作家シボウ

「またか」

 喫茶店の端っこの席で、持ち込んだパソコンを前に私は頭を抱えていた。文章入力ソフトを起動させているのだが、何一つ入力をしていない。いや、正しく言えば書いてはいるのだが、すぐに消してしまう。ため息をついてコーヒーに口をつける。店に入ってから注文したコーヒーだったのだが、すっかり冷めて酸味が増している。このなんとも言えない苦味は今の私の状況を表しているかのようだった。

 私は作家志望である。そう言って早二十四年になろうとしていた。そして、この度五十六回目の一次選考に落ちてしまった。最初の頃は悔しさと若さゆえにまあまだ時間はあるしという緩みがあってがむしゃらには程遠く、自分が面白い思うものを書いているだけだった。途中で、これではいけないとこれまでの受賞した作家の傾向や、作品の流行、選考員の好みなどを調べ、賞に合わせて自分の作品を変えるようになった。そしてさらに時が経つとそもそも一次選考で落とされているのだから小説として不出来なのだと知るころには何がいけないのか考えることも放棄していた。だからといってここまでやってきた執筆作業を辞めるというのはできなかった。これまで掛けてきた創作にかけてきた時間や労力が無駄になってしまうと思ったからだ。お前は一体今まで何をやっていたのだと、後悔が手となって無理やりにでも振り向かせようとしてくるのだ。そうなってしまっては二度と何もできなくなるのではないだろうか。もはや私は恐怖から逃れるためだけに小説を書いている。

 ――そもそも作家を目指す者が多すぎる。

 一次選考落選の三十八回目だったろうか、応募者の人数を見て私は思った。パソコンやスマートフォンなどが普及していることで文章を書くハードルは下がっている。今日からあなたも小説家さ、なんて言われてしまえば調子のいい奴は書いてしまう。漢字が分からなくても変換でポンと出てくるし、分からない言葉などはインターネットを使えばあらかた出てくるだろう。文章を構築する上で躓く要素が少なく、センスがあるものはなんかいい感じに書けてしまう。もっぱら私もパソコンで執筆をしているのだから小説を書くということに関していえばはるかに身近だと言える。だからこそ、うんざりもしていた。元々人が多いのは好きではないのだ。そこで私は思いついた。

 作家志望者を殺せばいいのだ。

 母数が多いから悪いのだ。そこを減らすことができれば私の作品だって選考者の目にとまる確率が上がるというもの。すばらしいアイデアだ。どうせくだらない奴らに決まっている。作家になりたいと強く願うばかりで行動が伴っていない。作家欲で己の自尊心を肥え太らせて、いざというときには脂肪がつきすぎて動けなくなっているに違いない。それに私がデビューすることになれば生き残った有望な芽はライバルと成りえるのだ。早いうちに摘むに越したことはない。一番最初に見つけた奴、まずはこの喫茶店にいる小説家志望者から殺すことにしよう。喫茶店などは小説を執筆する環境として選ばれることは比較的多いだろう。一人ぐらいはいてもおかしくない。まずは周囲を観察することから始めようではないか。

 スーツを着た男性がいる。彼も私と同じでパソコンを持ち込んでいた。左手には林檎型の時計をしていて、時間を気にしているようだった。もしや彼も作家志望なのではないだろうか。締め切りが近く、修羅場になっている最中なのではないだろうか。だとしたら私の邪魔をする一人なのだから消えてもらわなくてはいけない。確認をしなくてはいけない。私はトイレに立つ振りをして彼のパソコンを横目で覗いた。すると、彼が開いていたのは会社の資料のようだった。ざっくりと言えば『残業が多く、失業率が高いのでどうにかしろ。ただし業務量を減らす、人員を増やす、残業代を増やすなどは除く』という内容だった。よく見るとスーツの男は目の隈がひどかった。どうやら彼は作家志望ではなかったようだ。お仕事、お疲れ様です。

 次に目をつけたのがスマートフォンを持っている女性だった。女子大生くらいだろうか。一見すると誰かと待ち合わせをしているようだが、しかし最近はスマートフォンで執筆する者も増えていると聞く。彼女がそうである可能性は十分にあった。スマートフォンをいじる指は止まる気配がなく、また速かった。仮に彼女が作家志望だとすればかなりの速筆である。これは脅威である。速ければいいというものではないが、しかし速さは分かりやすい武器でもある。一刻も始末しなければいけない。どうやって作家志望であるか確認しようかと悩んでいると彼女の友人がやってきたようだった。彼女たちの会話に聞き耳を立てていると私が作家志望ではないかと危惧した女性は彼氏と喧嘩中だったらしく、メッセージアプリで別の友人に愚痴を聞いてもらっていたらしい。彼女も違ったようだ。彼氏と仲直りできるといいね。

 コーヒーだけで粘るのにも限度があった。そろそろ他の注文をしないと店員に怪しまれてしまう。しかし、お金がないのでそれができなかった。この辺りが潮時だろう。早くターゲットを見つけないといけない。私は焦る気持ちを抑えて、周囲をうかがった。

 ターゲットは見つかった。中学生の男の子である。彼はノートに何かを書いているようだった。今までの中で一番危険である。このぐらいの男の子が物語を書くことにお熱になってしまう年頃である。木の棒を持てば勇者、傘を持てば主人公、バットを持てばヒーロー。想像力だけで生きていると言っても過言ではない。私もそうだった。一見、宿題をしているようにカモフラージュしているようだが私の目をごまかすことはできない。宿題をまともにする学生がいるわけないのだ。少なくとも私はそうだった。私は席を立ちあがり、男の子の席に向かった。相手が子供なので大胆にノートを覗くことにしたのだ。すると、ノートに描いてあったのは漫画だった。私が見ていることに気付き、男の子が顔を上げた。私はごまかすように、

「うまいね」

 と言った。男の子は恥ずかしそうに顔を伏せながら、

「ありがとうございます」

 とお礼を言って、ノートを鞄にしまって店を出て行ってしまった。男の子は漫画家志望だったようだ。頑張れ、少年。


 どうやら今回作家志望はいなかったようだ。肩透かしを食らったようで残念ではあるが、こればかりは続けることに意味がある。店を出ようとレジに行くと若い女性の店員さんが会計対応してくれた。小銭を取り出すのに手間取っていると店員さんが言った。

「小説書いていらっしゃるんですか?」

「えっ」

「あっ、ごめんなさい。さっきお客様が席を立たれたときにちょうど私、店内を掃除していたんですよ。そのときパソコンがそのままになっていて、ちらっと見てしまったんですよ」

「はあ」

「小説家さんですか?」

「いえ、小説家志望です」

「そうなんですね。執筆、頑張ってくださいね。またお店にもいらっしゃってください。ありがとうございました」

 会計が終わり私は店を出た。陽が眩しくて思わず手で遮る。店内のゆったりとした雰囲気とは違い、忙しない雑踏でめまいがしそうだった。私は今まで書いてきた小説のデータが全て入っているUSBを取り出した。辺りを見回し、すぐ近くにあったゴミ箱に捨てると雑踏の中に入っていった。最初に殺すべき作家志望者は見つかったのだ。

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