたように現在は呟く。
「しかし、その理屈から言えば僕たちの中に犯人はいないんじゃないの? 全員寝ていたって話なんだから。誰も動きようがない」
「外部犯とかどうよ」
「それはありえません。私たちが一堂に会すると決めて用意したこの部屋は、特別な空間で四人以外に出入りすることは不可能です。VIP専用というやつです」
「誰かが犯人とか物騒だなあ。例えば事故とかは? 意識を失う直前にたまたま包丁を持っていた未来が倒れる際に刺さったとか」
「それはない。包丁は背中に刺されていて死体はうつ伏せだ。仮にたまたま未来が包丁を持っていて、それが背中に刺さってからうつ伏せ状態になったとしよう。身体の側面に血がべったりついていないとおかしいが、あの死体の両側側面には血はついていない。包丁が刺さった箇所からしか血が出ていない」
「じゃあやっぱり無理じゃん。俺たちの中には犯人はいねえのか?」
「そうですね。私、あなた、未来には犯行は不可能だ」
「だったら――」
「だけど一人だけいるじゃないですか。時間軸が変わっても、いや時間軸が変わることで動きを最大限に発揮する者が」
話を聞いていた二人が黙ってしまった。それでも気にせず現在は話を続けた。
「この犯行が可能だったのはタイムスリップだけです」
「いやいやいや」
過去は首と手を勢いよく横に振る。
「さっき自分で言ったじゃん。事故はないって」
「そうですね。だから犯人はタイムスリップで間違いない」
「あのですね。見えてます、あれ。死体。絶賛、死んでるの。なう死体なの」
死体を指さしながら、過去が言った。動揺のあまり口調が変になっていた。
「確かにあれは死んでますね。だけどタイムスリップは生きている」
「……訳が分からない。もっと分かりやすいように言えよ!」
「簡単な話ですよ。あの死体がタイムスリップではないということです」
「はあ?」
ますます意味が分からないという表情の過去だった。現在は振り返って、後ろの人物に言った。
「ね、そうでしょう? 『未来』」
「……」
現在に名指しされた『未来』は何も言わなかった。
「一体どういうこった?」
現在と『未来』を見比べながら過去は言った。
「私たちは初歩的な見逃しをしていたんですよ。死体の検分を碌にしていなかった」
「だからどうしたってんだ。ありゃ、誰が見ても死んでいるだろ」
「そう。だけど誰が死んだかを確認していなかった。いかにも死んでいるという状況に動転して、その事実に目をそらすようにして確認を怠っていたわけですよ」
「いやだから、そんなものは見ればすぐに――」
「どこを?」
「えっ?」
「だからどこを見て、誰が死んでいるのかを判断したんですか」
「そりゃあ、面を見て」
「そうです。私たちが私たちを互いに判断するのは面。正確に言えば面に書かれている名前だけ。ならそこに細工がしてあったとしたら?」
「あっ……」
過去は口を押えた。現在が死体に近づくと面の端を指で引っかき始めた。
「本当に迂闊でした。こんな子供だましな手、気付いてもよさそうなものだったのに」
引っかき始めた部分が少し剥がれた。剥がれたところを指で摘まむと一気に引き剥がすことができた。この死体の面には白いテープが張ってあったのだ。テープには『タイムスリップ』の文字。テープの下に現れた面に書かれていたのは『未来』だった。
「私たちが死んだと勘違いしていたこの死体はタイムスリップではなく、未来だったわけです」
「じゃあこいつは」
過去は自分の横にいる人物を見た。
『未来』と書かれた面をかぶっている何者かは笑みを浮かべていた。
「やれやれ」
そして自ら面に手をかけて『未来』と表記しているシールを剥がしていった。すると面にはタイムスリップの文字が書かれていた。
「お前はタイムスリップ!」
「未来を殺したのは君だ」
――ピンポン。
どうしてこんなことを、現在がそう続けようとしたその時、インターホンが鳴った。現在、過去、タイムスリップは入り口を見た。突然の来訪者。入口の扉が開いていく。なんと部屋に入ってきたのは死んだはずの未来であった。
「あ、ごめん。また遅刻しちゃった」
未来はいつもの能天気な口調で言った。状況をよく理解できていない現在と過去。タイムスリップは安心したように息をついた。未来が部屋の中を見渡すと、自分の死体を見つけて、
「ああ!」
と大きな声をあげた。
「まったく、もう。死んだ未来の世界線の僕、まだ放置したままだったの、信じられないよ。普通、すぐさま丁重に葬ってくれるのが友達ってもんでしょうが」
「生きている世界線の未来、すまないねえ。どっきりが終わったら片付けようと思っていたんだ」
タイムスリップは笑いながら謝った。
「どっきり?」
「いやー、現在と過去を驚かせてみようかなぁと思って未来を殺したんだよね。二人が死体を見たときの顔っていったら笑いを抑えるのが大変だったよ。本当だったら未来も驚かしたかったんだけどね。ほら、こんな風に死んでもすぐに生きている別の未来を掴んで戻ってきちゃうからサプライズにならないじゃない。まあ、でも殺した瞬間に驚いてくれたからそれはそれでサプライズになったのかな。痛みにもがく表情は最高だったよ」
「なーんだ、そんなことだったのか」
「まったく、私たちは悪趣味な悪戯にまた付き合わされたわけですね」
「相変わらずタイムリップは愉快だなぁ」
こうしてタイムスリップ殺人事件の幕は閉じ、時は変わらず流れていくのだった。
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