通り過ぎる

小学校4年生の頃。私はその子に告白された。「好きだ。付き合って欲しい。」と、そう言われた。

私はそこまで本気では無く、ただの親友が出来たというような気分でその子と関わっていた。酷いと言うかもしれないけれど、私は女で相手も女だったのだ。その頃の私は普通に男の子が好きだった。でも何故そこでOKしたかといえば、多分その時特定の誰かが好きと言うことが無かったからだと思う。

けれど、その感覚は5年生の5月に、ものの見事にへし折られた。

私はその子と一緒に居残りをした。いつもお互いの家でしていたことと同じ事を学校でするだけだと思っていた。周りに他の子がいる間は少し違ったけれど、4時位に二人っきりになった時、いよいよいつもと変わらぬ勉強会だった。

「ねえ、なんで今日は学校なの?」確かこんなようなことを訊いた気がする。

「それはね、大人が居ないからだよ。」と、女の子にしては少し低い声で、その子は答えた。

私は何か大人が居て困る事あるだろうかと本気で考えていた。今思えば、その発言の方がよっぽど大人びていた。

そしてその子はゆっくり私の左肩に頭を転がす。

いつも隣り合って二人っきりの時にしてくる。もう慣れた彼女の短く切りそろえられた髪が少しチクチクする感覚と、それを相殺する様に香る甘ったるいシャンプーの香り、少しの汗の匂い。私にとっては心地の良いそれだった。

六角形のマイメロの鉛筆を止めた。私もその感覚に浸る。

2分くらいした時、廊下から音がする。いつも家でしてる時はその子は焦って頭を上げる。けれどその日は違った。近付く足音を耳にも留めず、続けた。寝てるのでは無いかと心配になり、小声で「ねぇ」と呼びかけると、全て察しているかのように「わかってる」と答えた。

当時の私は、わかってる訳がないと思ってしまった。今思えば確実に彼女は分かっていたんだろうけれど。

「先生g———」

私の唇に右半分は少し硬くて、左半分は蕩々な細長い指が襲う。

「シーー」

やけに長く音を伸ばした。彼女の左手の食指は私を捕らえたままだった。

もう小さくなり始めた足音が完全に聴こえなくなるまでその体制のままだった。私の鼻孔を駆け巡る空気が、彼女の指に当たって跳ね返る感覚があった。それに伴って、彼女の髪の毛は微かに揺れた。息を潜めようと細かく息をしようとして、それが逆効果だと直ぐに気付いて戻した時には、僅かに息が荒れていた。

足音が完全に消えたその瞬間、食指が漸く離れ、私が言葉を発しようとした時に、別の感覚が唇を襲った。それはこの空間に存在した、もう一つの吻だった。

この後、小学生とは到底思えない所作で、深く混えた。

この日、私達は、本当の相思相愛になった。と思う。少なくとも私の認識ではそうだった。


この日から、お互いの家に集まって勉強する事は無くなった。毎日毎日、日課のように、放課後の教室で唇と吻を重ねた。放課後になると、我慢し難くなる位には私はそれに嵌っていた。


小学生6年生の頃。まだその坩堝から抜け出せずにいた私達は、教室で毎日のように口だけを混えた。2月14日に、私達は友チョコを装ったチョコを交換しあった。その日の放課後、彼女は他の子からもらったであろう大量のチョコをバックに押し込み、帰ろうとしていた。

私は思わず「今日は…」と言ってしまう。心の中では求め続けていたけれど、実際声に出して言ったのは、この日が初めてだったと思う。

「今日は私の家で勉強会しよう。親が居ないんだ。」

爽やかな笑顔で放たれるその言葉には、邪念なんてただの少しも感じられなかった。私は一度も家に帰らないまま向かった。その時される事が、どういう事か、それを十二分にも理解しながら。

手を繋いで帰った。周りに誰も居ない隙を見て、恋人繋ぎをした。周りの目線があるときは、小6にもなって手を繋ぐのは恥ずかしい…みたいな別の目線で見られるのが嫌だったので離した。こういうのは歳相応だった。

彼女の家に付き、三階にある彼女の部屋に向かう。扉を閉める音に、妙に心を躍らせ、昂奮する私が居た。

締め切ると、埃っぽい空気が喉に触る。

「埃っぽくてごめんね。ここ寝る以外は物置みたいなものだから。」

それは家にお邪魔する度に何度も聞いた文言だった。

「分かってるよ」

自分が思っている以上にふにゃふにゃな声しか出せなくて吃驚した。

「じゃあ…どうする…?」

切り出しにくそうに籠った口調で彼女は言う。

「…お好きなように…」

私はこれから待ち受ける快楽の数々に期待を寄せながらそうやって言い放った。


初めはキスだった。いつもより私を抑える力が強い。お互いの咥内を嫌と言う程掻き回した。ベットに転がり、また少し埃が跳ねる。けれどそんなのお構いなしに続けた。

その次はお互いの身体を見せ合った。

同姓の裸体なんて、大衆浴場に行けば嫌と言うほど見れるけれど、彼女だけは違った。程よく張った胸、身体の間を駆ける一本の線、引き締まった括れ、程良く引き締まった太腿、その全てを昂奮の材料にして、噎せ返る程の息を吸い込んだ。

それに比べて、私はまだ未熟で、小さい胸、中心部だけが膨らんだお腹、引っ込まない恥丘、細すぎる腕と脚。けれどそれを、顔を真っ赤にして可愛いとそうやって言ってくれた瞬間を、未だ忘れられずに居る。

裸で抱き合った。お互いの性感帯を触り合い、どこからか引っ張り出してきた玩具を使って、お互いを慰めあった。


ずっとそんな生活だった。すっかり女性好きに調教された私は、それでも彼女と一緒ならばと気にしていなかった。


中学2年生の8月。

兎に角暑い夏の日だったことを強く記憶している。

私はまた彼女の部屋に行こうとしていた。

小声で新しい玩具を仕入れたという彼女の顔は、完全な乙女の顔だった。実際は邪恋に溢れたそれなんだけれど。

カンカンカンカン

中学は若干学校が遠くなって、踏切が通学路にある。ここで2人並んで待つと、風が気持ちよかった。大きな音に乗じて、愛を囁きあったりもした。火傷するほどの熱を、私達は未だ持っていた。今日もなにか言ってやろうと企んでいた私は、下がりだした踏切を、敢えて待った。

何をするか考えていたら、電車が通らないまま踏切の音が止まった。のっそのっそと長い棒を撓らせ、それでいて最後は機械的に直立して止まる。

周りの車が動き出す。それに釣られて私も動き出す。しかし左手だけが残された。

彼女が手を繋いだまま動こうとしなかった。

「何してるの?行こうよ。」

「変だよ。私達下がった時からここにいたからわかるじゃん。」

「壊れてたんじゃないの?それか電車遅れてるか。」

「今来たり…しないよね?」

あまりネガティブな感情を表に出さない彼女が、泣きそうな顔で言うから、私は何か変だと思った。

大人しく彼女の元に戻る。

そうして戻った時、妙に甲高い音が聞こえた。振り返った瞬間、彼女の予感は本物になる。電車がカーブを経てやって来た。当然止まり切れるはずもなく、電車は銀色の塊を撥ねた。私は咄嗟の反応で、彼女を押し出した。

痛みとかは、特になかった。奇跡的に無傷みたいだ。服についた土埃を払う。そうやって下を向いた時に、車の車輪に巻き込まれて、顔だけ確認できる自分と目が合う。虹彩が緩んだ、自分の目と、目が合う。

「ぇぁっ…」

声にならない叫び声を上げる。

いやだ。死んでない。私は死んでない。死んでない…

車の奥で彼女が起き上がる。

「ねえ!私が見えるよね!?死んでないよね!!!ねえ!!」

自分でも耳がキンとする程叫ぶ。

「ねえ…」私は歩く。車を通り抜けた気がするけどきっと気のせいだ…「私…見えるよね…」歩く、否定したい。私は「生きてるよね…」

彼女が走る。私に向かって。

良かった。さっきのは動転した私の感情から出た幻覚だ。ただの妄想だったんだ。良かった。私は生きてる。生きてるんだ。まだ貴女と、一緒に入れるんだ。ねえ。良かったよね。やった。嬉しい。私は貴女とまだ一緒にいたい。一生一緒にいたい。貴女もそうだよね。怖かった。私を慰めて。きっと抱きしめてくれるよね。私を優しく抱擁してくれるよね。貴女の柔らかい感覚が既に感じるよ。優しいキスの感覚も。髪の毛の優しい匂いも。優しい指先の感覚も。色々な感覚が押し寄せる。嬉しい。

通り過ぎる。

私の体をすり抜けて。

私がさっき目が合った。私に駆け寄る。

彼女は泣いていた。

「また………また……守れなかった………また……ッ…」

彼女は泣いていた。

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