クロノと元ウリューエルト
彼は実直で、とても優しくて、欲がない人間だった。
ウリューエルト・カトゥーゼ。享年は一樹と同じ二十年と少し。
生まれたのはアトラント地方。この辺りは魔力があふれる地が多くあり、大昔は魔法帝国ができたり、聖地として奉られた場所だ。
そんな場所だからか、エリストラーダの歴史が始まってからも、魔法使いが隠居生活や隠遁生活をする場所として人気だった。
今は争いが少なく、エリストラーダは国として大きくて平和だ。周辺の国も大国ばかりで小競り合いはなく、戦争は遠い昔の記憶となり、その分昔と比べて魔法使いは少くなったし、能力も総じて低くなった。
魔法を一番必要としたのは、戦争だったから。
そうして平和な歴史を歩んだ束の間で、アトラントが隠れた魔法使いの聖地だったことは歴史書には残らずに、今では誰も知らないみたいだ。かろうじて受け継がれていたのは、数百年前のアトラント伯爵までのようだった。
アトラントには魔法使いの血筋が多く混じっている。
のどかな畑は、この地に満ちた豊富な地の魔力、霊力みたいなものと、それと自覚せずに大地の魔法を使う農民から豊穣の恩恵を受けて不作を知らない。魔法使いの素養がある人間は多いけれど、生涯それに気づかずに過ごす人がほとんどだ。そしてウリューエルトもその一人だった。
彼はアトラントが大好きで、領民が大好きで、こののどかで温厚な人間の集う場所で生まれ育った、底なしに善良なお人好しだった。
生まれながらの魔法の素養は先祖返りと言えるくらい高く、身体、精神的な能力の伸びしろはこの国で随一、きっと歴史上でもまれなくらい。
彼が能力を開花させて望んだならば、この地に魔法帝国を再来させることもできただろう。だけど彼は多くの人がそうであるように、それに気づくことはなかった。
ウリューエルトが15歳を迎えて王都の学校に通ったときに、彼は初めて策略や陰謀、裏切りや利用などという害意ある人間の裏側に直面した。
彼はどうしていいかわからなかったし、彼と同じような環境で育った知り合いや友達も、自分の事だけで手一杯だった。
ウリューエルトはものを知らない田舎の小貴族として馬鹿にされ、利用され、時には財産を搾取され、それでも愛するアトラントが不利益を負わないように、理不尽な権力にへりくだり、頭を下げて、身を差し出して、愛想笑いを張り付かせて有力者に尽くした。
彼は貴族社会に絶望していたし、いつだって逃げ出してアトラントに帰りたかった。けれど、アトラントを、父や母や弟妹たちを、温かな領民たちを守りたいと思う気持ちだけで抗った。
彼は、その時に初めて自分の無知や能力の低さを悔やんだ。
悔やんでも、今陥れようとされているかもしれない厄災を回避するだけでも時間が足りない。アトラントは富んでいて、あわよくば属領として搾取したい貴族がたくさんいた。彼は今できることだけを最大限するので忙しかった。
学校を卒業し、ウリューエルトはアトラントに帰ってきた。
愛するこの地も人たちも変わらないのに、ウリューエルトはもうありのままを信じることができず、それに苦悩した。
大切なものを、信じたい。疑いたくはない。だけど疑わなくては踏みにじられてしまうかもしれない。守らなくてはならない。
彼の心はひび割れてしまっていた。
陰謀からの回避に割かれていた時間を取り戻した彼は、知識を蓄え、アトラントに尽くそうとした。
けれど、彼のひび割れた心から漏れ出た、彼が忘れようとしている怨嗟の心を帯びた魔力に、彼の身体は害されていった。
僕は彼が好きだったし、助けることはできた。だけど、彼の魂は、それを求めてはいなかった。
「神様がいるのなら、このアトラント領を守って欲しい。私にはできなかったけど、父や母や弟たち、善良な領民たちをずっと幸せに。
私は生まれ変わったなら、もう領地や人の生活を負わず、人を疑わずに生きていきたい。
私が私の責任だけを負って生きればいいのならば、こんなに自分を不甲斐ないと嘆かなくていい。責任を果たせずに潰える命を、こんなに申し訳ないと思わなくてすむ。」
永遠の眠りに近い微睡むような眠りのなかで、彼は静かに祈る。思い描くのはアトラントの緑溢れる光景と、楽しげな家族に領民たち。
彼はどこまでも実直で、優しい人間だった。
僕は、提案した。
『だったら、君の願いの対価に、君の身体を貰うよ。
君の願いを叶える魂を、君の代わりにその身体に。
そして君の魂は、君の痛みを理解してくれるだろう優しく傷ついた魂のために、別の世界に。
君には、君の能力が活かせるという僕の加護を、君の魂が蓄えていたその優しい魔力の中に刻もう。
それだったら世界を超えても持っていけるだろうから。』
一樹には、優れた能力と優しい環境を。
ウリューエルトには、自由と癒しと叶える力を。
ニコちゃんには、傷ついたときに助けてくれる優しい人を。
『君の望んだ世界で、きっと幸せになっておいで。そしてニコちゃんを、なぐさめてあげてね。』
彼はニコにゃんのいる世界で、ニコちゃんの少し歳上として生まれ変わる。
僕との約束は、きっと果たしてくれるはずと、僕は信じている。
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