第7話、帰郷
日曜日。
浩二と美奈子の2人と落ち合った和也は、遺骨の主と思われる『 白川 清美 』の実家がある、安佐南区へ向かった。
広島駅より可部線に乗り、安芸長束(あきながつか)の駅で下車する。
辺りは、閑静な住宅街だった。 河川整備された川が静かに流れ、駅より西南には丘陵地があり、大きな森が広がっている。
コピーして来た住宅地図を広げ、名簿にあった住所を確認する。
「 ここが、駅でしょ? 2丁目が、ココだから・・ この道を行って、左ね 」
美奈子が指差す向こうには、郷中にあるような古い民家が、かたまって点在しているようだ。 公民館だろうか、駐車場を備えたコンクリート造りの建物も見える。 大きな竹林の脇にある細い路地を抜けると、黒い格子戸のある民家が、何軒も並んで建っていた。
「 静かなトコじゃのう。 ワシんトコみたいな町より、コッチの方がええのう 」
浩二が言った。
「 この辺りは、大きな家が多いわね。 旧家ばかりだわ。 ・・あ、次の道、右よ 」
地図を見ながら歩いていた美奈子が案内する。
「 古い街並みだなあ。 カメラを持って来れば良かった。 昔からの農家が多いみたいだね 」
家並みを見ながら、和也が言った。
3人の気配を感じ、どこかの庭先で犬が吠えている。
「 次の角が、そうよ・・? 」
やがて、大きな門構えの旧家が現われた。 土塀と格子の垣根に囲まれた、かなり大きな屋敷である。
「 ・・これけえ・・? でっけえウチじゃなあ~・・・! 」
山門のような門を見上げながら、浩二が言った。
表札には、確かに『 白川 』とある。 開け放たれた門の中には、きれいに手入れされた、立派な松の木があった。 石畳が、少し向こうにある玄関まで続いている。
「 インターホン、ないわね。 入るしかないみたい・・・ 」
美奈子が、和也の顔を見ながら言った。
なぜか、恐る恐る、庭に入る3人。
母屋の他に、作業小屋のような建物と、寄せ屋根の離れらしき建物がある。 白壁の蔵もあった。
「 ・・こりゃ、農家じゃないな。 昔の庄屋だ。 いわゆる、大地主、ってヤツだな 」
和也が言った。
「 あの古い倉庫みたいな建物・・ 製糸工場だったんじゃないの? 織機みたいなものがあるわ 」
美奈子が言う建物の脇には、真っ赤に錆びた織機らしい機械が何台も遺棄してあった。 おそらく、当時は、かなりの資産家であったのだろう。 現在でも、不動産などの保有数は、随分あるのではないかと推察される。
玄関まで来ると、和也は、呼び鈴を押した。
家の中で、チャイムが鳴っている。 しかし、何の応答もない。
もう一度、呼び鈴を押し、和也は、玄関から続く母屋の方に向かって挨拶をした。
「 ごめんくださ~い・・! 」
「 はあい、只今、参ります 」
母屋の、どことなく奥の方から声が聞こえ、廊下を歩く足音がした。 磨りガラスの引き戸の向こうで、人の動く気配がする。
しばらくすると、玄関の鍵を開け、1人の老婦人が姿を現わした。
ヤセ気味で、身長はそんなに高くない。 短く切った白髪に、パーマをかけて、ベージュのワンピーズを着ており、 品の良さが感じられる老婦人だった。
玄関先に、若い男女が3人も立っていた事に驚いたのか、老婦人は、目を丸くして尋ねた。
「 ナンでしょうか・・? 」
和也が言った。
「 突然で申しわけありません。 僕ら、広島市内の高校に通う高校生ですが・・ 少々、お尋ねしたい事がありまして。 あの・・ 白川 紀美さん・・ ですか? 」
老婦人は、ポカンと口を開けたまま答えた。
「 いや・・ 紀美は、姉さまじゃが・・ 姉さまに御用けえ? だったら、広島におるんじゃがのう 」
頭をかきながら言う老婦人に、美奈子が言った。
「 私たち、友人の家の敷地から出て来た防空壕の中から、戦時中に亡くなったと思われる方の、遺骨と遺品を見つけたんです 」
「 防空壕? 遺品? ほう、ほう・・・! 」
老婦人は、興味を示したようだ。
この時代を経験した人たちは、当時の話をする事に抵抗を感じ、毛嫌いする人が多い。 以前、中学の時に、課外学習で戦時中の体験を高齢者に聞くという授業があったが、あまり多くを語りたがらない人が大部分であった、という記憶が和也にはある。 しかし、この老婦人の場合は、そうではないようだ。
美奈子は続けた。
「 遺品の中に、名前が確認出来るものがありまして・・・ 『 白川 清美 』という名前の方、ご存知ありませんか? 」
一気に、核心の確認へと漕ぎ着ける美奈子。 実に、簡素で分かりやすく、自然な質問の仕方である。
はたして、老婦人の目は、更に大きく見開かれた。
「 ・・な、ナンじゃとっ? い、今・・・ 清美と言うたか? お嬢さんっ・・! 」
老婦人は、組み付くように、美奈子の両肩を掴み、聞き直す。 ただ事ではないようだ。
老婦人の勢いに、押され気味になりながら、美奈子は答えた。
「 は、はい・・! 白川 清美さんです。 私たちが調べたうちでは、広島高等専門女学校に通っておられた方だと思うのですが・・・ 」
老婦人の顔に、驚喜とも言える表情が見て取れた。
「 きっ、きっ、・・ 清ちゃんじゃっ! ウチの清美じゃ。 姉さまの娘じゃよ! 」
飛び出さんばかりに目を見開き、わなわなと振るえながら、老婦人は言った。
3人は、顔を合わせ、やがて歓喜の声を上げる。
「 やったあ! やっぱり、この家だったんだ! 」
「 やったのう! ビンゴじゃ! 」
興奮が収まらないのは、老婦人も同じのようだった。
「 お前さんら・・ わ・・ わざわざ調べて、来てくれたんけえ? まあ、まあ・・ 何て、まあ・・! 」
老婦人の目が、潤んでいる。
「 ま、ま・・ 中に入って下さいな。 え、えらいこっちゃ・・! 姉さまに、電話せな・・! 」
老婦人は、とりあえず和也たちを応接間に通すと、バタバタと奥の間へ入って行った。
最高の展開である。
どうやら、遺骨の主の家は、ここに間違いないらしい。 しかも、母親も健在のようである。 かなりの高齢ではあると思われるが、先程の話では、広島市内に在住との事だ。 半世紀振りの親子の対面を、この手で実現させたいという希望が、まさに現実のものとなったようである。
応接間のソファーに座って、3人は、老婦人を待った。
浩二が、一息つきながら言った。
「 良かったのう・・! これで遺骨も返せて、ばん万歳じゃ・・! のう、和也 」
「 ああ・・! 塚本も、有難うな。 助かったよ 」
「 ううん、あたしの方こそ、いい経験させてもらっちゃった。 早く、お母さんの所に、遺骨を返してあげたいね 」
やがて先程の老婦人が、麦茶を入れたコップを3つ、盆に乗せ、3人の所へやって来た。
「 待たせて済まんかったのう。 今、姉さまのトコに電話したんじゃが、留守のようじゃ。 日赤近くの竹屋町で、お好み焼屋をやっちょってのう。 多分、今の時間は、買いモンでも行っとるんじゃろ。 また後で、電話しておくきに、まあ、麦茶でも飲んで下され 」
3人の前にコップを置いた老婦人は、大きくため息を尽くと、和也たちの顔を、順番に見つめながら、しみじみと言った。
「 こんな事って、あるんじゃのう・・! こんな若い、お前さんたちが、身も知らん他人の為に・・・ あり難い事じゃ。 姉さまも、さぞ喜ばれる事じゃろ 」
出された麦茶を、ひと口飲んだ和也が言った。
「 遺品の上着を持って来てますので、見て頂けますか? 」
「 おう、おう・・ 是非、見せて下さいまし・・! 」
浩二が、肩から掛けていたカバンの中から、折り畳んだセーラー服を出し、和也に渡す。 和也は、それをテーブルの上に置くと、そっと広げた。
・・今、まさにこの制服は、実に・・ 半世紀振りに、家に帰って来た事になる。
老婦人は、それをしばらくじっと見つめた。
おもむろに手を伸ばし、震える指先で制服に触れる。
「 名札が、かすかに読めますでしょう? 僕ら、そこから調べたんです。 校章が付いていたのが、一番の決め手でした。 学校の古い資料から、調べる事が出来たんです 」
和也の説明に、老婦人は、何度も頷いた。
「 ・・この名札は、姉さまが書いたモンじゃ・・! 姉さまは、習字が得意でのう。 そのかわり、裁縫は苦手じゃった。 姉さまが書いて、ワシが縫ったんじゃ・・ 」
和也が、確認の意味も含め、尋ねる。
「 こちらの、清美さんのものに、間違いありませんね? 」
老婦人は、ハンカチで目を押さえながら、頷いた。
「 清美のモンに・・ 間違いないですじゃ・・! 戸口に引っ掛けて破いた、袖の縫い跡もある。 間違いない。 あの日、清美が着て行った、上着じゃ・・! 」
感極まった老婦人は、しばらくハンカチで顔を覆い、嗚咽にむせた。
少しの間を置いたあと、美奈子が言った。
「 お骨の方は、私の親戚のお寺で供養して、預かってもらってます。 猫屋町の恵宋寺です 」
「 おう、おう・・ 何から何まで、済まん事じゃ。 清ちゃんも、いい人に拾われて・・・ 良かったのう・・! 」
ハンカチで、再び目頭を押さえる、老婦人。
浩二が尋ねた。
「 バアさま。 その、姉さまのお好み焼屋、って、ドコにあるんじゃ? ワシら、他の遺品なんぞ持って、日を改めて行くきに 」
「 おう、おう、そうじゃったの。 住所はここじゃ・・ 」
老婦人は、住所を書いたメモをテーブルの上に置くと、言った。
「 ピカドンが落ちた、あの日以来・・ 清ちゃんは、この家には帰って来ん・・・ どこで死んだのか、それすら分からんかったんじゃ。 姉さまは、少しでも清ちゃんの近くにいたい、と・・ 広島に、土地を買ってのう。 1人で、住んどんじゃ。 旦那様も、フィリピンで戦死されてなあ。 不憫な事じゃ・・・ 月に1~2度は、コッチに帰って来るがのう。 足を悪くして、あまり歩けんようになってしもうたけん、難儀な事じゃ 」
和也は言った。
「 明日、学校が終ったら、僕ら、清美さんのお母さんに会いに行きます。 その事を、宜しくお伝えして下さい。 もし、都合が悪ければ、ここにお電話を・・ これ、僕の家の電話番号です 」
渡されたメモを確認すると、老婦人は言った。
「 武内さん、とおっしゃるかね。 そちらの方は、何と? 」
「 あ、まだ自己紹介もしてませんでしたね。 私は、塚本といいます 」
「 ワシは、恒川じゃ。 防空壕は、ワシんトコの敷地から出て来たけえ 」
「 そうかね。 いずれ、お参りにいかにゃならんのう・・ 」
浩二と美奈子の名前を、メモの端に書き込みながら、老婦人は言った。
制服をたたみながら、和也が聞く。
「 これは、お母さんにお渡しします。 ・・宜しいですか? 」
「 そうして下され。 ・・・しかし、夢のようじゃのう・・! あの子が生きて帰って来た訳じゃないんじゃが・・ 目の前に、あの子の服があると、まるで、帰って来たような気がするのう。 『 お母様、只今、帰りました 』って・・・ その玄関、開けてのう・・ 」
身元が判明した、遺骨の主・・・
それは、やはり、和也たちが通う学校の、はるか昔の先輩であった。
尋常小学を卒業後、女子の高等科に進み、学徒動員に従事。 あの防空壕で1人寂しく、この世を去って逝った、悲運の少女であった。 享年、14歳・・・
帰り道、和也たちの心の中には、目的を達成した感動の他に、確信した過去の事実の重さがあった。
今の自分たちの生活からは、想像もつかない、当時の生活。
そんな時代の中で生きた、清美という1人の少女の青春と、たった14年というあまりに短い、彼女の人生・・・
彼女だけではない。 同じような境遇の生徒たちが、他にも数えられないくらい、いたに違いない。 遠く南洋の島々や、特攻として洋上で亡くなった者たちは、遺骨すら帰って来ないのだ。
過去に確かに存在した、忌まわしい歴史を、改めて考え入る、和也たちであった。
「 どうして清美さんは、あの防空壕にいたのかしら・・・ もっとも、外にいたら原爆の熱で、何もかも無くなってたと思うけど 」
駅へ戻る道を歩きつつ、呟くように言った美奈子の問いに、浩二が答えた。
「 そりゃ、空襲警報が鳴ったから、入ったんと違うか? 」
和也は、少し考えてから言った。
「 オレ、原爆に関する本を、少し読んだんだけど・・・ 当時は、しょっちゅう警報が鳴ってて、みんな、慣れっこになってたらしいよ。 警報が鳴っても、空襲がなかったり、遠くの爆撃だったりしたから、みんな平気で外を出歩いていたらしい。 原爆が投下された日も、朝7時から警報が鳴っていたそうだ。 ・・う~ん、確かに、たった1人だけ防空壕にいたと言うのは、引っ掛かるなあ・・・ 何か、不自然だ 」
美奈子が言った。
「 でしょ・・? 警報が鳴って、避難の為に防空壕へ入ったとすれば、他の人もいたはずだと思うんだけど・・ 」
「 1人だけ入って、ドカーンって、来たのかもしれんぞ? 」
そう言う浩二に、和也が言った。
「 そこんトコは、もっと調べないとな・・ 」
「 何か、調べる手立てがあるの? 」
美奈子が尋ねる。
「 資料室に、課外記録、ってのがあったろ? 」
「 ああ、あの分厚い資料? あれは、校外学習の記録よ。 あたし、去年、係りだったから作成したもん 」
「 だって、昭和18年、なんてものもあったぜ? 戦時中だろ? のん気に、遠足なんか行くと思うか? 」
少々、考えると、美奈子は言った。
「 ・・そうねえ、確かに当時だったら、あり得ないかも・・ じゃ、何の記録? 」
「 分かんないケド・・ もしかしたら、勤労奉仕の記録なんかがあるんじゃないかな、って思ってさ 」
「 勤労奉仕・・・ う~ん、なるほど。 時代的には、そうかもしれないわね。 何らかの作業で、あの防空壕へ入ったのかも・・・ じゃあ、学校、行ってみる? 今日は、職員室のドアを修理するって、先生、言ってたから・・ 多分、学校、開いてるわよ? 」
「 おいおい、部活じゃあるめえし、日曜なのに学校、行くんかよ 」
浩二が、ウンザリしたように言った。
「 じゃあ、お前は帰れよ。 この調査項目は、本題とは別だからな。 敵前逃亡とは言えないから、無理しなくていいぜ? オレらで調べてみるからさ 」
「 そう言われるとなあ~・・ 何か、仲間外れされたみたいじゃのう。 せっかく、今まで一緒に調べて来たんじゃし・・ ワシだって、気になるけえ 」
「 じゃあ、来いよ。 明日、お母さんに会いに行くんだから、調査は、今日しか出来ないんだぜ? 」
美奈子が、浩二を横目で見ながら言った。
「 清美さんの、運命の日の行動が分かったら・・・ お母さん、喜ぶだろうなあ~・・・? 」
「 分かった、分かった・・! 行きゃ、ええんじゃろ? 乗り掛けた船じゃ。 付き合うちゃるけえ・・! 」
和也が、笑いながら言った。
「 今年の夏は、色々と経験が出来て、いいだろ? 」
ふてくされたように、浩二が答える。
「 ったく・・ 日曜に、ワシが学校行って、図書館で調べ物しとった・・ なんちゅう事、オヤジが聞いたら、倒れるかもしれねえぞ? ヘタすっと、心臓が止まるわ 」
やがて駅に着いた。
改札をくぐり、プラットホームに立った美奈子が、広島方面に向かって真っ直ぐ伸びるレールを見つめながら、ポツリと呟いた。
「 このレールの上を・・ 清美さんも、学校に向かって行ったのね・・・ 」
二度と還る事の無い、永遠の旅立ち・・・
夏の日差しに、銀色に輝くレールは無機質に、夏空の青さを反射していた。
和也も、美奈子の横に立ち、広島方面を眺めながら言った。
「 そうだね・・ 今日のような、よく晴れた夏の日の朝だ 」
ホームのベンチに、腰掛けていた浩二が言った。
「 よく、『 昨日の事みたい 』と言うじゃねえか。 ・・こんなんを、言うのかもしれねえな・・・ 」
郊外にある駅の、日曜の昼下がり。
静かな駅舎は、過ぎ去った過去の情景から、旅立って逝った1人の少女の姿を思い起こしているかのようだった。
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