ショート・ショット・ショート
Rain坊
才能の殺し方
「凡人諸君、私は君らを救う者だ」
動画はこの言葉から始まった。
『才能の殺し方』と題されたこの動画を見つけたのは、お昼を適当にカップラーメンで済ませて暇だなあと思いながらベッドで横になり、特に見たいものもないのにスマホで動画投稿サイトを眺めていたときだった。概要欄には特に何も書かれておらず、サムネイルもシンプルにタイトル名を載せているだけだった。コメント欄は誰も何も書いていなかった。まるで動画の詳細が分からなかったのだが、逆にそこが気になった。動画を再生してみると痩せこけた斑模様のシャツを着た男が足を組みながら椅子に座っていた。目の下の隈もひどく、無精ひげを生やしていた。着ているシャツはくたびれていて、よく見ると柄のように見えていたのは汚れやシミだった。これでは不審者丸出しである。
「これから私が紹介するのはとても簡単な方法で、誰でも、いつでも、今すぐにでも実践が可能なことで才能を殺すことができます」
いかにも胡散臭い男が胡散臭いことを言っているだけの動画なのだけれど、しかしこれが妙に気になった。私はそこで一度動画の再生を止めて台所にある冷蔵庫から缶ビールを取り出すと半分くらいまで一気に飲んだ。喉の奥にさっと炭酸が駆け抜けていき、体の奥底から熱が出てくる。高揚感にも似た熱だ。そうして私は動画の続きを再生した。
「さてこれは私の持論ではあるのだけれど、才能というものは減算式だと思っている。『十歳で神童、十五歳で才子、二十歳過ぎればただの人』とか、『神童も大人になればただの人』なんて言葉が生れてきたのも私が掲げる才能減算式論に基づくからだ。いわゆる天才とは持つべきものではなく、持つべき才を限りなく減らさないでいた者だと私は考える。つまるところ才能なんてものは誰もが持ち合わせている凡庸で取るに足らないものであるわけだ」
一体この男は何を言っているのだろうか。言っている言葉は分かっても、意味が理解できなかった。缶ビールの残りを一気に飲み干して次の缶を開ける。
「もっと分かりやすく言ってみると例えば産まれてきた瞬間は誰もがあらゆる分野において百パーセントの能力を持っている。そういう意味ではこの時は誰もが天才であると言える。しかし残念だがその状態は長くは続かない。経験や時間経過によって次第に少なくなっていく。過激に言うと退化や劣化すると言い換えてもいい。それだけは誰にも平等に訪れる。そいった面からみると意外と神様というのはお茶目なやつなのかもしれない」
男は手で口元を覆いながら笑う。何が面白いことなのかわからなかった。おつまみのさけるチーズを食べて、赤ワインで流し込む。
「こんなことを言うと世間一般は怒るかもしれない。私だってこの論にたどり着いた際には我ながらあってはならないことだと憤怒したものさ。しかし、どうだろうか。憤りを感じはすれど、どこか胸にすとんと落ちるものがないかね。それが真実さ。我々は無意識に感じている。皆、最初は平等であると。なにせ誰も何もやっていないのだから。するとこんなことを言うものが現れるのではないだろうか。ではなぜ、天才なんてものが出てくるのか。誰もが同じスタートラインであるならば差が出てくるのはおかしいではないかと。簡単なことさ。天才と呼ばれている彼らはつまり、他人よりも自分の才の自覚が速いだけさ。人類がこれだけいて自分の中に眠る才を正しく理解するのはなかなか難しいものさ。かくゆう私とて論理の天才と自負するまで長い時間をかけたものさ」
そこで男は髭を触り、昔を懐かしむような表情を見せた。
「だからこそ才能を取り逃したものは羨むのさ。自分も持っていたかもしれない取り損ねた才能をまざまざと見せつけられて。まあお笑いさね」
男はまた笑う。今度は人を小馬鹿にしたような態度だった。実際に男は他人を馬鹿にしているのかもしれない。そうでなければこの男自身が馬鹿だと僕は思った。温めていた日本酒をくいっと一気に喉に追いやった。
「さて、自覚するのはいいがどうにか良い状態のまま保存を図る必要がある。しかし先ほど言ったように才能は生ものだ。何もしなければそれだけで才能は腐る一方だ。ではどうするか。これまた簡単。誰もが理解して実行していたりしなかったりすること。そう、努力さ。ただ単に天才と呼ばれている彼らは他人よりも早く、そして正確に、努力をしているだけに過ぎないんだよ。おっと、結局努力なんてつまらない結果になったと思ってはいけない。才能の、まあ分かりやすく退化でいいか、退化を抑えることに万能なのは努力さ。勿論、根性なんて非科学的なものではなく効率的でエコロジックな努力が一番なのさ。ただこれも自分の才能が何かをということを分かっていないことにはできないことだ。無駄な努力こそ、徒労に終わるものはないからね。さて、ここでさらに私は考えたわけだ。己にあった才能、そして才にあわせた努力。これらは天才になるにあたって切っても切れない関係だ。しかしここで私は面白いことに気が付いた。果たして、才能というものは一つ限りなのだろうかと。ここでやっと最初の話に戻るわけだ。いやあ、長々と一人で喋り続けるのは何かと大変だね。まあ、もうすぐ締めに入るから若干名残惜しくもあったりして。閑話休題。天は二物を与えたなんて言葉があるように実は自分にあった才能というものは複数存在しているのではないかと考えたわけだ。一つの才能に見合った努力をするということは他の才能に見合った努力をしないということだ。努力をしない才能は退化していく。腐っていく。なくなっていく。死んでいく。これはつまり、私が唱える才能減算式に基づくと――」
男は言葉をいったん止め、間をつくる。そして、下卑た笑みを浮かべて言った。
「努力は才能を殺すのだよ」
動画そこで終わりだった。結局この男が何者で何を言いたいのか、なんでこんな動画をあげることにしたのか分からないが、僕の何かが男の言葉に反応していた。天地がひっくり返るような衝撃を受けた。顔も熱くなっていた。高揚しているのだろうか。鏡を見ると、耳まで赤くなっていた。視界も揺らいでいる。涙しているのだろうか。なんだかこれから自分が何でもやれるような気がしていた。確かに今まで適切な努力をしてきたかと言われれば頭を傾げてしまう暮らしをしてきた自負がある。しかし、この動画見たことでなんというか、天才であるコツというものが分かったような気がした。
「僕はやれる!」
部屋中に響くように言った。隣から壁を殴る音が聞こえたがそれがどうしたものか。僕はこれから天才になる男だ。そんな些末なことにかまけてはいられない。そうさ、やることは決まっている。才能に酔ってみるのも悪くないかもしれない。だから僕は高揚感と天才たる自分の姿を思い浮かべながら、布団に潜って眠りにつくことにしたのだった。
どうやら僕の才能はまだ殺せないようだ。
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