その偽りを愛と呼ぼう⑨
逃避のように練習し続けていると、とてとてという足音が聞こえて振り返る。
「ニエ、起きたのか」
「んぅ、おはようです。……あの、大丈夫ですか?」
「あーまぁ、無理はしていない」
いつものような生贄用の白い服と髪型。ニエの可愛らしさに少し癒されながら、技の練習を再開していく。
技の完成度が低いのもあるが、それ以上に俺の身体はあの少女よりも幾分も大きく、同じ動きが出来たとしても少女のように一瞬で視界から抜け出すのは無理だ。
ニエがジッと心配そうにこちらを見ていることに気がつきながら、フッと息を吐く。
誰かを助けるというのは、ただひたすらに難しい。
ニエの命を救うのに、彼女からたくさんの物を奪って使った。
ミルナの命を救うのに、彼女の親族を見殺しにする。
ただ救いたいだけなのに、善行に付き纏う悪行が俺を離してくれはしない。
人を助けたいと思えば思うほど、罪悪感が大きく積もっていく。
貰ったものが多すぎて、奪ったものが大きすぎて、もがけばもがくほどに罪が深くなっていくのだ。
命を救った、などと大仰に喧伝する気にはなれないほどに多くを犠牲にしている。
それでも尚、誰かを助けたいと足掻くのをやめられないのは──。
ニエを見る。心配そうにしながらも、止めることをせずに俺を見守ってくれている最愛の人を。
──青苦い野草と不味いキノコのスープは、とても美味かったからに他ならないだろう。
人が人を救える時もある。それを知っているから、今、俺はこうやって悪あがきをしているのだ。
……どんな奴なのだろうか。救国の専門家達は。
優しい奴だから人を救おうとするのか、冷酷な奴だからそんなことをやってのけられるのか。案外普通だったり、弱かったり。
身体が疲労で動きにくくなってくる。その場に座り込み、空を見上げる。
ああ、思考が纏まらない。
とてとてとニエが歩いてきて、俺の背中に引っ付く。
「……汗臭いだろ」
「好きな匂いです。くんくんしてもいいですか?」
「やめろ。あー、風呂入ってくる」
少しシロマを警戒するが、昨日の今日で再びやってくることはないだろう。やってきたらそれは痴女だ。
ニエに脱衣所の前まで付いてこられて、このまま中に入って来られるのではないかと警戒したが、普通に脱衣所の近くで待っているようだ。
……まぁ、そりゃそうか。普通はそうだよな。
適当に汗と泥を落として出ると、シロマがニエに捕まっていた。
「……何してるんだ」
「覗きです。覗きが出たので、捕まえたのです」
「し、失礼な! 僕は堂々と入ろうとしただけで覗きなんてしていないぞ!」
「もっとダメです!」
……このロリエルフ、痴女だ。俺は頭を抑えながらシロマに言う。
「あー、話ぐらい今からするから、入ってきたりはするな」
「本当か? では行こう、朝食を食べてないなら用意させよう」
「ん、ああ……。そうだ、ずっと世話になるのも悪いから宿を取ろうと考えているんだが、オススメのところはあるか?」
「ここは不満か?」
「迷惑かと思ってな。何人もずっと泊まっているのは」
「そんなのはどうだっていい。それより、早く話をしよう」
シロマに手を引っ張られ、ニエと共に彼女の部屋に入る。紙とインクの匂いがして少し落ち着く、俺とニエのためにか一昨日よりも少し本が片付いていた。
「えっと、確か昨日は……人間とエルフの近さの話だったな」
「ああ、そう……んっ、そうだったなっ」
シロマは焦ったように顔を赤くする。恥ずかしく思うなら風呂に入り込もうとするなよ……。
「基本的な構造は人間と同じだし、間に子供も産まれる。……間の子供は生殖能力がなかったり、妙にデカくなったりはするか?」
「いや、そんなことはないな」
「寿命は?」
「それは場合によるし、そもそも個体数は少ないが……まぁ、100〜800年程度だったような」
それは随分と振れ幅があるな。
「エルフが父の場合と人間が父の場合で違いはあるか?」
「ほんの少し耳の長さに違いはあるが……個体数が少ないから、個人差なのか、それが原因かは分からない」
「……近縁種どころじゃなく近いな。実質的に同一の種族と見る方が良さそうだな」
遺伝子的には人種程度の差だろう。
……いや、それはおかしくないか? 世代交代のサイクルが二十倍も違うんだぞ。そんな程度違いのはずないだろ。
自然発生した種族じゃないのか? いや、それは飛躍した考えすぎるか。だが……どうにもこのエルフという種族はよく分からない。
「……耳を、触っていいか?」
「えっ……いいけど……」
許可が降りたので近くに寄って、耳を覗き込む。
見た目としては尖っているだけで人間の物とさして変わりはない。
多少赤らんで見えるが、それは異性に触られているからという理由の可能性が高い。
「んっ……」
長く尖っているだけで別に何か人間と違うわけではない。触って見ても普通にクニクニとした感触の軟骨だ。
耳たぶはかなり小さく、本来耳たぶが持っている熱の交換や音の反響などは長い耳が代わりになっているようだ。
「すぐ赤くなるな」
「それは、仕方ないだろっ」
「いや、からかっているわけじゃなくてな。エルフはみんなこうなのか?」
「知らないっ」
耳に血が行きやすいというのは、耳に多くの血管が通っていて放熱しやすい仕組みになっているということだ。
多少暑い場所に生息していたのか? いや、だとすると白い肌が説明つかないな。
……昔は日差しは弱いが暑い場所に生息していた、というところか。
「……結論から言うと、魔法だな。エルフの長命は人間の近縁種ならどうやってもそんなに長生きは出来ないと思う」
「魔法って、使ってないけど」
「龍やゴーレムもそんなに知能があるわけではなさそうだけど使っているからな。使っている意識がなくても使っている可能性は普通にある。生態に組み込まれているとでもいうか」
「ふむ……なるほど、うーむ……確かにそうかもしれないと思ったが、確かめる術はないな。……あれ? もしかしてエルフって魔物に分類されるのか?」
「人間も魔法を使う奴がいるし、分類しようと思えば人間もエルフも魔物だな」
シロマの耳を離して元の位置に戻る。シロマはよほど耳を触られたことが恥ずかしかったのか、自分の耳をグニグニと触り、少し荒くなっている息を整える。
「……魔物は魔物として、動物は動物として産まれるのではないのか?」
「さあ、生物を誰が作ったなんて分かるはずもないしな。個人的な意見としては、たまたま魔力を取り入れた生き物がいたってだけだと思うが」
「……そんなものなのかな?」
「そもそも生物かどうかとかも定義によるからな。定義を変えれば生物かどうかも変わる。この国では、あるいはシロマはどんな定義にしているんだ?」
「定義って……成長して増える、とか?」
俺はゆっくりと頷く。
「じゃあ、台風は生物だな。旋風とかも。成長するし分裂もする」
「え、ええ……そうなるの?」
「それに、分裂はしても成長はしない奴もいるだろ」
「む……確かに……」
「まぁ、これが絶対に正しいというわけじゃないが「外界と膜で区切られている」「物質やエネルギーの流れを作る」「自己分裂する」というのが俺の住んでいたところの考えだ」
「……ふむ、なるほど」
「そんな具合に定義を変えればそれに含まれるものも変わる。さっきのシロマの定義だと台風は生物になるし、定義を変えれば非生物になる。エルフを魔物に含もうが、人間を魔物に含もうが、まぁどっちでもいい話だ」
シロマは頷く。
「よし、それは教会が面倒くさそうだから無視しよう」
「多分いい判断だ」
宗教は怖い。
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