神龍殺しは少女のために⑦


 …………想定、済みだ。

 スリングショットに石を引っ掛け、全力で引いて目へと弾き飛ばす。当然のように身動ぎをして避けるが、避けるために身体を動かした分だけ、龍が飛び立つのが遅くなる。


 龍を狩ると決めてから数日間、龍を観察し続けて分かったことがある。当然のことながら、通常の物理法則では重すぎる龍は飛ぶことが出来ず、魔法便りの飛行となる。


 風を発生させて広げた翼でそれを受けて飛ぶ。それは、実際に目にしていたのだ。

 俺は目にしていた。龍と共に浮かび上がる落ち葉を。


 龍の近くに来たと同時に強い上昇気流を感じる。通常の飛行のように翼で空気を押して飛んでいるのではなく、魔法の上昇気流に乗って飛ぶ。


 だから、俺は用意していた布を広げて地面を蹴る。フワリと浮かび上がる感触。龍よりも小さく軽い俺の身体は龍以上に龍の風によって飛ばされる。龍の背が見えたと同時に布を捨てて、広げた翼の上に短刀を突き刺しながら落ちる。


 ずぶ、と龍の翼の膜に刃が突き刺さる。

 ああ、良かった。ここは切れる。鱗の下の肉が柔らかかったように、どれもこれもがどうしようもなく固いわけではない。


 強風に耐えながら、翼にへばりつきながら短刀を引く。

 龍の飛膜にはどうやら神経は通っていないのか、龍は俺が乗っていることにも気付かず豪快に火炎を吐き出して眼下に見える全てを焼き尽くす。

 遠くからでも感じる火炎の熱に身体が痛みを発する。


 ……この火の地獄に、叩き落としてやる。

 俺は自分が落ちるのにも構わず短刀をザクザクと龍の翼に突き刺しては引いてと繰り返して傷つけていく。飛膜の一部が欠けて龍はバランスを崩し、それに揺さぶられて俺は龍の翼から落下する。


 俺も落ちるが……同じ速さで龍も落ちる。狙うのは可能だ。石をスリングショットに引っ掛けて再度その目を狙って撃つ。


 普段ではあり得ない、極めて不安定な場所での極めて不安定な小さなものへの狙い撃ち。もう一度やれと言われても、二度と成功することはないだろう。


 石が龍の目に突き刺さる。


「ざまあみやがれ」


 龍が死に物狂いで発生させた風が俺の身体に辺り、遠くへと吹き飛ばされる。そのおかげで火炎の中に向かうのではなく、少し離れた森の木の枝にぶつかり、身体が枝葉に引き裂かれながら地面に落ちた。


 全身が焼きただれ、砕かれ、引き裂かれた。だが……まだ生きている。

 龍の吠える轟音。

 俺も、龍も……まだ、決着は遠い。


 ◇◆◇◆◇◆◇


 ベッドの感触は悪くない。決して地球にあったものよりも質の良いものではないが、毎日俺が狩りをしている間に、ニエが丁寧に用意してくれているおかげだろう。


 ……恩を返すために居座っているつもりが、余計多くのものをもらっている。

 ……昏き夜の日に、祭りでもあるのだろうか。儀礼的なものがあるのかもしれないが……それが終わったらまたこの村に来たらいいか。


 見識を広げるために街に行って、少しこの世界について学んだらここに戻ってこよう。街で何か土産を買ったり、働いて金を集めてきてもいいかもしれない。


 いっそ、俺の地球の知識を使って何か物でも作って大儲けするとか……。うん、それも悪くないな。


 そんなことを考えていると、カタリ……と小さく扉が開く音が聞こえた。

 音を隠すようなゆっくりとした歩行。ペタリペタリと静かな夜だから聞こえる音が部屋に響いた。


 物盗り……かと思ったが、こんな村にわざわざ遠くから盗みにくるものがいるとは思えない。ゆっくりと目を開けると、月明かりに照らされたニエの美しい顔が見えた。

 彼女はフラフラと俺の元に来て、俺が寝ているベッドの上に乗り、ペタリと座り込む。


 俺が起きていることに気がついていないのか、息を潜めながら俺の手を握り、小さく細い指先を絡ませる。


「……嬉しかったです。今まで生きてきた中で、一番」


 夜の空気に溶けるかのような微かな声。幼い少女のはずなのに、俺の指先を確かめるような弄り方や、色艶めいた甘い声だった。


 声をかけようとしていたのに、心臓がドクリドクリと無闇に大きな音を立てるせいで、声をかけるタイミングを見失う。


 そうしている間にもニエの手は強く俺の手を握り込む。

 艶っぽい薄桃色の唇が、濡れて小さく動く。


「いえ……これからも含めて、こんなに嬉しいことなんて……もう、起きません」


 手が冷たいことに気がつく。声が震えて、泣きそうになっていることにも。寒くもない室温なのに、カタカタとニエは震える。


 手を握り返す。びくっと肩を動かしたニエを見つめると、ニエは「あっ」と声を上げて手を離そうとする。俺はそれを許さずに、しっかりと少女の手を握りしめる。


 小さい手が大きな俺の手にすっぽりと収まる。俺とニエしかいないベッドの中だと……普段よりもことさらに小ささが目立つ。

 まるで大人と子供……いや、そのまんま、大人と子供の体格の違いだ。


「あっ……す、すみません。その……勝手に入り込んだりしてっ……」

「俺は構わないが……。男の寝床に潜り込んだりするなよ。今は意味が分からないと思うが、酷い目に遭うぞ」


 特にニエは美しいのだから。仲良くしているせいで余計にそう見えるのかもしれないが、そういう欲目がなくともニエの容姿は整っている。

 会ったときのガリガリの不健康さも減り、それが際立って見える。村人の女性も目にすることはあるが、どの女性もニエに比べると美しいとは言い難い。

 しかも天使のように優しく慈悲深く、家事に優れて家庭的で、高潔な魂を持っている。


 ……ああ、認めよう。歳が離れているが……まだ子供ではあるが……俺は彼女に惚れているらしい。


 ニエは俺の言葉を聞いて、微かに震える唇を動かす。


「お母さんが、好きな人にしかしてはいけないと……教えてくれました」

「……じゃあ、母親の教えを守るべきだったな」


 小さく「守ってます」と呟いたニエに心臓を鷲掴みにされるような感覚を覚えながら、平静ぶりながら身体を起こす。


「そ……それで、どうしたんだ? 怖い夢でも見たのか?」

「……いえ、どうしてもカバネさんに会いたくて……ご迷惑でしたか?」


 迷惑じゃないと言いたいが、こんな夜更けに好意を持っている少女とベッドの上に座るという状況に平常心でいられるはずもない。

 諦めていた「ニエを連れ出す」という目標が再燃しそうになって、口に出そうとする自分を必死に抑える。


「……いや、夜に寂しくなるのも分かる。気が済むまでいたらいい。お前の家だしな」

「えへへ」


 ニエは薄手の寝巻きのまま、ベッドの上でもぞもぞと動き、壁に背を預けて居座る体勢に移行する。

 ……まぁ、寝るのが遅くなって昼まで寝ていても、誰かに叱責されるような環境でもないか。


 月明かりでしか見えないが、もうちょっとしっかり着込んで欲しい。


「……今までの人生で一番かもしれないが、これからの人生で一番じゃない」

「……えっ?」

「さっき言ってただろ。一番嬉しかったって」

「あ……き、聞いてたんですか」


 ニエは小さく頷き、赤くなった顔を手で押さえる。


「その出て行けと言われた昏き夜の日の後、またこの村に来ても問題はないんだろ」


 俺の言葉に、彼女はびくりと肩を震わせた。


「だったら、また来るぞ。迷惑に思うかもしれないが、俺はお前に会いたいから、また来る」

「……あっ……あの……ごめん、なさい」


 ボロボロとニエが涙を零す。

 さっと血の気が引く。ダメだ、調子に乗った。ニエがこうして寝室にやってきて甘えてくるから、彼女も俺のことを悪く思っていないのだと勘違いした。

 思っていたよりも怖がられていたのかもしれない。そりゃ、自分よりも遥かに大きい男が自分に執着をして見せていれば怖いに決まっている。というか、今のってほとんど犯行予告みたいなものじゃ……。


 大粒の雫を落とすニエを見てあたふたしていると、彼女は顔を隠すようにギュッと俺の胸に顔を埋めて、喘ぐような声で、何度も謝る。


「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。……私は、もう……いないんです。昏き夜の日の後には」


 ニエの背に手を伸ばして、小さく華奢な身体を抱き寄せた。


「……いないって、この村から出ていくということか?」


 これほどの器量よしだ。貴族やそれに類するものに見初められていたとしても不思議ではない。

 そう思っていた俺の考えは、あまりにも甘かった。


「違うんです。……違うんです。私は……ニエ、なんです」


 少女は繰り返す。


「この村を襲う災厄を払うための……龍に捧げられる『贄ニエ』なんです」


 小さい身体は、幼い肢体は冷え切って、ただひたすらに……迫る死に怯えていた。

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