本当の意味での接客スキルの高さについて考える

 接客スキルの高い店員が苦手だ。あの人たちは見ず知らずの人間に近づいて話しかけることへのためらいがない。その時点で気が合わない。絶やさない笑顔も不安になる。プライベートでもずっとこうなのかな、と考えてしまう。もしそうなら人間味の無さが怖いし、そうでないならそのギャップと切り替えが怖い。


 特に服屋の店員だ。僕は特にオシャレでもなく、まずは値札から確認するような人間だから、服を物色している姿を見られるのは恥ずかしい。でも店員はめざとく僕を見つけて、見つけると決まって近づいてくる。そして言う。



「何かお探しですか?」



 お探しに決まってらい。いちいち聞いて確かめることか。


 この質問は挨拶みたいなもので、サイズや色で迷ったら声をかけてくださいね、という意思表示なのだろう。その証拠に、質問を会釈でごまかしたとしても、店員は僕にいつでも声をかけられる位置に陣取って、様子をチラチラ窺ってくる。


 そうなると僕は「あ、店員に見られている」と強く意識してしまう。見られている以上は選ばないといけない。選んだ以上は相談しないといけない。相談した以上は意見を聞かないといけない。意見を聞いた以上は賛同か不服かを言葉なり態度なりで示さないといけない。そんなことを繰り返したら買わなくてはいけない。買わなければ悪人のような気がしてくる。プレッシャーに襲われる。


 一人で見ている分には自分のための服選びだけれど、店員に見つかってからは店員のための服選びなのだ。


 だから僕は店員に見つかった時点で、落ち着かなくて店を出てしまうことがある。特に、放っておいてほしい雰囲気を出しているのにしつこく声をかけてくる接客巧者の場合は、欲しい服があっても逃げ去る。もともと欲しかったものでも「強引に買わされた」と感じたくないからだ。接客スキルの高い店員のせいで僕は自由に買い物ができない。


 そういう観点では、果たして彼らの接客スキルは本当に高いのかと疑問になってくる。だって、しつこく話しかけさえしなければ、僕は普通に服を買ったかもしれないのだ。そのチャンスを潰したのだから、店の利益になってない。むしろスキルが低い。


 僕のような人間を相手にする場合は「あ、この人は接客されるの嫌そうだな」と判断して、そっとしておくのが正解の接客だ。その見極めができる者こそが、真に接客スキルが高いといえよう。店側もそういう教育方針で店員を育てるべきだ。何かと多様化が叫ばれる昨今、一律のマニュアル接客はもう古い。時には空気を読んで接客を控える真の接客こそ、この現代には必要なのだ。そうだそうだ。そうに違いない。


 こんな身勝手な考えの客が来たとしても、嫌な顔ひとつせずに対応しないといけないのだ。接客の仕事をしているすべての人たちを、僕は心から尊敬している。




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