ハルイルト
私、ハルイルト・ソズゴンは、幼い頃はとても気弱な子どもでした。
私の生まれついたソズゴン侯爵家は、昔から文官として王家にお仕えする家系でして、恐れ多い事ながら、過去に宰相や大臣なども多くご拝命いただいたと聞き及んでいます。
お父上は宰相補佐官として勤められており、現在の宰相である縁戚のカミール家とは、対立ではなく信頼で結び付いているとおうかがいしています。
お父上には敵が多く、また、お母上以外にも妻と呼べるお方が何人かいらっしゃいますので、私は物心つくまでに何度も命を狙われていたと聞かされ、物心ついてからは、時に身をもってそれを理解してきました。
随分と長い間、広く静まり返った屋敷の中で、お母上と近しい女性たちだけに幾重にも守られて生きていました。
そこは確かに我が家なのですが、常に人目は途切れず、向けられるのは善意よりも悪意や好奇の視線の方が多いのです。
言葉を操れるようになった頃に私が口をきくことが許されたのは数える程の者であり、そんな私が少し分別がついた頃に、許されたからといって自由に誰とでも関われる訳はなく、私は人を恐れていました。
世界は猜疑と不安に満ちていましたし、そんな風に周りに怯えてものも言えない私を、周囲が侯爵家嫡男としてふさわしくないと評価して嘆いたふうに嘲ることに、尚更に猜疑と不安、世の中の全てへと恐怖は深まっていくばかりでした。
私はそのような自分が心底情けなく、自分でも信じられず、常に陰鬱と自分を責めていたものです。
サラジエート家のお茶会に招かれたのは、私が7歳の頃でした。サラジエート伯爵である伯父上様は、お母上の良き兄であり、その立場を労り気にかけてくださいます。お母上の気晴らしにお誘いくださったのでしょう。
お母上は私を置いて行くことも、連れていくことも悩まれました。
私はそれまで何度かお茶会に出席したことがありましたが、お母上に隠れるようにしているだけで精一杯で、ほとんど口も聞けずにびくびくとしているだけでしたから。
その頃には、私が無事に成長し世間に示されたことで、暗殺しようとするものはほとんどいなくなっていましたが、魑魅魍魎の巣窟である侯爵家に一人で残すよりはと、お母上は遠いご実家であるサラジエート領に私を伴いました。
サラジエートのお茶会でも、やはり私は一言なんとか挨拶をしただけで、後は小さく身を縮こまらせてただ時が過ぎるのを待っているだけでした。神経質な子どもであった私は、本当に年齢に比して小さな身体つきでもあったのですが。
お母上が主賓としてもてなされ、ご婦人たちの中心で話に花を咲かせる最中、私は一人でお手洗いを探しにでかけました。ただそれだけが大冒険の心持ちでした。
信頼ある他領へ護衛は連れてきていませんし、侍女も最低限でした。ご婦人たちの口を止めてお母上に言い出すのも恥ずかしく、お母上以外とは話すこともままなりませんでした。
そして、気づくと貴族の子息たちに取り囲まれ、人目につかない茂みの奥で詰め寄られて、嘲り罵られていました。
正直、何度か経験があったものですから、心を無にすればやり過ごせることでしたが、やり過ごせないのはお手洗いでした。
どのくらいそうして囲まれていたのでしょう、こんなことでお父上やお母上に恥をかかせてしまうくらいなら死んでしまいたいとまで思っていました。
その時、私を救ってくれたのは、ヒーローでした。こんな馬鹿げた窮地ではあったのですが、その時の私にはまさにヒーローだったのです。
取り囲んだ子どもたちを一瞬で追い払ってくれたことも、たくさん励ましてくれたことも。『お前なら大丈夫』だなんて、初めて言われたことですし、自分ですらそう思ったことはありませんでした。
見た目は少し大きめな子どもなだけですのに、私を軽々と抱え上げ、私は自分が物語のお姫様にでもなったように感じられました。…これは秘密ですよ?
何がおきているのかも理解できずに身を固くしていた私の目の前で、奇跡がおこりました。一瞬で周囲の景色は緑が萌える庭園から室内へ。初めて体感した『魔法』。
部屋に閉じこもり本を読んで過ごすなかで、憧れて、きっと手が届かないと諦めてきた魔法が、それもほとんど使える者はいないと言われる空間魔法が、私の目の前でなされたのです。
呆然とした私へと、今、身に起きたことが幻ではなかったというかのように、私がその瞬間まで着ていた服が手渡されました。
疑いようもなく、彼は空間魔法を使ったのです、それも、息をするかのように自然に。
ウリューエルトは、私にとって本当にヒーローだったのです。
それから、怯えた態度しか取れない私を、彼は労ってくれました。
初めて一人でなんとか着た服を当たり前のように整えてくれ、呆れもせず、蔑みもせず、私が私であることを当然と受けとめて、当然のように彼らしい返しをくれて。
上手く話せないことなんてどうでもよくなるくらい、私はこのヒーローと話がしたくて、このヒーローと話をしたぶんだけ、世の中の楽しさを知っていくようでした。
生まれて初めて夢中になって話をする私に、彼はまた会う約束をしてくれました。
私は、それが社交辞令だと思っていました。けれども彼は、私に会いに来てくれました。
それから、リューと仲良くなるにつれ、私はヒーローに並び立てる人間になりたいと思い、友人として肩を並べられる存在になっていると気づいた時には、誇らしさでいっぱいになりました。
彼のおかげで、その他の友人もできるようになりました。
私の世界は不安と猜疑しかない豪奢な屋敷の中から、奇跡と夢であふれる広大な世界へと生まれ変わったのです。
今日も友人たちと過ごすひとときの時間が、私は楽しみでなりません。
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