神龍殺しは少女のために⑧
◇◆◇◆◇◆◇
一つ前の世代の村の重役であった占い師が死ぬ直前に遺した言葉だ。
『十の冬を越したとき、この村に災厄が降りかかる。人の力では到底勝てぬ、神の導きよ。許しを乞うしか道はない。人身御供を捧げ、祈り続けよ。さすれば許されるだろう。』
くそったれが。どうしようもないデタラメだ。本当に龍が来るのが分かっていたら、もっと対策は出来て然るべきだ。
開拓村だったら、何かしらの問題が出て当然だ。疫病、災害、飢饉。適当に言えば一つぐらいは当てはまる。
そんな死ぬ前のボケ老人の言葉で……ニエが殺されるんだ。
彼女は天涯孤独の身で、庇ってくれる大人もいなかったから……生贄にするには都合が良かったんだろう。
焼きただれた身体のまま、龍を指差す。
「何が、村のためだ。あんなクズども、みんな死んじまえばいいんだよ。幼い子を、あんなに優しい子を、ニエを、犠牲にして!」
滅んでしまえばいい。あんなところ。
スリングショットは折れて使い物にならない。短刀を構えて、唸る声を上げる。
短刀で傷を付けられるような相手じゃない。分かっている。だが……武器を構えなければ、逃げられるかもしれない。
翼は潰したが、それでも龍は龍だ。走るだけで俺を置いていくのは容易だろう。
龍の突進に合わせるように俺も龍へと走る。勝てるはずはない。それでも、逃げるのと逃すのだけは許されない。戦い続けなければならない。
龍の爪が俺に迫り、短刀で受け止めようとして吹き飛ばされる。身体が焼けた地面を転がり、全身に火傷と裂傷が刻まれる。
「まだ……まだぁ!!!!」
龍からも少し余裕が失われていた。戦い始めてから何時間経ったのか定かではないが、燃費の悪い龍の体には酷な長時間の行動、翼も破れていてアチラも限界が近いのかもしれない。
互いに弱り切っている。それでも五分とは到底言い難く、1%の勝機でしかない。だが、それでもここまで持ってきた。5000兆分の1から……1%までだ。
守る。守る、守る守る守る守る。ニエを、何としてでも、守りきって見せる!
俺が再び龍へと無謀な突進を仕掛けた瞬間のことだった。
燃えていく森の音ではない……こんな戦場には不釣り合いな、重なり合う楽器の音、人が奏でる音楽。
その音で気がつく。今立っているこの場所は、初めてニエと出会った場所で……。
「村の……すぐ近く」
この民族的な音楽は龍にニエを捧げるための儀式の一環なのだろう。
いつの間に、こんなところまで来てしまっていた。悉くを焼き尽くした龍の吐息のせいでほとんど地形が把握出来ておらず、方向感覚が完全に狂っていた。
時間の感覚もおかしかった。村から龍の住処までは歩いて半日はかかる距離で、走り回っているとは言えども、暴れ回りながらぐちゃぐちゃに動いて辿り着くのには半日以上の時間がかかるだろう。
運が悪かった。こんなこと、想定さえしていなかった。
龍を餓えさせる半日の間に……無作為に暴れまわってここまできてしまっていたなど……そんな不運があるなんて、想定していなかった。
餓えた龍が、俺が餓えさせた龍が、そんなこれ見よがしな人の出す音に釣られないはずがない。
「ッやめろ……」
龍は首を上げて、村に目を向ける。
「やめろ、やめてくれ、やめろ、やめろ、やめろ!!!!」
そんな俺の声が、龍に届くはずもなかった。
◇◆◇◆◇◆◇
私はそれで良かった。
恐怖がないと言えば嘘になる。生への執着がないと言えば嘘になる。
けれど、私は、私が生贄として捧げられることに異存はなかったのだ。
父母はいない。祖父母も多分いない。友達もいない。信頼出来る人はいない。
お腹は空いていて、身体が冷える。お腹が空いているせいか、いつも、とてもとても寒い。
だからあの龍のお腹の中は暖かそうに見えた。……私はそれで良かったのだ。
いつものように、生贄の儀礼服を上に羽織る。
本当は縁起の良いものなのではないだろうけど、これでも私は女の子でいくら生贄のための服であろうと……綺麗な真っ白い服には憧れがあったし、着れるのは嬉しい。
自分の食べる分は自分が集めるしかないので、森の中を歩いて知っている山菜やキノコを探す。父母が生きている時からずっとそういうものを採ってくるのが私の仕事だった。
それ以外のことは出来ないし、教わることも出来ない。けれど、あと少しでご飯を食べる必要はなくなるのだから……きっとそれでいいのだろう。
いつもの道を通って、いつもと同じように石像に祈る。神様とかは分からないけれど、こんなによく出来た石像なのだから、きっとありがたいものなのだろう。
お願いすることはいつも決まっている。
「……みんなが、きっといつか、幸せになりますように」
その時、石像が揺れたように感じた。
それから数日後、死ぬ前に好きな人が出来た。
ぶっきらぼうで不機嫌そうな顔をして、心底不愉快そうな表情で私を睨み付けながら、こう言うのだ。
「好きになった」
なんて……とても愛を囁くような甘い声色ではなく、低くムッとした声で。
多分、隠す気もない本当のことなんだと思った。
多分、私は幸福なのだと思う。
「……一緒に逃げよう」
彼は私の手を取ってそう言った。
◇◆◇◆◇◆◇
ニエは首を小さく横に振る。
「何故だ」と強く問うのも、無理矢理手を引くのも憚られるほど怯えていた。
「……ダメ、です」
「……ダメなこと、あるかよ」
「龍が来ます。龍が、来るんです」
「獣に対して生贄なんて意味がないだろ。腹が減ったら食うだろうし、人の味を覚えたらより食うことになる。それなら生贄になっても、逃げても同じだ」
最悪、口を塞いで無理矢理連れ去るつもりでいると、ニエは信じられないことを口にする。
「……私が生贄なんじゃなくて、生贄が私なんです。私がいなければ、他の人が生贄になるだけです」
「……そんなの、どうでもいい」
「……良くないです。家族を失う辛さは、私も知っています」
なんで……この子は、ニエは……そうなんだ。
どうしてここまで人に優しく出来るのか、初対面の俺や、ずっと冷遇してきた村人に対して、命を捧げてまで助けてやる義理なんてないだろう。
「……ごめんなさい。一緒に、いけないです」
「……俺は、ニエがいなくなったら辛い」
彼女は悲しそうに微笑む。分かっている、こんなことを言っても困らせるだけだなんて分かっていた。
けれど、言いたかった。
「ごめんなさい」
謝らせるなよ、俺。どうしたら説得出来るかを考えてすぐに無理だと悟る。
そんな子だから好きになったのだ。
現状を理解し、口の中で呟く。
「龍を殺さなければならない」
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