音漏れのスマートな注意の仕方についての諸注意

 音漏れを注意したい。大人たるもの、電車でイヤホンから過度に音漏れをしている人がいたら注意してみせたい。そして、示したい。自分の方がこの人よりも常識がある人間なのだと車内のみなさんに知らしめて悦に浸りたい。常識人ぶりたい。


 その時に、注意すべきことがいくつかある。一つ目は、音漏れが自分の妄想ではないかどうかだ。万が一、幻聴だった場合、ありもしない音漏れを指摘したことで、一転して車内の不穏分子は自分になる。まずは落ち着いて、現実に存在する音漏れかを確かめよう。本人や周囲の様子でわかるはずだ。


 二つ目、指摘しても大丈夫な人か見極める。これは重要だ。あえて社会に反する道を歩くタイプの人だった場合、刺激すれば更なるトラブルの引き金になる。彼らは注意を聞き入れない。怒鳴り返してきたり、意味なくぶつかってきたりするかもしれない。放っておけば、ただちょっとうるさい音漏れの人がいるだけだった車内を、もっと嫌な緊張感で包んでしまう。


 幸い、この手合いは見た目や態度でわかる。実に悪そうな見た目をしている。見た目が悪そうでも良心的な人はいるが、そんな博打に出ても得はない。この際、見た目が怖い人は全員悪人として、注意は避けよう。だから、怖い人は音漏れして良し。許す。平和のために許す。


 三つ目は、声のかけ方。相手は音漏れするようなボリュームで音楽を聴いている。当然まわりの他の音は耳に入らない。結構な声量で話しかけないと届かない。一発で成功しないと恥をかくし、何度も繰り返すことになれば、もはや自分が音漏れより迷惑な存在と化す。


 確実にいくなら、肩あたりを軽く叩くのが良い。しかし、女性が相手ではそうもいかない。痴漢の疑いを生むからだ。そして、疑われた時点で本人以外にとってはもうほぼ痴漢だ。ましてやコロナ禍である。となると、女性は注意できない。だから、女性は音漏れして良し。許す。公序良俗のために許す。


 幻聴でなく、怖い人でなく、女性でない場合、やっと注意するチャンスが訪れる。肩を叩いて振り向かせたら、イヤホンを取るように促し「音、大きいですよ」と言えばよい。


 しかし、ひょっとしたら相手は「だから、なんですか?」と答えるかもしれない。言わないまでも、そんな顔をするかもしれない。音漏れを別に悪いことだと思ってない人間だったのだ。そんな人間もいるだろう。喫茶店とかでも平気で音を出して動画を見る人だっているし。


 この場合は、努めて社会に反しているタイプの人と違って、見た目で特定するのは難しい。最悪、自分以外の車内の人間が、全員そっちの派閥ということだってあり得る。


 根本の価値観からして違うなら、それを容易くひっくり返すのは無理だ。もし僕が電車で急に「ちょっとあなた、さっきから呼吸してますよ?」と言われても、どうしていいのかわからず困るだろう。なんて頭のおかしいやつだと思うだろう。彼らにとって音漏れの指摘は、それと同じだ。そうなると、非常識なのはこちらになる。車両内で最も常識のない人間として、ヒエラルキーの最下層に追いやられるのだ。


 だから、やつらに音漏れの指摘はできない。そして、車内の誰しもにやつらの可能性がある以上、誰にも音漏れの指摘などはできない。だから、人間は音漏れして良し。許す。保身のために僕が許す。


 常識人への道は遠い。




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