その偽りを愛と呼ぼう⑩
「まぁ、生物の分類自体はシロマが提案していたもので問題ないとは思う。魔物と他の生き物を明確に区分する方法はないから、そこは要改善だが」
「ふむ、流石は僕だな」
「生物の研究をするのか? ……千年も生きるというのは研究者としては最高だな。エルフというのは」
「ん、エルフはあまり研究者にならないけどね」
「どうしてまた、勿体ない話だ」
俺がそう言うと、シロマは不愉快そうに吐き捨てるように口を開く。
「エルフは非常に怠惰だ。長い時をただ食事をして子供を産むためだけに生きる。農耕すらせず、狩猟と採取で生計を立て、文化を育むことも、知性を高めることすらせず、ただ無為な日々を貪る」
……めちゃくちゃ言うな。恨みが篭っている。
俺が何と言うべきか迷っていると、シロマが申し訳なさそうに眉尻を下げる。
「いや、悪いね。こんな辛気臭い話をして」
「……まぁ、それぐらいは別にいいが」
風呂に入って来られるのよりかは余程マシだ。
それから俺の覚えている範囲で生物の分類を紙に書いていくが、かなり偏りがあるのであまり使い物にはならなさそうだ。
そもそもこちらにしかいない生き物もいるのだから、どちらにせよ参考程度か。
「ふむ……とりあえず知っている魔物から分けていくか」
「それは一人でしろよ。俺は専門家でも研究者でもないから手伝えないぞ」
「そう言わずに……あまり長いこといないんだろう。その間に少しぐらい」
「いや、明日の闘技大会に出場するから、研究の手伝いはな」
シロマは目を見開く。
「とうぎたいかい? ……えっ、誰が?」
「俺だよ」
「ええ……なんで?」
「何でドン引きしてるんだよ。そもそも俺がここに来たのは龍を殺したからだろ。研究者だからじゃない」
「えっ龍殺したの? ……ああ、そう言えばそうだった」
俺を何だと思っているんだ……。
むむ、とシロマは眉を顰める。
「……素朴な疑問なんだけど、何で出るんだ?」
「まぁ……ちょっと金が必要でな」
ニエの前でモテたいからとは言えない。適当にはぐらかしていると、シロマはやれやれと溜息を吐く。
「お金なら幾らでも渡そう。幾ら欲しいんだい? ……いや、もしかして王都の方に向かうのはお金のためかい。それなら僕がカバネを雇おう」
「……いや、英雄とかについて調べたいからだ。だから、あまり急いでいるわけじゃないけどな」
まぁ、そもそも王都に向かう計画は傭兵との会話でなくなっているが、それを話すわけにもいかない。
シロマは納得したわけではなさそうだが、まだ機会はあると思ったのか「むぅ……」と言って口を閉じる。
「そう言えば、人間の耳ってどうなってるんだ? 丸いけど、ちゃんと聞こえてるの?」
「そりゃ聞こえてる」
シロマはハイハイをするように立ち上がらずにこちらに近寄る。その際に服の隙間から胸元が覗くが、昨日裸を見たのでそれぐらいなら気にならない。
「あれ? カバネさん、立て膝はお行儀悪いですよ」
「……気にするな」
シロマに耳をクニクニと弄られ、少しこそばゆい。
「ふむ、本当に形が違うな。ふむ、結構生きているけど、こうマジマジと見たことはなかった面白い」
「もういいだろ。離してくれ」
「ん、ちょっと垢が溜まってるな。耳掻きしてあげよう」
「いや、いい。自分でするから」
抵抗したいが、立ち上がったりは出来ない状況だ。
俺とシロマがもみ合っていると、ニエが立ち上がる。
「カバネさんの耳掃除をするのは、生贄である私の役目です」
「生贄にそんな役目はない」
俺がツッコミをするが、二人はスルーする。
「人間の小娘……せいぜい10年やそこらしか生きていないだろう。僕は耳掻き歴224年の大ベテランだぞ? 人間では辿り着けない技の境地にいるのだ」
「そんなすごい耳掻きはされたくない」
色々と落ち着いてきたのでゆっくり離脱しようとすると、ニエが俺の肩を持って立ち上がらないように抑える。
「む、それはエルフのトンガリ耳の話でしょう。人間の耳なら私の方が長いですもん」
「穴の構造なら人間もエルフも同じだ」
二人は「むむむ」と睨み合う。何でそんなに俺の耳に拘る。
「……いや、自分でするから……」
「カバネさんは絶対不器用だからダメです」
「そうだぞ、龍殺しの力で耳の穴なんて繊細なものを扱うなんて。耳が千切れ飛ぶぞ」
「飛ばねえよ」
俺が何とか逃げ出そうとしたところで、扉が開き、傭兵の顔が見える。
「話は聞かせてもらった!」
「えっ、なんで?」
「その役目は俺がもらおう!」
「えっ、なんで?」
完全に酔っ払っている。このおっさん、また朝っぱらから酒を飲んで……。
酒を飲まなければ罪悪感で苦しいというのは分かるが、出来上がるまで飲むなよ。というか、酔っ払いに耳掻きされるのは怖すぎる。
三人が睨み合う。いや、他二人はまだしも酔っ払いは帰ってくれ。
「……傭兵さん、ミルナさんは大丈夫ですか? 今もお仕事中ですよね、怒られますよ?」
「くっ、仕事のことを出してくるとは卑怯な!」
「……卑怯か?」
傭兵は去っていく。…….なんだアイツ。
「邪魔者はいなくなったな。ふむ、このままではラチが開かないな」
「……まぁ、そうですね」
「ここはどうだ。分け合おうではないか。僕が右耳、君が左耳と」
「……私が右耳ならいいです」
「なんでそこに拘る」
ニエとシロマが睨み合い、ゆっくりとシロマが頷く。
「……今日は譲ろう。だが、明日は僕が右耳をもらう」
「そんなすぐに耳垢出ないからな」
「今日の夜はもう一度私が右でいいですか?」
「お前らの中で俺の耳はどうなっているんだ」
そもそも普通に自分でしたいんだが、人にされるのはどうにも怖い。
シロマが正座してポンポンと膝を叩く。
「……いや、割と本気で怖いから……。シロマのことを警戒しているわけじゃないが」
「んぅ……どうしてですか?」
「どうしても何も、人に身体の弱いところを弄られるのって怖いだろ」
「いえ、そんなに……お母さんにはよくしてもらっていましたよ。カバネさんはないんですか?」
「ない」
自分で出来るし、人にしてもらう意味がないだろう。
俺がそう思っていると、ニエは俺に笑いかける。
「一度されてみると、いいものですよ」
「……少しだけだからな」
「先っちょだけなんで大丈夫です」
なんかその言い方はおかしくないだろうか。
仕方なくシロマの膝に頭を乗せる。……少女と石鹸の混じったような匂いがして嫌ではない。
ふとももが柔らかく、心地よい。
疲れがあったのと極度の寝不足、罪悪感による気の張りが抜けて……めちゃくちゃ眠くなってきた。
けれど耳を触られたことでスッと目が冴えて、緊張から手を握り込む。
その手が不意に暖かくなる。ああ、ニエに握られているらしい。
妙にそれで落ち着き、息を吐き出してそのまま耳かきを受け入れる。
一度されてしまえば大したことはなく、少しこそばゆいぐらいでされるがままされていたらいいだけだ。
嫌だったが……されてみたら普通だ。それどころか心地いいぐらいに感じる。
ひとりでに目が閉じて、勝手に開きそうになる口を閉じる。
「お加減はどうかなー?」
「存外に悪いない」
「えへへ」
シロマにいつの間にかこんなに気に入られていたのか。ついこの前の初対面の時なんてバシバシ叩かれていたのに。
耳掻きが終わったかと思うと「ふぅっ」と耳に息が吹きかけられ、思わず「うおっ」と声を上げる。
耳を押さえるとシロマは悪戯げに笑う。
「……覚えてろよ」
そんな負け惜しみを言っていると、ニエに頭を抱えられて膝の上に乗せられる。
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