4、あすかの場合

 そらのことが好きだった。一目見た時から、ずっと。

 この街に来てすぐの頃、右も左も分からない私を助けてくれたそら。短く刈り揃えられた髪が揺れ、こどもみたいに大きな瞳に、私が写った。そらが、なにものでもない私を見つけてくれたのだ。

 きっと、厭われると思っていた。街の外から来た余所者を、誰も歓迎しないだろうと。現に、街への居住を許可された私は、旅立つとき、石を投げられた。醜聞という石。

 幸運に恵まれた自分が、この世に生きていてはいけないのではないか、という疑問が、頭をよぎった。めぐり合わせた運によって、天国と地獄が入れ替わる。それを、私はいけないことだと信じた。

 だけど、そらはそんな私とは無関係に、私にやさしくしてくれた。世界を遍く照らす光のように、やさしさは不意に曲がり角から現れて、私にぶつかったのだった。

 出会いは突然だったから、私は名前を聞きそびれてしまった。そらは、ひたすらに笑顔で、私の元から去っていった。

 学校が同じだと気付いたのは、そのすぐ後だった。でも、話しかけられなかった。その勇気がなかった。理由も、きっかけも。

 今も、どうすればよかったのだろう、と頭を抱え、眠れない時がある。私は運命に出会っていながら、差し伸べられた手を、掴めなかった。

 私は、どこにもいて、どこにもいない。人と人の間に、私の居場所はなく、一人ぼっちで、誰にも気付かれず、ただ待ちぼうけの夜に立っている。

 歩き出すきっかけを私にくれたのは、例にもれず、ひなただった。

 私は秘密の契約を持ち掛けられた。答えは、もちろんイエス。

 あいの記憶の受け皿に、私はなった。

 流れ込んできた、たくさんのそらの感情や表情。全て受け止めて、私はようやく、そらの隣へ立つ。

 偽物の幼なじみとして。


 いつものガレージに、あいを含めた四人が集まっていた。雨がやみ、少しばかり寒さの和らいだ日、そらが話したいことがある、とみんなを集合させた。

「あいも行くことに決めたの?」

 あすかが、不満げな表情で尋ねる。

「まあ、ね」

 と良いとも悪いとも言わない口振りに、あすかは腹を立てたが、あえて口をつぐんだ。そのすぐ後に、そらが話し始めたから、口を開くチャンスがなかったとも言えるが。

「今日、集まってもらったのは、太陽を見に行く目的を改めて、みんなに話そうと思ったからなんだ」

 ふわ、とあくびをするちあや。そらの真剣な表情に反して、雰囲気はあたたかな気温につられ、のんびりしていた。

「目的って、ただ太陽を見たいからじゃないの?」

 とあすか。それを横目に、あいが鼻で笑う。

「何?」

「別に」

「二人とも、ストップ」

 火花が飛び交い始めたところに、すかさず、そらが割って入る。

「二人には、本当の理由は秘密にしてたの」

「待って、それじゃあ、ちあやさんは?」

「あすか、騙してごめんね。本当の立案者は私なんだ」

 え、と声を上げ、驚くあすか。

「実は、そうなんだ。私もちあやさんから話を聞いて、太陽を見に行くことに決めたの」

 そらは、懐から鍵の束を取り出して、掲げてみせた。四本の鍵と、銀のイルカのキーホルダーが揺れる。

「これは、ひなたから預かった鍵とキーホルダー。鍵はバイクのキーが二つと、ガソリンを保管してた金庫の鍵が一つ。最後の一本はまだ、何の鍵なのかは分からないまま。ひなたは結局、秘密の鍵だって言って、教えてくれなかった」

 それで、とあいが先を急かす。

「大事なのは鍵じゃなくて、こっち」

 と鍵を手の内に握り込んで、そらはイルカのキーホルダーに注目を集める。

「この中にひなたの声が入ってるみたいなの」

 首をかしげるあすか。

「どういうこと?」

「ここからは私が説明する」

 とちあやが一歩前に出る。

「このキーホルダーの中にはマイクロチップが埋め込まれていて、そこにひなたの音声データが保管されているらしい。どうにかデータを抽出して、再生できないかと試したけど、強固なプロテクトがかかっていて、ダメだった。さらに、このキーホルダーは、太陽光で動く電池を搭載していて、その電源から受けた電気でなければ動かないらしい。もしかすると、それもひなたの仕込んだプロテクトなのかもしれないけど。とにかく、これは太陽光で動き、その中に、ひなたの何かしらのメッセージが隠されている、ということになる」

「何だ。それじゃあ、そらもちあやも、私と目的は同じだったわけだ」

 とあいが呟く。

「どういうこと?」

 あすかの質問に、薄笑いを浮かべながら、あいは続ける。

「私も、そこの二人も、ひなたの影を追いかけてるってこと」

 結局、ひなたがいなくなっても、あの子の言いなりになるしかない訳だ、とあいは自嘲した。

「それがひなたなんだと思うよ」

 あいにつられるように、ちあやも薄笑いを浮かべた。少し空気が重く、湿ったようになり、四人の口が閉ざされる。

「……とにかく、出発の日時を決めよう」

 そらの号令に、全員が気合を入れ直し、返事をした。


 出発の日、月の海には、ひなたたちの乗るロケットの青白い噴射光が重なって、見えていた。

 ちあやとそらは、ガレージからバイクを運び出し、エンジンをかける。軽妙なエンジン音の二重奏は、誰もが眠っている街に響いていく。

 エンジンが温まるのを待っていると、路地の向こうから、あいが来て、荷物をバイクに括り付けた。

「あすかは?」

 聞かれて、そらは首を振る。

「まだ」

「何やってるんだか」

 あいは手をかざして、月を見上げた。

「今日ははっきり見えるね」

「ひなた、元気にしてるかな?」

「コールドスリープに入ってるんじゃないの?」

「月の重力圏を抜けるまで、手動操作って聞いた気がするよ?」

「じゃ、起きて、仕事してるんだ」

「無重力って、どんな感じだろうね」

 と雑談していると、人影が見えた。

「あ、来たみたい」

 おはよう、と声をかけたそらを無視して、あすかはバイクに取り付けられたあいの荷物を解きだした。

「ちょ、ちょっと!」

「あいは、ちあやさんの方に乗って」

「はあ?」

 険悪な応酬の間に入り、そらが二人をなだめる。

「あすかちゃん、何かあった?」

「……」

 うつむいたあすかの顔を覗き込むように、そらは腰をかがめた。あすかは顔を背け、

「二人だけで話したいことがある」

 と言った。

「あい、悪いけど、ひとまず、ちあやさんの方に乗って」

 荷物を載せかえると、ちあやが怒ったように声を上げた。

「予定より、五分オーバーだよ」

 甲高い音を響かせ、バイクは走り出した。

 住宅街の路地を抜け、四人は大通りへ出た。早い時間帯だからか、車も人もなかった。ひび割れ、落ちくぼみ、盛り上がったアスファルトの道は荒れながらも、真っ直ぐに街の外へ続く。道端に打ち捨てられた廃車で眠る猫が、バイクのエンジンに驚いて、悲鳴を上げた。

 そらの右後ろを走っていたちあやが、速度を上げ、バイクを隣に付ける。

「そら、ルートは頭に入ってる?」

 四人の計画では、街の大通りを突っ切り、峠を越える。検問所の自警団には、あいが話を通してある。隣町に出たら、次は、山中を通る高速道路に乗り、一路、東へ。シンプルなルートだった。

「ちあやさんが先行してください」

 ぶい、とピースサインを出して、そらはゆっくりと減速した。そして、ぴったりとちあやの後ろに入ると

「それで、あすかちゃん。話って?」

 あすかは、そらに隙間なく寄せた身体を、わずかに固くした。お腹に回した手が、緊張したように白くなっている。

「あいのことなの」

「やっぱり不満?」

「私が、あいのこと嫌いだと思ってる?」

「……違った?」

 ヘルメットの中に吹き込んだ風が、耳元で渦を巻き、がやがやと騒ぎ立てる。あすかの沈黙は、風にかき消された。

「ねえ、本当のことを教えて。そらは、私のこと、どれくらい知ってるの?」

 先行くちあやのバイクが、アスファルトのギャップを乗り越える。わずかに遅れて、そらたちもがくんと揺られた。

「記憶のこと?」

 そらのお腹に巻かれた、あすかの手がきつく、彼女を締め上げた。

「知ってたの? いつから?」

「初めて、会った時」

 初めてじゃない、とあすかは叫びそうになった。

「あすかちゃん、お腹くるしいよ」

 ごめん、と呟いて、あすかはそらの背中から身体を離した。

「あいが失くした記憶を、あすかちゃんが預かってくれてるんだって、思った。ひなたが秘密にしたがるわけだって。でも、私も二人のこと、悪く言えないかな」

 あはは、とわざとらしく声を上げて、そらは笑った。これ言うの、勇気いるなあ、と。

「私、急に二人がいなくなって、さびしかったんだ。だから。偽物でもいいやって、心の中で思った。全然、知らない子が、幼なじみの記憶を持って、目の前に現れて、気持ち悪いって感じもしたけど、それ以上に、一人でいるのが怖かったからさ、本当はあすかに助けられてたんだ」

 あすかがいてくれて、よかった、とそらは言った。

「……」

 あすかは頭を下げて、そらのヘルメットにこつんと当てた。

「うそつき」

「私は、記憶はもうあすかちゃんのものだと思ってる。だから、あいに返すかどうかは、あすかちゃんが決めて」

 それから二人は、峠の検問所まで無言だった。つづら折りの山道を上っていき、自警団の事務所が見えた頃、ぽつりと、あすかが口を開いた。

「ごめん、そら」

「え?」

 そらが真意を問いただそうとした時、前を走っていたちあやのバイクが完全に停車した。事務所の方から、一人の人影が歩いてくる。

「大崎先生?」

 ずかずかと早足で、そらたちに近付いてくるのは、そらの担任の大崎だった。肩をいからせ、短い髪を揺らしながら、ずんずんと進んでくる。

「どうして、ここにいるの?」

 とあいが困惑した声で言う。

 そらは、後ろのあすかに振り返って、

「あすかちゃんが話したの?」

 あすかはヘルメットを脱ぎ、頷いた。そして、バイクから飛び降りると、一目散に、大崎の元へ駆け寄った。

「ああ、そういうことだったんだ」

 あいの声が、冷たく渇いたものに変わる。

 大崎は、駆け寄ったあすかを脇に追い払い、

「そこの三人! エンジンを止めなさい!」

 と叫ぶ。

「そら、行ける?」

 ちあやが、アクセルを捻り、エンジンをふかした。

「検問を突破するってこと?」

「それ以外に何が?」

「あすかちゃんはどうするの?」

 置いていくしかないでしょ、とあいは冷たく言い放った。

 自警団はまだ動き始めておらず、そらたちを遠巻きに眺めているだけだった。仕掛けるのなら、今しかない。

「いい? そら、行くよ」

 一息にアクセルが回された。後輪が空転し、砂利を弾き飛ばして、バイクは一気に加速する。

 突然のことに固まる大崎。だが、すぐに気を取り直して、そらたちの進行方向へ駆け出した。

 が、すぐにその表情が驚愕に染まる。

「そら!?」

 ちあやのバイクの進行方向から、直角にそらは走り出した。

 大崎は自分めがけて突っ込んでくるバイクに、あたふたと困惑する。

「あすかぁ!」

 そらが叫ぶと、大崎は横っ飛びに飛んで、バイクを避けた。タイヤが高く鳴り、ゴムの焼ける臭いが煙と共に立った。

 そらは、ぽかんと呆けた顔のあすかの隣にバイクを付け、腕を掴む。

「行こう!」

「でも……」

 そらは、ヘルメットのサンバイザーをはね上げて、あすかの目を覗き込んだ。

「行かないの? ここで立ち止まるの?」

 その時、バイクのミラーがちかりと光った。そらたちの後ろから、自警団の電動自転車が迫っていた。

「……」

 無言のあすかを見て、そらはバイザーを再び下ろす。

「さよなら、あすか」

 そらは掴んでいたあすかの手を離した。

「あっ……」

 間の抜けた声がして、あすかがそらから引き剥がされる。大崎が、彼女の腕を掴み、自らに引き寄せたのだ。

「二宮さん、あなたもバイクから下りなさい」

「嫌です、先生」

「あなたたち、街の外がどれだけ危険か分かっているの。見過ごせる訳ないでしょう。下りなさい」

「それでも、行かなきゃいけないんです。行きたいんです」

 そらはギアをファーストに入れる。

「待ちなさい!」

「待って!」

 大崎とあすかの声が重なる。

「そら、私はいらないの? 私は友達じゃなかった? あいの記憶、必要でしょう? 一緒に行こうって、私には言ってくれないの?」

 あすかは大崎の腕を振り払う。駐車場を周回する、ちあやのバイクのエンジン音が、やたら呑気に響く。

「あすかが選んで」

 そらは言った。

「あすかが選ぶしかないよ。私がどんなにおねがいしても、ひなたは宇宙へ行っちゃったよ。あすかはどうするの?」

 あすかはヘルメットを被り直した。

「私も連れてって!」

 そらの口元がにやりと笑った。あすかが、そらの後ろに飛び移る。月灯りは一層、強くなって、遮るもののない検問所を黄色く照らした。

「後悔するわよ」

 大崎のしわがれた声が、二人の背中に降りかかる。

「先生、ありがとうございます」

 今、私たちは後悔しない道を一生懸命、選んでいるんです、と言って、そらは笑った。

「それが青春、でしょ?」

 大崎を置き去りにして、バイクは走り出す。

「ちあやさん!」

 そらが手を振り、自警団を引き付けていたちあやたちに合図を送る。

 駐車場を突っ切って、四人を乗せたバイクは、峠に向かって、最高速で下りていく。

 月を背後に、そらたちはくねくねとヘアピンカーブの続く峠を滑るようにして、下る。やがて、傾き出した月は山の影に隠れ、暗い夜の山道を、二つのヘッドライトが駆け抜けた。

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