案を三つ出したとしても選ばれるのは常に一つだ
案を出すのが苦手だ。正確に言えば案を通すのが苦手だ。
何か案をください、と言われた時に「絶対これだろ」という一つだけを出す勇気がない。相手が期待しているものとかけ離れているかもしれないからだ。
だから、だいたい三つくらいは出す。その中には「自分的にはこれかな」という案が一つある。でも、それが選ばれることはほとんどない。
三つの内訳はこうだ。
一つ目は、オーソドックスなもの。オーソドックスといえば聞こえはいいが、無難であまり冒険のない、よくありそうな感じの案。
二つ目は、変化球的なもの。変化球といえば聞こえはいいが、奇をてらっているだけで、理解できる人が限られてしまうような案。
三つ目は、ちょうどいい塩梅のもの。無難すぎず奇をてらいすぎず、バランスが取れている案。
自分が「良いな」と思って最初に思いついたのは三つ目で、あとから他の二つを数合わせのために付け足したような形だ。だが、自信がある肝心の三つ目が、なぜか選ばれない。
なぜか。
出された案を一つに絞る立場の人には、決断力が必要だ。いずれかの方向に足を踏み出し、選んだ道が絶対正しいと言い切れる人間でなければならない。無難にいくと決めたのなら万全を期して徹底的に手堅くするだろうし、攻めたことをやろうと決めたのなら、ぶっとんでいる方に思い切り舵を切るだろう。
つまり、ちょうどいい塩梅の案には、食指が動きにくいのではないだろうか。こちらとしてはバランスが取れているつもりでも、中途半端な折衷案として映る。結果として一番魅力がなくなってしまうというわけだ。
しかし、これを逆手に取ることはできないか。
例えば「この人はなんとなく無難な方を選びそうだな」と感じたら、思い切って最も無難な案は捨てて、自分の推している案を一つと、奇をてらった案を二つ出せばいいのだ。こうすれば、自分の推している案が一番無難な案になる。
逆に「この人はどうやら攻めた案が好きそうだな」と感じたら、自分の推している案以外の二つは、ベタな案にしてしまえばいい。これで、自分の案があたかもエッジの効いたアイディアであるかのように錯覚させられる。
この理論に基づいて考えていけば、自分が推している案を確実に通すことができてしまう。これでもう苦手意識を持つことはない。
そう思って実践すると、あっさり三つとも却下になったりするのです。
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