第9話、母と娘

 翌日の放課後、身支度をした和也は、1階下の、浩二の教室へと足を運んだ。

 階段を降りていると、下から登って来た生徒会執行部の役員が、声をかけて来た。

「 よう、武内。 この前は色々と撮影、済まなかったな。 助かったよ 」

「 気にすんな。 また何かあったら、撮ってやるよ 」

「 悪いな。 また頼むわ 」

 軽く、手を上げて挨拶をし、階段を降りる和也。

 渡り廊下の手摺越しに、校庭の藤棚が目に映った。 気付くと、その下で掃き掃除をしている女生徒がいる。 和也は、慌てて手摺に駆け寄り、その女生徒を確認した。


( ・・あの子だ。 間違いない・・! )


 先日と同じように、髪を束ね、1人で掃除をしている。

 和也の胸は、高鳴った。 カバンの中には、デジカメが入っている。 和也は、急いでカメラを出すと、掃除をしている彼女の姿を撮った。 デジカメに搭載されているズーム機能では、あまり望遠は効かない。 急いで階段を降りると、藤棚の下へと和也は、走った。

「 おお~いっ、君・・! 」

 和也の声に振り向いた彼女は、走って来る和也を見ると、にこやかに笑い、竹ボウキを持ったまま言った。

「 まあ、先日のお方。 確か・・ 武内様でいらっしゃいましたね? そんなに慌てて、いかがされたのですか? 」

 ホッとするような、優しい言い回し。 相変わらず上品な雰囲気ではあるが、やはり時代錯誤的な感覚は、少々、感じる。

 今時では早々、遭遇する事は極めて少ない雰囲気を持った彼女・・ この彼女の前に立つと、和也は、気が動転してしまう。

「 ・・あ、あの・・ その・・ え~と、何だっけ? え~・・ 」

「 武内様、ほんと、面白い方。 きっと、お友だちも沢山、いらっしゃるのでしょうね 」

 微笑みながら、彼女は言った。

「 ま、まあね・・ ケンカばっかりしてるヤツもいるケド・・ 」

( ナニ言ってんだ。 早く核心に持って行かなくては・・! )

 焦る心を押し止め、和也は切り出した。

「 実は、この前の写真だけど、現像に失敗しちゃって・・・ もう一度、撮らせてくれない? 」

 彼女は、少々、困ったような顔で答えた。

「 私・・ 恥かしいです。 カメラでこちらを覗かれていると、どんな顔をしたら良いのか、迷ってしまいます。 何かが、カメラから飛び出して来るような気も致しますし・・ 」

 何と、奥ゆかしい生徒だろう。 今時、こんな純朴な子がいるだろうか・・・

 和也は、ますます、この彼女を被写体にしたくなった。

「 すぐ終るから・・! コッチ向いて。 そう、目線、そのまま・・! 」

 否応なしに、デジカメで彼女を撮る、和也。


 ・・今度は、間違いない。


 デジカメだから、フィルムの不具合はないし、現像もないから、中間処理での疑惑もあり得ない。

 確実に、ファインダーに彼女が納まっている事を確認しながら、和也は十数枚の写真を撮影した。

「 ありがとう・・! 今度こそ、大丈夫だと思う。 何度も、ごめんね 」

「 いいえ。 私の方こそ、気の利かない田舎娘で申しわけありません。 ご容赦下さいませ。 ・・失礼致します 」

 恥かしそうに一礼した彼女は、小さく和也に微笑むと竹ボウキを抱え、小走りに校舎の中へと消えて行ってしまった。

「 あ・・ 」

 もう少し話をしたかった和也だが、彼女は、そそくさと立ち去ってしまった。

 ・・仕方がない。 だが、清掃区域は、2週間ごとにしか替わらないはずだ。 とすれば、まだ今週中は、この藤棚のある庭園が、彼女のクラスの担当区域だ。 再会出来るチャンスは、充分ある。

( しまったな・・ 名前を聞いときゃ良かった・・ まあ、いいか。 今度会った時でも・・ )

「 おお~い、和也。 ナニしとんじゃ、そんなトコで。 早よ、行くぞ! 」

 浩二が、上の渡り廊下から声をかけた。 和也が見上げると、美奈子も一緒にいる。

「 おう、悪い悪い! 行こうか 」

 和也は、カメラをカバンにしまうと、校門へ向かった。


 遺骨の主『 白川 清美 』の母親が住んでいると言う竹屋町は、学校の近くの町である。 『 少しでも近くに 』という気持ちで、娘があの日、間違いなく登校した学校近くの地を選んだのだろうか・・・

 渡されたメモを頼りに、和也たち3人は、自転車で母親の家を探した。


「 その角から向こうが、竹屋町だぞ? 」

「 郵便局の筋が、3丁目じゃ。 あれだな・・! 」

「 確か、公園の前、って言ってたわね 」

 郵便局の前を通り過ぎると、公園が右手に見えて来た。 角を右に曲がる。 ほどなく、お好み焼き屋の看板を出した、小さな店が見えた。

「 あれだ・・! 」

 20坪ほどの一軒家を改築した、屋台風のこじんまりとした店だ。

「 ・・この店、知ってる・・! あたしは、来た事ないケド・・ 友だちが時々、学校帰りに寄ってるお店よ? そう、確か屋号は・・・ 」

 入り口の上に掲げられた小さな看板を見た3人は、無言となった。


『 きよみ屋 』


 事情を知る3人には、胸に迫るものがある。

 帰らぬ娘に寄せられた母親の心情を、そのまま表したような屋号であった・・・


 入り口には、定休・土日祝、とペイントしてある。 今日は平日で、営業日のはずであるが、『 本日休業 』の札が下げてある。 和也たちの訪問に供え、休みにしたのであろうか。

 建物の入り口は1つしかなく、店の入り口が、玄関と兼用のようであった。

「 本日休業、ってあるけど、開いてるのかな? 」

 インターホンも呼び鈴もない為、店のガラス戸に手を掛けながら、和也が言った。

 ガラガラ、とガラス戸は開いた。

「 あ、開いてる・・ ごめんくださ~い。 武内と申しますが~・・・ 」

 店内は、照明が切ってある為、薄暗い。 鉄板のはまった、焼きテーブルが4つ。 きれいに整頓され、床もチリ1つない。 小さい店ではあるが、外観から想像していたよりは、ずっときれいな店内だった。

「 はい、只今・・・ 」

 出て来た老婦人は、昨日会った妹と面影が似ていた。 白髪を後ろで束ね、白い割烹着を着ている。 左胸には、屋号の『 きよみ屋 』という文字刺繍が入っていた。

彼女は、和也たち3人を見ると、少し驚いたような表情を見せた。


 ガンを宣告された、患者の顔。

 死刑を宣告された、受刑者の表情。

 肉親の死を知った、家族の困惑顔・・・


 いずれも見た事はないが、そんな、一大事に遭遇した時のような表情に思える。

「 あの・・ 長束の白川さんから、お電話があったと思いますが、僕ら・・ 」

「 待って下され・・! しばらく・・・ しばらく、待って下され・・・! 」

 彼女は、両手で和也の言葉をかざすように制すると、言った。


 ・・しばらくの沈黙。


 彼女は、両手を降ろすと、下を向いたまま、和也たちに言った。

「 妹の律から、電話をもろうちょります・・! ワシは・・・ ワシは、怖いんじゃ・・! あの子の話を聞くのが・・ 怖いんじゃ・・! 」

 よろよろと、傍らのテーブルのイスに腰掛けながら、呻くように彼女は言った。


 意外な、彼女の言葉。


 意味が分からず、和也たち3人は、そのまま戸口に立っている。

 夢遊病者のように、視線を宙に泳がせつつ、ゆっくりと頭を振りながら、彼女はポツリ、ポツリと、語り始めた。

「 ・・あの子は、死んだ・・・ 清美は、二度と、ワシのトコには帰って来んのじゃ。 分かっちょる・・ それは、分かっちょるんじゃ・・・ じゃがのう・・ 清美は、ワシの心ン中で、生きちょるんじゃ・・ 清美が死んでしまう・・! あんた様らの話を聞いたら、本当に清美は死んでしまう・・! いやじゃ、いやじゃっ! ワシは、いやじゃ! 」

 突然、両手で耳を押さえ、激しく涙ながらに訴える、彼女。

 ・・和也たちの話を、今すぐにでも聞きたいのが本心だろう。 だが、彼女の気持ちも、十分理解出来る。

 思わぬ展開に、和也は戸惑った。

 どうしたらいい? という表情で、和也は、隣にいた美奈子を見た。 美奈子もまた、どうしたらいいのか分からず、躊躇の表情を返している。

 意外にも、浩二が彼女に歩み寄り、テーブルに突っ伏している彼女の、震える肩に手を掛けると、優しく言った。

「 のう、バアちゃん・・・ 心の中の人間は、魂じゃけ。 清美ちゃん供養してくれた寺の坊さんが、言っとったぞ? 魂は、永遠なんじゃと。 だから、オレらの話、聞いただけで死ぬはずなかろうが? のう? 」

 テーブルのイスを引き、浩二は、彼女の真向かいに座って続けた。

「 ワシ、アホじゃけんど、必死に清美ちゃんのコト、調べたんぞ? ようけ判ったコト、あるんじゃ。 あの日の清美ちゃんの行動も、判ったんぞ? 聞いておくれんか? 」

 彼女は、浩二の言葉に顔を上げた。

「 ・・あの日の・・・? 」

「 ほうじゃ・・! ピカドンが落ちた日のコトじゃ 」

 和也と美奈子もテーブルにつき、声を揃えた。

「 コイツが最初に、資料の中から見つけたんですよ! 清美さんの名前を 」

「 清美さん、立派に勤労奉仕作業の班長を務めてたのよ? お母さん。 毎日、毎日、土のうを担いで・・! 」

 わなわなと口を震わせながら、彼女は言った。

「 ・・お・・ おう、おう・・! 」

「 僕ら・・ 良かれと思って、失礼ながら調べさせて頂きました。 そして今日、やっと、ここに辿り着く事が出来ました 」

「 でも、お母さんが、悲しくなるから聞きたくないとおっしゃるんでしたら・・ 」

「 ・・きっ・・ き、聞かせて下され・・! あの子の事・・ も・・ もっと・・ もっと、聞かせて下され・・・! 」

 付け加えようとした美奈子の言葉をさえぎり、彼女は嘆願するように言った。 少し、ホッとした表情を目配せする、3人。

 和也は、カバンの中から数枚のコピーを取り出した。

「 これは、僕らの学校の資料室に残っていた、当時の勤労奉仕作業の、日報の写しです。 清美さんが所属していたと思われる、弐組のものです 」

「 ・・おう・・ おう・・・! 」

 彼女は、食い入るように、日報に目を通す。

「 これが、五日の日報です。 この日は、班長だったんですね。 清美さんが、ご自分で書いていらっしゃいます 」

 彼女の目が、見開かれる。

「 ・・あの子の字じゃッ・・! 清美の字じゃ・・! おおう、おおおう・・! 清美ぃ~・・! 」

 書き綴られた字体を、指でなぞる彼女。 ポタポタと、絶え間なく、涙がテーブルに落ちる。

「 ・・おお~・・ おおお~・・・! 」

 愛しい我が子を撫でるように、彼女は、コピーを擦り続けた。 その姿に、美奈子は、そっと目頭にハンカチを当てる。

「 次の日の予定が、下の方に書いてありますが『 三川町防空壕 』というのが、コイツの家の敷地から出て来た、防空壕跡だと思います。 2人の作業予定人員が1人となり、清美さんが派遣されたのだと、僕らは思います。 そこで被爆し・・ 」

 あとの言葉に詰まり、和也は説明を中断した。 彼女は、みなまで言わなくても理解したようで、3人の方を向いて言った。

「 よう見つけて下さった・・! あ・・ 有難う・・ 有難う存じます・・ 何と・・ 何とお礼したら、ええのか・・・! 」

 浩二が言った。

「 偶然、見つけたんじゃけえ、バアちゃん。 ・・ほれ・・ ホウキじゃ。 清美ちゃん、これ持って、ワシんトコの敷地に来たんじゃぞ? 」

 持って来た竹ボウキを渡す、浩二。

 彼女は、震える手で竹ボウキを受け取ると、しばらくそれを見つめて言った。

「 ・・これを・・・ これを持って、ご奉仕しとったんか、清美・・!  ほうか・・ うん、うん・・ ほうか、ほうか・・・ ご苦労様じゃった・・ ご苦労様じゃったのう、清美 」

 和也は、カバンを開けながら、彼女に言った。

「 先日、長束の白川さんにも、遺品の一部をお見せしましたが、今日は、全て持って来ました。 確認して頂けますか? 」

 彼女は、じっと和也の手元にあるカバンを見据えながら言った。

「 ・・おお・・おお・・ み・・ 見せて下され 」

 カバンの中から、遺品の品を取り出す、和也。

 かすみ模様のモンペ、革靴、制服・・・

「 きっ・・ 清美のじゃっ! みんな・・ みんなあの日、清美が着て行ったモンじゃっ・・! 」

 テーブルに置かれた遺品を、手にしていた竹ボウキと共に、飛びつく様に両手で、ガバッと抱える彼女。

「 清美ぃ~っ! 清美いい~っ・・! よう・・ 帰って来た・・ よう帰って来たのう~・・! もう・・・ もう、ドコにも行かんといておくれんか~! ひい・・ ひい・・ いひい~・・・! 」

 言葉にならぬ、嗚咽にむせぶ彼女。

 変わり果てた姿とは言え、半世紀振りの再会であった。 美奈子は、終始、もらい泣きに暮れている。

 しばらくは何も言えず、和也と浩二は、彼女が落ち着くのを待った。


 真っ赤に腫らした目を、割烹着の裾で拭きながら、しばらく経つと彼女は顔を上げた。

「 ・・あと、これも・・・ 」

 和也は、小さな、古ぼけた布の包みを取り出し、彼女に渡した。 布から出て来たのは、あの、ツゲのクシだった。

 彼女は、それをじっと見つめると、ポツリと言った。

「 高女に上がった時、お祝いに買うてやったモンですじゃ・・ 」

 無言のまま、クシに頬擦りをする、彼女。 そのまま彼女は、小さな声で語り出した。

「 ・・あの子は、真面目な子じゃった・・・ 厳しくしつけた事もあって、礼儀もわきまえておってのう・・ 親バカかもしれんが・・ ワシの自慢の娘じゃった 」

 握り締めていた制服をテーブルに置き、広げる。 それを見つめながら、当時を思い出すように彼女は続けた。

「 あの日・・・ 清美は、朝から体の具合が悪かったんじゃ。 のう? 清美・・・ 」

 制服に手を伸ばし、名札の辺りを愛しそうに触れる、彼女。

「 連日の奉仕作業で疲れとったんじゃのう・・ 学校を休みたいと言っておったんじゃが、ワシが無理矢理、行かせたんじゃ・・ みんな、お国の為に頑張っちょる。 お前1人、甘いコト言っとってどうすんじゃ、ってのう・・・! 『 お母様、私、頑張って来ます 』ちゅうて、けなげに、あの子はいつも通り、汽車で出掛けて行きおった。 そして、二度と帰って来なんだ・・・ ワシが殺したんじゃ。 同じコトなんじゃ・・・! 」

 後悔の念に、再び彼女は肩を震わせ始めた。

「 ワシが・・・ ワシが行かせなんだら、あの子は、死なずに済んだんじゃ・・・! イカン母じゃった・・! 許してくれろ、清美・・! 」

 和也は、何と慰めたら良いのか言葉が見つからず、苦慮した。 すると、また意外にも、浩二が彼女に言った。

「 そりゃ、違うぜ、バアちゃん。 結果的にそうなっただけじゃ。 いわば、運命ってヤツよ。 わしゃ、歴史は、よう分からんけえ、イカンが・・ 戦争中は、みんな同じコト言ったんと違うか? でないと、バアちゃん、悔しくて悔しくて、たまらんじゃろが 」

 彼女は、ゆっくり顔を上げると、浩二の方を見て言った。

「 お前様は・・ さっぱりしとるのう・・・! 救われるようじゃ・・ ほうじゃ・・ 悔しくてのう。 毎日、毎日、広島の町を捜し歩いたわい。 道端に転がっとるホトケ様を、1つ1つ、確認してのう・・・ 」

「 日報を見れば、分かったかもしれないわね・・! その時なら、清美さん、まだ・・ 」

 失言したと気付いた美奈子が、途中で、口をつぐんだ。

 制服の上にクシを置き、彼女が答える。

「 こんな日報を書いちょったコトすら、知らなんだけえ・・・ 女学校へも、毎日のように行ってたんじゃがのう。 ほとんど焼けてしもうてな。 身元の分からんホトケ様を、清美と思って供養の手伝いをしちょった。 みんな、真っ黒コゲでのう・・ 地獄じゃったわ・・・ 」

 3人の顔を、かわるがわる見た彼女は、続けた。

「 色々、お世話になったのう。 何と、お礼をしたら良いのか・・・ 重ね重ね、お礼、申し上げます。 清美も、やっと帰って来れて、喜んどる思います 」

 深々と、頭を下げる彼女に、3人は恐縮した。

「 清美のお骨は、お嬢さんのご親戚のお寺で、供養して頂いたそうじゃな。 有り難い事ですじゃ。 日を改めて、お参りに行かせてもらいますけえ 」

 美奈子に再び、頭を下げる彼女。

 浩二が言った。

「 何なら、今から行こうか? バアちゃん 」

「 そうしたいんじゃが、ワシは足を悪くしてのう。 あまり歩けんのじゃ 」

「 ワシんちの防空壕跡なら近いけえ、どうじゃ? 」

 和也も賛成のようで、続けた。

「 三川町ならすぐ近くですよ? ゆっくり歩いて行きましょう。 僕らが案内しますから 」

 彼女は、嬉しそうな表情を見せ、言った。

「 おお・・ ご案内下さるのか? では、是非・・ 是非、お願いします・・・! 」


 玄関を施錠し、浩二の家へ向かう。

 杖を突きながら、彼女は、ゆっくりと歩いた。 その両脇を、和也たち3人が、自転車を押しながら歩いている。

「 こちらに住んで・・ ずっと、お好み焼き屋さんを、していらっしゃるんですか? 」

 美奈子が聞いた。

「 そうじゃのう・・ もう、何十年になるかのう・・・ 清美が通っておった学校の生徒さんたちが来てくれるけのう、楽しいよ。 あんな時代じゃなかったら、清美も、こうやって友だちとお喋りしながら、なんぞ食いモンでも買うておったんじゃろな、てのう・・・ 」

「 バアちゃん、足、大丈夫か? もっと、ゆっくり歩いてもええぞ? 」

 浩二が気遣い、声をかける。

「 なんの。 清美が待っちょるけえ、これしき大丈夫じゃ。 ・・何か、今日は、よう足が動くのう・・! 痛くないぞえ? 」

 田中町を過ぎ、三川町へ入る。

 浩二が言った。

「 ・・なあ、和也・・ 」

「 ん・・? 」

「 ワシ、あの防空壕跡を保存しよう、思うんじゃが・・ どうじゃ? 手伝ってくれるか? 」

「 保存? 」

「 ほうじゃ。 もちろん、オヤジにも許可が必要じゃ思うが・・ あそこは元々、何にもなかったトコじゃけえ、別に、問題ねえと思う 」

「 保存か・・・ まあ、お前のウチの敷地だし、問題はないと思うけど・・ どんな感じに保存するつもりなんだ? 」

「 ワシらの知らん昔に、こんな事実があったんじゃ。 バアちゃんさえ良ければ、日報のコピーも掲示して、詳しゅう、事のてん末を書いた案内板なんかも建ててのう・・ みんなが見学して、みんなが過去の事実を知って・・・ 何ちゅうか、勉強出来るようなトコにしたいんじゃ 」

 美奈子が反応した。

「 ・・すごいじゃない・・! 恒川君から、そんな考えが出るなんて、信じらんないわ・・! 」

 和也も、同感のようだ。

「 お前、そのアイデア、生まれてから18年間の中で、多分、最高だと思うぞ! 」

「 ・・お前ら、それ、ホメとんのか? 何か、引っ掛かるぞ? 」

 プライバシーに関する事でもある。 和也は、彼女に聞いてみた。

「 どうですか? もし、名前の公表に抵抗をお感じでしたら、その点は、差し控えますが・・ 」

 しばらく考えて、彼女は答えた。

「 何も、隠す必要など、ないのう。 何十年と、忘れ去られていた清美じゃ・・ その分、皆様に知って頂いたら、清美も本望じゃろて。 何なら、お返し頂いた遺品も、寄付しますけえ・・・! わしゃ、お骨さえ手元にあったら、それでええんじゃ。 見たくなったら、いつでも行けるけえ。 近くじゃしのう 」

 浩二の提案で、意外な方向に、展開が開けたようだ。

 美奈子が言った。

「 市にお願いして、市跡として認定してもらうのも良いかもよ? 」

「 そうだな・・! ・・こりゃ、今年の夏休みは大変だぞ? まずは、ドカチンからだな。 浩二、出番があったじゃないか 」

「 ほうじゃのう! 力仕事だったら、任しとけ! 」


 工場の敷地に入る。

 掘り返されたままの土盛りの中に、朽ち果てたコンクリート製の躯体が見える。 天板は、すっかり乾き、時折、吹き抜ける夏風に、白い埃を舞わせていた。


「 足元が悪いですから、気を付けて下さい 」

 和也の注意に、美奈子が彼女の左手を支え、開けられた入り口付近まで降りた。 入り口の穴は、到底、体の不自由な彼女には、くぐる事は出来ない。

 ぽっかり開いた、暗い穴の前にしゃがむ、彼女。

「 ・・おお、おお・・ こんなトコにおったんか、清美・・・! 」

 身を乗り出し、彼女は、穴の中に向かって、呼びかけるように言った。

「 清美ぃ~・・・ 迎えに来たぞう~・・! 今まで待たして、イカンかったのう~・・ 帰ろうやあ~・・・! 清美ぃ~・・・ 」


『 お母様ぁ~・・! 清美は、とても恐ろしゅうございました。 さあ、早よう帰りましょう・・! 今日は私、1人で、ここのご奉仕をしていたのですよ? 清美を、誉めて下さいませ、お母様・・・! 』


 3人には、そんな返事が聴こえたように感じた。

 ハンカチを取り出し、そっと目頭を押さえる、彼女。 美奈子もまた、潤んで来た瞳を、指先で拭う。

 

 閉じ込められていた魂は、半世紀の時を越え、今、その母の元に帰った・・・


 悲しい過去の事実を、再認識する事となった彼女ではあったが、和也たちの苦労により、一応の区切りをつける事が出来た事だろう。


 ・・・未だ帰らぬ魂。


 そんな、時を忘れ、彷徨う御霊は、まだまだこの地には、多い事だろう。 今回、偶然に発見された事実・・・ 和也たち3人にとっては、過ぎ去った過去の重さを実感する、良き経験となった。


「 キレイに整備して、中に入れるようになったら連絡するきに、待っとってくれや。 のう、バアちゃん 」

 土盛りの外に上がった彼女に、浩二は言った。

「 あの子は、恥かしがり屋じゃったけえ、イヤがるかもしれんが・・ 清美みたいな最期を迎えた子らは、他にもいっぱい、いたんじゃ。 その事を、現在に知らしめるのが・・ これからの、あの子の奉仕かもしれんのう。 永遠に、お役に立つ奉仕じゃ。 そんな名誉なコト、普通じゃ出来ん。 あの子には、そう言っとくけえ 」

「 ほうじゃのう。 じゃ、ワシらは、清美ちゃんの働くトコ、精一杯、作ってやるきにな。 それまでは、充分に休んどいてくれって、伝えといてくれや 」

 浩二は、笑顔で彼女に答えた。

「 あ、ちょっと、そのまま・・ 」

 和也は、カバンからデジカメではなく、一眼レフを取り出すと、防空壕跡にたたずむ彼女の姿を、ファインダーに1枚、納めた。

「 美奈子と浩二も入れよ。 記念館として完成したら、またみんなで撮ろうぜ 」

「 こんなヨボヨボ、撮ってもろうて、済まんのう。 出来たら1枚、もらえんかのう? 店に貼っておくきに 」

「 あ、じゃあ、私が持って行ってあげるわ。 私の友だち、あのお店によく行くらしいから。 お母さんのお好み焼きも、食べてみたいし 」

 美奈子の言葉に、彼女は、目を細めながら言った。

「 おお、おお・・! そりゃ楽しみじゃのう・・! 是非、来ておくれよ? あんた様らは、清美のお友達みたいなモンじゃけえ 」

「 バアちゃん、ワシ、イカ玉な。 大盛りで頼むわ 」

「 よし、よし。 必ず、来るんじゃぞ? 待っとるけえな 」

 和也が言った。

「 コイツ行ったら、店のモン、全部、食っちまいますよ? 」

 夏の夕暮れの空に、皆の笑い声が響いた。

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