神龍殺しは少女のために⑤
◇◆◇◆◇◆◇
そして、指を離す。
スリングショットは存外に威力が高く、物によっては100メートル先から強化ガラスを打ち抜く威力を持つ物もある。
絶望的なことに龍の鱗は強化ガラスよりも硬いようだが、鱗に覆われていない目を傷つける威力ならばある。動いている龍の目に当たるはずもないが、俺のことを無視出来ない存在にするだけの力はある。
無視をさせない。という今回の作戦において最も重要な肝の部分は成功した。……が、後は……死なずに逃げ続ける必要がある。
まず、今行われている突進についてはほとんど対策が出来なかった。
単に体がデカく運動性能が高ければ非常に動きが速くなる。
一応気休めのような対策ではあるが、木々がある程度邪魔をしてくれるので、基本的に木の中に身を隠すように動き、勢いがつかないように真っ直ぐではなくクネクネと走って逃げる。
まぁ……気休めだ。想像した通り、呼吸器の違いのせいで俺が息を切らしているのに、この馬鹿でかい生き物は木をなぎ倒しながらでも余裕がある。
それでもひたすらに森の中を駆けずり回る。
こんな化け物、人間が百や千いても勝てる気がしないな。と思いながら、走っていると、急に龍が動きを止める。
来たか。来るぞ。
龍は力を溜めるように動きを止める。口の端から赤い光が漏れ出す。
龍が最強の生き物である所以。かつて地球にいた恐竜との相違点。
「……ッ! 火炎の咆哮ッ!」
一瞬で踵を返して、全力で龍の方に走る。一瞬でも遅れたら死ぬ。
木の根に引っ掛かり転げ回りながらも一直線に龍の足元に移動して、背後から迫る火炎から逃げ切った。
龍の火炎は辺り一帯を焼き尽くすが……龍の脚元までは届かない。何故ならば、そんなところまで焼けば自身も焼け死ぬからだ。
火を吐く生き物に火が効くのか……? そう思ったが、間違いなく、龍に炎は効く。
森が焼けていく轟音を聞きながら、脚を止めて、身体を伏せさせながら呼吸を整え、動物の肉を脂で固めた保存食を食べる。
龍は他の動物と同じタンパク質で出来ている。
生物の身体は複雑であり、炭素が様々な結びつきをする多くの種類のアミノ酸を作ることで複雑な機能を生み出している。
炭素以外の元素ならばケイ素でも似たようなことが出来るが、龍の身体を支えるだけのケイ素はこの辺りには存在していない。
つまりは炭素生物であることはほぼ確実であり、タンパク質で身体を構成していることは間違いない。タンパク質にも種類はあるが……そのどれも火と熱に弱い。
鱗に炎を防ぐような効果があるかもしれないと思ったが、断熱性のある鱗に全身が覆われていたら、いくら呼吸器による冷却が出来ようとも熱交換が間に合わずに何もせずとも歩くだけで蒸し焼きになる。
そして俺がこうやって息を整えて食事まで出来る理由だが……おそらく、火を吐いている時は何も見えていない。
顔の近くで高熱を発生させるため、何も対策をしなければ目が乾燥する。あるいは燃やしたことで爆ぜた物の破片が目に入る。
それらの対策をするために厚い瞼で目を塞ぐ必要があるからだ。そもそも、炎でほとんど見えなくなるのだから、無理をしてまで目を開けておく意味はない。
音や匂いに関しても炎で隠れることとなる。つまり、龍の最強の攻撃である火炎は龍にとっての脅威であり、俺にとっての休憩時間でもある。
……もちろん、この後……遮る木も燃えてなくなったまま、木のあるところまで逃げる必要があるが。
◇◆◇◆◇◆◇
なんだかんだと、ニエの家に世話になり続けている。
泊まってもニエは悪い顔をしないし、食料を取ってきて渡すのにも都合がいい。
ニエも少し俺に慣れてきてくれたみたいだが……。
「あっ……その……す、すみません」
たまたま同時に手を伸ばしたせいで指先が触れ合い、ニエの整った顔が真っ赤に染まる。
俺の「好き」という言葉がよほど耳に残っているのか、ずっとこんな調子である。
訂正しようかとも思ったが、この子をこの村から連れ出す際に「君のために出ていこう」と言うよりも「俺のためについてきてくれ」と言った方が成功しそうな気がするので訂正はしないでおく。
「……その短刀使うのか?」
「いえ、カバネさんが研いでないみたいなので、研いでおこうかと」
「あー、研ぎ方が分からなかったんだ」
「えっ……?」
ニエは不思議そうに俺を見る。この世界だと刃物を研いだりするのは普通なのだろうか。
ニエは俺にも見えるように砥石を持ってきて、赤らめた顔のままこてりと首を傾げる。
「教えましょうか?」
「あー、そうだな。頼む」
「えっと、ここをこう持って……」
「こうか?」
「いえ、それだと危ないのでこう……」
ニエの手が俺の手に重なり、ゆっくりと手を握る。子供らしい暖かく小さな手だ。
俺の手を握っていることに気がついて顔を再び真っ赤にしてバッと手を離す。
「し、失礼しました」
「いや、助かる。こんな感じで大丈夫か?」
「はい。……お上手です」
いや、上手じゃないだろ。
ゆっくりと研ぎながら……村人の言っていた『昏き夜の日』という言葉を思い出す。いつまでに出発しなければならないのかは知っておいた方がいいか。
「ニエ、昏き夜の日って知ってるか?」
ニエはびくっと身体を震わせて、赤い顔を元の色に戻していく。
「……どうかしたんですか?」
「いや、昏き夜の日ってのが分からないんだ」
「んぅ? ……えっ? ……薄暗い赤い夜の日のことですよ?」
「……いや、それがよく分からないんだが」
「え、ええっ……ほら、魔力が満ちるアレです。魔法の威力が上がる……」
「魔力? 魔法?」
「……あの、カバネさん……いくら石像とは言っても……びっくりです」
いや、俺の方が驚いているんだがな……。まぁ、龍やスライムがいるんなら魔法があるのも今更か。
「どんな物なんだ?」
「どんな物……と、言われましても、私は使えないので……魔力を用いて行う術が魔法でして、火が出たり水が出たり……みたいなものです。昏き夜の日は、空が薄らと赤くなって魔法の威力が上がるそうなんです」
「……なるほど」
魔法というのは気になる。俺も使えたりするのだろうか。
男心が惹かれる単語ではあるが、今重要なのはそれではない。
「その昏き夜の日ってのは、いつ来るんだ?」
「えっと、具体的な日付は分からないですが、多分夏の始まりぐらいなので……あと二十日後ぐらいですか」
……思ったよりも近いな。ニエの顔色はここ数日で格段に良くなったが……あと二十日で旅に耐えられるだけの体力を付けるのは難しいだろう。
まぁ……保存食を多めに用意して、ゆっくりと少しずつ動けばいいか。今のところ急ぐ必要があるわけでもない。
だが……そんなに旅立つ時間が近いのなら……今のうちに説得する必要があるか。
研ぎ終えた短刀を鞘に戻し、何故か不安そうな表情を浮かべているニエに目を向ける。
子供相手だ。変な分かりにくい言い回しではなく、単刀直入に言った方がいいだろう。
「ニエ、俺は村の奴から昏き夜の日までには出て行けと言われているんだが……」
「えっ……あっ……そうなの……ですか」
「一緒に行かないか? この村にいても食事にすら困るだろうし、ここまで冷遇している場所にいるのも嫌だろう」
そう言ってから、思い直して首を横に振る。
「いや、そうじゃないな。……一緒に来てくれると、俺は嬉しい」
手を取ってくれ。そう祈りながらニエに手を伸ばすと、ニエは赤らんだ顔を俺に向けて、嬉しそうににこりと笑みを浮かべる。
「……嬉しいです。とても、そう言っていただけると」
「じゃあ、一緒に……」
俺のその言葉は、ニエが頭を下げたことによって遮られる。
「ごめんなさい。一緒には、行けないです。でも、ありがとうございます。そんな風に言っていただけて、私は幸せ者です」
ストンと、何かが落ちる音を幻聴する。
断られるとは思っていなかったわけではない。……断られたら断られたで、まぁ……問題があるわけではない。
ニエがそうしたいなら、どうしても連れて行く必要があるわけでもなく……。むしろいない方が色々と楽だろう。
……なんで俺は、女の子にフラれた気分になっているのだろうか。
いや、フラれたのは間違いないが、別に恋愛感情から言い出したことではないし、そもそもニエは子供だ。
なのに……なんでこんなにショックを受けているのか。
落ち込んだ様子の俺に、ニエは慌ててパタパタと手を動かす。
「あ、あの! 嬉しいのは本当ですよ! こんなに嬉しいのは、生まれてはじめてです!」
「……ああ」
めちゃくちゃ気を使われているし……。気まずい。
思っていたよりも数倍は落ち込んでしまっている。
「……本当に、本当の本当に……嬉しいです」
「……そうか。……あー、ちょっと仕掛けを見てくる」
ゆっくりと立ち上がって、いつもの短刀と袋とスリングショットを持って外に出た。
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