第6話、少女

 校庭に照りつける太陽。

 校門脇にある木々から聞こえる蝉の声も、一段と大きくなって来た。


 原爆が投下された、あの日の朝・・・ この広島は、今日のような快晴であったという。

 人々が、今日の生活を始めようとした、午前8時15分。 何の罪も無い人々の頭上で、人類初の原子爆弾は炸裂した。

 爆心地直下から500メートル半径では、一瞬にして、3000度から4000度の凄まじい熱風が吹き荒れ、石と鉄以外のものは、すべて消滅した。

 続いて、大火災。

 逃げる所など、どこにも無い。

 全ての物が、自ら燃え出す灼熱地獄において、立ったまま、子供を抱いたまま・・ 何が起きたのか分からないまま、わずか数分間で、14万人という途方もない数の命が奪われていった・・・


 これは、すべて事実なのだ。

 この地で、実際に半世紀前の朝、起こった事なのだ。

 家に帰ってからも、和也は、学校の図書館で借りて来た、原爆に関する本を読んだ。 読めば読むほど、調べれば調べるほど、この地で起こった痛ましい過去の重さが、和也にはショックだった。


 その後の放射能の影響で、戦後も、死者は増え続けている。 ’93年時点で、何と、30万人を突破しているのだ。 実際に被爆して亡くなった人の数の、2倍以上である。

 和也たちが見つけた、あの遺骨の主も、この膨大な数となった犠牲者の内の1人なのだ。


 何が起きたのか判らないまま、死んでいった人々・・・

 和也が立っている校庭の足の下にも、人知れず、御霊が眠っているかもしれない。

 事実、和也たちの学校も、被爆した後は臨時病院となり、数多くの人々が収容されていたと、その文献には記載されていた。 もっとも、病院というより、遺体収容場と言った方が正しかったようである。

 物資の無い時代・・・ 当然、薬などの医薬品や機器も乏しかった為、運び込まれた人々に対して、何も手当てを施せなかったのが実情であったようだ。

 ただ単に、苦しみを長らえるだけで、放置せざるを得なかった人々・・・

 焼けただれた手で空をつかみ・・ うめきながら、悶え苦しみながら、数千人が、この学校で死んでいった。

 山のように積まれた遺体を燃やす煙が、毎日、上がっていたという・・・


 バレー部の撮影を終えた和也は、じっと校庭を見つめながら、遠い過去への想像を巡らせていた。


 くすんだ空、倒壊した建物、校舎内にうごめく、ひん死のケガ人。

 遺体を焼く煙が、遥か上空まで立ち昇っている・・・

 

 そんな情景が、活発に活動している野球部や、陸上部の姿と重なった。

( ・・・もし、オレが、あの遺骨の主と同じ時代に生まれて来たら・・・ 手に持っていたのはカメラなんかじゃない。 銃、だったんだな・・・! そして、ここで焼かれたか、焼く手伝いをしていたか・・ どちらかなんだ )


 ・・・確かに、戦争は、とっくの昔に終った。


 でも、そんな事では、割り切れない気持ちでいっぱいの和也であった。

 死んでいった罪もない人々の為に、今、自分に出来る事はないのか? ささやかではあるが、あの遺骨の主を弔う事が出来たら・・・

 人は、助け合って生きているという事を諭してくれた、あの住職の言葉を、和也は思い出した。

( あの遺骨の主は、もう生きちゃいないけど・・ 住職は、魂は永遠だと言ってたな。 だったら、彼女の魂の為に、最善を尽くそう・・! )

 沈痛な心境の中に、決意を新にして、和也は図書館へ向かった。


 ふと、校庭脇の小さな庭園の中にある藤棚の辺りで、先日、恵栄寺の帰りに見かけた、あの女生徒を見つけた。 肩まである髪を、後ろで1つに縛り、藤棚の下を、竹ボウキで掃除している。

 この清掃エリアは、3年生だ。 彼女は、どうやら和也と同じ学年のようである。

( どうしよう・・! 声を掛けようか・・・? イキナリ『 写真、撮らせてくれ 』と言ったって、警戒するよな。 でも、いつか頼むんだし・・ 今なら、周りに誰もいないな・・・  よしっ・・! )


 踏ん切りをつけると、和也は、彼女に近寄った。

 しかし、彼女は、掃除が終ったらしく、和也に背中を見せ、校舎の方へと歩き出して行く。

「 ・・あ、ちょっと・・! 」

 思わず、和也は呼び止めた。

「 ? 」

 振り向く、彼女。

 つぶらな澄んだ瞳に、透き通るような白い肌。 よく手入れされた、クシの通った髪が、日に輝いている。

 和也は、妙にドキドキした。

「 ・・あの・・ あ、僕、写真部の武内って言うんだけど・・ その・・ 」

「 タケウチ、様? はい、何でしょうか 」

 丁寧に答える、彼女。 その言葉の響きには、育ちの良さがうかがえた。 嫌味の無い、自然な上品さである。

「 いや・・あの・・ え~と・・・ 」

 接した事のない雰囲気を持つ彼女に、和也は焦った。

 彼女は、少しクスッと笑うと、和也に言った。

「 おかしな方。 私に、何か御用ですか? 」

 実に、大人びた丁寧語である。いや・・ むしろ、時代錯誤に陥りそうな言葉使いだ。 それを、彼女は使いこなしており、日常的な雰囲気が感じられる。 茶道の家元か何かの、由緒ある家柄の娘なのだろうか?

 住む世界が違う者と遭遇したようで、和也は、完全に舞い上がっていた。

「 あ、はい・・! 御用です。 いや、御用じゃなくて・・ え~・・ えっとね・・ 」

 彼女は、和也が持っていたカメラに気付いたようだ。

「 立派なカメラをお持ちなんですね。 舶来のものなんですか? 」

「 え? あ、いや・・国産だけど・・ 」

「 そんな立派なもの、拝見した事がありません。 武内様は、分限者でいらっしゃるのですね 」

「 はあ・・・ 」

 和也の持っていたカメラは、一般の一眼レフよりはプロ仕様ではあったが、そんなに高級なモデルではない。 どうやら、彼女はカメラに対して、まったく知識はないようである。

 少し、冷静さを取り戻した和也は、思い切って彼女に言った。

「 実は、写真を1枚、撮らせて欲しいんだ。 秋の文化祭の発表を、人物写真にしようとしてるんだけど・・ 」

 何とか、言えた。 断られても悔いはない。 ダメ元だ。

 彼女は、右手を口の辺りに持っていき、はにかみながら答えた。

「 私など、お写真をお撮りするに、値しませんよ。 武内様の、ご友人の方にお頼みすればよろしいでしょうに・・ 」

「 いや、君がいいんだ・・! ヘンに格好をとる必要はないから、ここでいいよ! ちょっと、そのまま・・! 」

 慌ててカメラを用意する和也。 少々、強引だが、こんなチャンスは、この先ないかもしれない。

 恥かしがる彼女を、強引にファインダーに入れ、和也はシャッターを切った。

「 コッチを意識しなくていいよ。 普通に、自然に立っていてくれればいいから 」

 数枚をカメラに収めた和也に、彼女は言った。

「 私、もう行きませんと・・ 作業日報を、提出しなくてはいけませんから 」

 清掃の作業日報の存在など、和也には、心当たりがなかった。 おそらく、早くこの場を立ち去りたいという、彼女の即席な言い訳だろう。

「 あ、ありがとう。 助かったよ。 写真展、見に来てね。 必ず、展示するから・・! 」

 和也がそう言うと、軽く一礼し、彼女は校舎の中へと消えて行った。


「 ・・・フラれたか・・ 」


 苦笑いをしながら、和也は呟いた。

 まあ、気が向けば、写真展に来るかもしれない。 その時に、改めてもう一度、挨拶をしようと、和也は思った。


 不思議な印象の彼女・・・


 その為もあってか、和也にとって彼女は、よりいっそう興味ある存在となっていった。


 図書館へ行くと、資料室の中で美奈子と浩二が、昨日と同じように資料とにらめっこをしていた。

「 あ、武内君! あった、あったよ! 白川 清美って名前・・! 」

 和也に気付いた美奈子は、手招きしながら、少し興奮気味で言った。

「 えっ! ホントか! 」

 慌てて駆け寄る、和也。 美奈子が指差す名簿には、確かに『 白川 清美 』とある。

「 やったな! ホントに在校してたんだ・・! 」

「 オレが、見つけたんじゃぞ? 」

 浩二が、胸を張って言った。

 美奈子が、付け加える。

「 この16年の名簿の後は、21年まで無いのよ。 この清美さんが、この後、高等小学に進んだかどうかは、判らないわ。 同姓同名の他人、ってコトもあるし・・・ でも、遺骨の主が、この清美さんである確立は高いわね・・! 」

 少々、興奮気味の和也は言った。

「 いいぞォ~・・! ついに、ここまで来たか・・! 住所は? 」

「 安佐南区よ。 長束ってトコ。 当時でも、汽車で通える範囲ね 」

「 やっぱり長束だったか・・! という事は、郊外だから被爆していないな。 家が残ってるかもしれないぞ・・! 」

 美奈子が言った。

「 もう、調べたわよ。 記載されている番地、小字と4ケタ数字だから、一軒家だと思ったの。 しかも、旧家・・・ だったら、住所は、昔と変わってないんじゃないかと思って、この住所を104に問い合わせたのね。 そしたら、白川って名前で、電話番号の登録があったのよ・・! 」

 素晴らしい展開である。 名簿にある住所は、現在も存在し、白川という人が住んでいるのである。

 和也は、小躍りして喜んだ。

「 凄いぞっ! 多分、間違いない・・! これで遺骨を返せるぞ! 」

「 今、残りの名簿を見ていたんだけど、白川って名前の生徒は、他には見当たらないわ。 …どうする? 長束、行ってみる? 」

「 その前に、電話してみたらどうじゃ? 突然、行くよか、ええじゃろ 」

 浩二が提案した。

「 そうだな・・ もし、親が生きていれば、80歳を超えてるか・・・ 」

「 和也・・ オレらみたいな野郎が電話するよか、美奈子にしてもらった方がええのと違うか? 」

「 ええ~っ! あたしい~っ? ちょっと・・ 抵抗あるなあ~・・・! やっぱり、みんなで行こうよ。 電話だと、ヘンに怪しまれるんじゃないの? 」

 無理には頼めない。 和也にしても、電話するのは、やはり抵抗がある。 電話するにしろ、訪問するにしろ、向こうにとっては、突然である事には変わりはない。

 和也は言った。

「 今度の日曜、みんなで行こう。 直接、会った方が、話が早いだろうし。 ・・電話の名義人は、何て名前だったんだ? 」

 美奈子が、メモを見ながら答える。

「 白川 きみ、って人よ。 ハローページで調べたら、何世紀の紀、っていう字に、美しいと書くの。 お母さんかな? 」

「 和也。 美奈子も、お前みたいに、探偵みたいじゃ 」

 浩二が感心する。

「 こんなの、ちょっと考えたら調べられるじゃないの。 根気よ,根気! 」

「 わしゃ、短気じゃけえ、イカンのう 」

「 分かってるなら、克服しろよ、浩二 」

「 克服しようとする気持ちも短気じゃけえ、イカンわ 」

「 何じゃ、そら 」

「 つまりよ、火消しに来た消防車が、ガソリン撒いてるようなモンじゃ 」

「 ・・何か、意味、違うような気がするぞ? 」

「 恒川君の場合は、消防車が来たけど、水が入ってなかった、ってカンジじゃないの? 」

「 いやあ~っ、まいったのう~ そりゃ、傑作じゃ。 はっはっは! 」

「 笑ってる場合か、お前。 短気のうえに、のんきかよ 」

「 ワシは、こんでええんじゃ。 アタマ使うのは、お前らに任せるけえ。 その代り、力仕事は、ワシじゃ! 」

「 今回、力仕事は、もうないぞ・・? 」

「 ・・・・・ 」

 とりあえず、今度の日曜に、3人で長束へ行ってみる事にした。 うまくいけば、遺骨の主の家族に逢えるかもしれない。

 大きく前進した展開に、和也は大満足だった。



 赤い電灯に照らされ、バレー部の部長の顔が、印画紙に浮かび上がって来る。

 翌日、和也は、昨日、撮った写真の現像を、暗室で現像していた。

「 この現像液も、古いなあ・・ 発色が遅いぞ・・・ 」

 独り言を言いながら、和也は現像作業を続けた。

「 ? 」

 全くピンボケの写真が、数枚、出て来た。

「 何だ、こりゃ・・? 」

 風景らしいが、和也には、撮影した記憶がない。 木の植え込みが写っているが、それも、ひどいピンボケである。 マニュアルで撮影したものだろう。 オートでは、こんな風には写らない。

 とりあえず、乾燥させる為にクリップで挟み、吊るす。

 よく見ると、ピンボケの写真に、校庭にある藤棚らしきものが写っている。 それに気付いた和也は、慌てて、暗室の電気を点けた。


「 か・・ 彼女が・・・ 彼女が、写っていない・・! 」


 そうだ・・! これは、あの彼女を撮った時のものだ。 枚数も一致する。

 彼女が立っていた後ろの植え込みや、藤棚は写っている。 だが、彼女本人の姿だけが、まるで最初からいなかったように、スッポリと消えているのだ。 ネガフィルムも確認してみたが、やはり彼女の姿は、どこにも写っていなかった。

「 ・・・どういう事なんだ・・・? 前も・・ テニス部の時も写ってなかった・・! あの時は、自分のカン違いかと思ったんだが・・ 今回は、彼女を被写体にしてシャッターを切ったんだぞ? 彼女は、間違いなくファインダーに入っていたはずだ 」

 フィルムが回ってなかったのだろうか。

 いや、そんな事はない。 植え込みや、藤棚は写っている。

 ・・現像の際に、光が入ったのか?

 それもあり得ない。 光が入ったのであれば、真っ白になっているはずである。

 キツネに摘ままれたように、和也は、その場に立ち尽くしていた。

「 おお~い、武内。 現像、済んだか? 次はオレが使うから、そのままでいいぞ~ 」

 暗室の外から、他の写真部員が声を掛けた。

「 ・・あ、ああ・・ もう、終ったよ。 開けてもいいぞ・・・ 」

 ドアを開けて、その部員が暗室に入って来た。

「 ん? どうした? ボ~ッとして 」

 放心したような和也の表情に、彼は聞いた。

「 ・・いや、何でもない。 ・・なあ・・ 人が写らない事って、あると思うか? 」

「 はあ? ナニ言ってんだ? 」

 和也は、今、現像したばかりの写真の中から1枚を取り、その彼に渡した。

「 ん? なんじゃ、こりゃ? ひでえピンボケだなあ・・! 」

「 レンズの絞りを開放に近づけて、被写体深度を変えたんだ。 バックをボカして、ポートレート撮ろうと思って・・ 」

「 ポート? ドコに人がいるんだよ 」

「 真正面に立っていたよ・・! 」

 もう一度、写真を見た彼は、言った。

「 お前、ジョーダンきついぞ・・ さあ、どいた、どいた! 今回のオレのモチーフは、斬新だぞ? 企業秘密だからな。 見て驚くなよ・・! 」

 一笑し、写真を和也に渡した彼は、暗室へと入って行った。


 納得がいかない和也。

 しかし、実際、写真に写ってないのだから、何らかの不具合があったとしか考えられない。

( また、会う機会があるだろう。 今度こそ、よく確認して、撮らせてもらおう )

 割り切れないが、一応の踏ん切りをつけ、和也は、出来上がった他の写真の整理を始めた。


 不思議な印象の彼女・・・

 浩二が言うように、和也は、確かに彼女に対して、いつの間にか、淡い恋心のようなものを抱いていた。

 しかし、それは、恋などと言うような、ときめく感じではなく、彼女自身から発せられる、メッセージみたいなものに、和也の心が反応しているようであった。


 それが、何なのかは分からない・・・


 彼女は、何かを訴えているような・・ そんな雰囲気が感じられ、和也は、その真意に触れてみたかったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る