誰かの忘れ物を見つけて店員に渡すまでの時間に

 喫茶店や食べ物屋さんには、カウンター席の下に荷物を置くスペースが設けられていることがある。横から見るとコの字型になっていて、コの空洞の部分に物を置くことができる。デッドスペースを生かした構造だ。


 欠点は視界から消えること。いったん意識から外れるので、うっかりそのまま忘れやすい。常に持ち歩いている鞄なら持っていないことにすぐ気が付くだろうが、ちょっとした買い物の袋や、鞄とは別に持ち歩いていたものは危険だ。


 鞄だけ机の上や足元に分けて置いていた場合は特に危ない。鞄を手に取った時点で安心してしまい、オプションを置き去りにしてしまう。


 だから私は席を立ちあがる時、必ずコの字空間を確認する。何も置いた記憶がなくても確認する。二、三歩あるいてから、いったん戻って再度確認する。


 目視だけでなく、何もない荷物置き場をさわってみたりもする。目に見えない微粒子荷物もステルス機能のついた鞄も持ち込んだ覚えはないが、とにかくそれくらいしつこく確認する。忘れた場合の損失や面倒臭さに比べたら遥かにマシだ。


 そうして確認すると、私の物ではない折り畳み傘が見つかったりする。前に座っていた人が忘れていったのだろう。次に座る人が悪いやつだったら、しれっと持っていってしまうかもしれない。私はレジで店員に預けようと思って、それを手に取って席を立つ。


 この時、大きな不安に襲われる。もしも今、このタイミングで持ち主の人が来たらどうなるだろう。


 雨が降ってきて傘を忘れたことに気づき、店へ戻ってきた。ところが、座っていた席に傘はなく、知らない男が堂々と持ち帰ろうとしている。向こうからはそんな風に見えるのではないか。


 ばつの悪い笑顔を作りながら「あ、ひょっとしてこれですか?」と差しだすことはできる。しかし、その場合も疑念は持ち主に残るような気がする。持ち主が戻ってきたからあきらめたけど、本当は盗もうとしていたんじゃないのか。そうでないという証拠は私の胸の内にしかない。


 この濡れ衣タイムはなるべく短くしたい。しかし、そういう時に限ってなかなか店員がレジまで来てくれなかったりする。


 同じようなことは電車で誰かが忘れた財布を見つけた時にも起こる。こちらは持ち主こそ現れないが、拾う様子を周囲に目撃される可能性が高いのでさらに過酷だ。


 放っておくのも落ち着かないから早めに確保したい。だが、あまり早く手にしてしまうとそれだけ濡れ衣タイムが増える。場合によっては、そこで「何してるんですか?」と強気の正義を持った人に捕まってしまうことだってあるかもしれない。


 それを切り抜けたとしても安心できない。財布を預けるとしたら駅員であり、そのためには電車を降りる必要がある。だから他の乗客にとっては、財布を拾って電車から降りた私の行動が親切だったのか置き引きだったのか、結局わからずじまいなのだ。人々の頭の中に犯罪者の私と善人の私が重なり合った状態で存在し続けている、という懸念が私の頭に存在し続ける。


 忘れ物を拾う誰かにこんな思いをさせないために、今日も私は荷物置き場をさわってたしかめる。そして私にこんな思いをさせないために、あなたもさわって、たしかめてよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る