第7話 三年寝太郎は育たない
ファーッ。
夕方になってようやく、大きく伸びをしながら階段を下りてきたネ・タローは、リビングに入るなり、いつも通りラ・ママに声をかけます。
「おはよ」
「
こちらも毎度変わらないあいさつを返すと
「今、何時?」
ネ・タローは時計を見上げて、
「そんなに遅くないじゃん」
悪びれることもなく言います。
「遅いよ。朝ご飯と昼ご飯の2食もこんな時間まで置きっぱなしなんて、ふつうありえないよ?」
「んなこと言ったって、コロナで全部ネットの授業しかないし」
「それでもLIVE授業があるんじゃないの?」
「あるけど、今回割と運が良くって、遅い時間のコマだけなんだよ、コレが」
「だからっていくらなんでもこんな時間まで寝てるってどうなのよ?」
「どうせ起きたって学校も行けないし、サークルもできないし、バイトもしにくいし、大学生だけ世の中から隔離されてるんだから仕方ないじゃん」
そうなのです。
コ・ジローの高校はお盆前後の2週間だけが夏休みで、それ以外は通常授業。塾もぎゅうぎゅうのスケジュールで夏期講習まで突っ込んできて、しっかりお金をむしり取られました。
ト・チチもリモート勤務は緊急事態宣言の時だけ、今ではふつうに出社しています。が、大学だけはなぜか、依然として全面休校中。図書館も何も使えずにずっと閉まったままなのです。
「定期がないから、出かけるのもいちいち交通費がかかって物入りだしさ。出かけなきゃコロナにも感染しないし、金もかからないし、一石二鳥ってヤツ?」
「……だけどバイトしないなら、いくら出かけなくたってネットでの買い物やらサブスクやらで金欠になるでしょう?」
「それがそうでもないんだ」
何やら怪しげな薄ら笑いを浮かべたネ・タローが時計を指差します。
「なんでオレがこんな時間まで寝ちゃうかというと、それは夜中に働いてるからなんだな」
「?」
ネ・タローが夜中にゴソゴソしているのは知っていますが、それは家の中だけで、外出なんてしてないはずです。それともラ・ママが気付かないだけで、こっそり家を抜け出して深夜のコンビニバイトでも始めていたのでしょうか?
「実はだね、ブランド物の輸入を始めたのさ」
「何、それ」
「ほら、オレってファッションギークなワケじゃない? で、暇にあかせて色々調べてたら、海外のフリマサイトを見つけたんだ。そこでだと日本人が好きな海外ブランド物がすっご~く安く買えるんだよ♪」
「でも、輸送費とか関税とか手続きが面倒臭そうだし、それを入れると結局は高くなるんじゃないの?」
「いや、それがそうでもなくて」
そう言ってネ・タローはとくとくと説明してくれるのですが、正直あまり興味がないためか、ラ・ママの頭にはろくに入ってきません。ただ、時差があるため、やり取りを重ねているとどうしても寝るのが遅くなってしまう、ということだけは理解できました。
「ま、そういうワケで、そっちで安く仕入れた品をこっちで高く売る、と。そうすれば、家から一歩も出ずにお金が入ってくるワケですよ」
そんなに思った通りに売れるのかどうか。取らぬ狸の皮算用にならなければいいけれど、と思いつつ、そうなったらそうなったでそれもまたいい社会勉強かもしれない、とラ・ママは思い直しました。
「まあ、いわゆる”生きた英語”と”リアル経済学”の勉強、ってコトになるのかな?」
それだけ言って、あとは黙って見守ることに決めたのでした。
ラ・ママの心配をよそに、ネ・タローは毎晩まめに『仕事』をしているようです。
日中、毎日のように海外から届く荷物を、夕方起きてチェックする。その後、写真を撮り自分のページにアップする。売れれば梱包して発送する。これが近頃のネ・タローの日課です。
そして意外というかなんというか、売れ行きは順調のようでした。
やれアクセサリーだストールだバッグだと、主に服飾雑貨と呼ばれるような品をメインに仕入れては売り、それなりの稼ぎは確保できているようで、これなら余計な心配だったかとホッとしていた矢先。
ある日の夕方、ネ・タローがいつものように検品をしていると、途中から顔つきが険しくなりました。どうしたのかと思っているうちに、届いた品を持って無言で2階に駆け上がっていきます。しばらく上でガタガタと物音が聞こえていたかと思うと、今度は凄い勢いで階段を駆け下り、リビングに飛び込んで来るやいなや、
「ちょっと、コレ!」
半分叫ぶような声を上げました。
「サ、サイズが!」
見ると、スーツ姿のネ・タローが顔色を変えて立っていました。
細身のスーツはキレイなバーガンディカラー。上品な光沢があって、ちょっとしたタレントのような出で立ちです。
「何? 似合ってるけど、自分用?」
「そんなことはいいから。よく見てよ! 足元!!」
言われてみると、裾丈が幾分長めに見えました。
「ああ。気持ち、長い? でも、長い分には詰めればいいワケだし」
「……コレ、レディースなんだよっ」
「へえ。そうなの。レディースをそんなにキレイに着られるなんて、アナタ細いわねぇ」
「そうじゃなくって! なんでオレがレディースで丈が余るんだよ! 短めなら分かるけど!!」
「? 何そんなに怒ってるの? レディースの丈が長めなのは当たり前じゃないの」
その剣幕に驚きながらも、ラ・ママは玄関にネ・タローを引っ張っていくと、
「ほら、ちょっとこのミュールを足先でいいから入れて立ってみてごらん」
下駄箱から自分の5センチヒールのミュールを取り出して
ネ・タローはふくれっ面ですが、言われた通りにミュールをつっかけると、
「アレ?」
足元を見て、怪訝な顔をします。
「あのね、あなたたち男性の靴はフラットなのがふつうだけど、女性はヒールを履くことが多いでしょ。特にこの手のハイブランドは、ヒール前提でシルエットを作ってることの方が多いと思う。このパンツスーツも多分、そう。で、今、このヒール高だと、逆に丈がちょっと短く感じるくらいじゃない? でも別に5センチって決して高い訳じゃないんだ。ってコトは、あなたの言った通り、あなたには少し短め、なんだと思うよ。靴の高さの前提が違うだけで」
ラ・ママの言葉に、ネ・タローはようやくふくれっ面を解除しました。
「ヒール、か。それは盲点だったな」
ボソリと口にしました。
「メンズのスーツはいかんせん体型が違いすぎてサイズが合わないんだよ。アイツらデカ過ぎて。で、女性用で探すと、合わせこそ逆になるけど、カラバリは豊富だし、デザインも凝ったのが多いし、サイズもピッタリだし、オレにとっては宝の山みたいなもんでさ。で、裾丈は長めに作ってあるだろうから、身長を考えればオレにドンピシャだろうと思って今回、初めて買ってみたら、ほんの少しとは言えいきなり長いから、オレの足、アイツらと比べたらそんなに短いのかよ? って腹が立つわ、焦っちまうわ。でも、理由が分かれば、ああそうか、と思うよな」
ふーーーっ。長く息を吐き出すと、
「それにしてもムカつく!!」
今度は明るく怒り出します。
「だいたいオレだってアイツらみたいにもっとデカくなりたいよ! 185は欲しかったよ!!」
突然の発言に、ラ・ママはびっくりです。
「えー? 185はさすがにデカすぎない?」
「んなコトない、ない。だって、ショーモデルはソレくらいがデフォルトなんだよ?」
「ショーモデル!?」
「そ。オレさ、できるならショーモデルになりたかったんだよね」
「ショーモデル、ってあの『ランウェイで笑って』の千雪ちゃんが目指してる、アレ?」
「そう。アレ」
「でも、千雪ちゃんも、背、低いのに、諦めてないじゃない。アナタもホントにやりたいなら目指してみれば?」
「無理。だって、千雪ちゃんには一緒に頑張っててバックアップする気満々の育人がついているもん。それにコネも人脈もあるし。でも、オレには何もない」
「……知恵がある。センスもある」
ハハハ。乾いた笑い声をあげたネ・タローは言いました。
「商売するにはどっちもマストだけど、ショーモデルに必要なのは、まずは身長。『ランウェイで笑って』でスカウトされた心ちゃん、女の子で181だよ?オレの好きなロシアの16才の女の子モデルも178なのに、オレは173。女性だとしても足りないんだ」
クソぅ。今からでも身長伸びないもんかな。
自虐的に呟くネ・タローに、
「身長を伸ばしたいなら、まずは寝るコト」
ラ・ママが言うと
「寝てるよ。オレ、ロングスリーパーじゃん。受験勉強してる時はマジ、ショートスリーパーが羨ましかったけど」
と口を尖らせます。
「いくら寝てるったって、昼夜逆転はダメ。成長ホルモンが出るまっとうな時間帯じゃないと」
「夜に寝るだけで伸びるんなら苦労はしないさ。所詮、遺伝でしょ。後はタンパク質の摂取量? ガキのうちから肉ばっか食ってたら伸びたんじゃない? あー、貧乏だから伸びなかったんだーチクショウ」
全く。ああ言えばこう言う。
減らず口をたたくネ・タローに呆れながらもラ・ママは
「ビーガンだって背が高いひとなんていくらでもいるよ? とりあえず今からでもプロテイン飲んで、早い時間に寝て、適度な運動をする。まずは努力を続けて、その後は星に祈る」
「なんじゃ? 星に祈る、って?」
ネ・タローは首を傾げました。
「ほら、見えないのかキミには」
玄関のドアを開け、暮れなずむ空を見上げながら、ラ・ママは振り返りました。
「翼よ、あれがパリの灯だ。
いや、
あの星が、夜鷹の星だ。あ、間違えた。
カクヨムの☆だ。あ、間違えた。
巨人の星だ。あ、間違えた。
ウルトラの星だー!!」
「……分かった。分かったから。もう、いいから」
ネ・タローがくくくっと喉を鳴らしました。
「応援してくれてるのは、よく分かったよ。まあ、ショーモデルを目指すとかはともかく、今、できる努力はしなくっちゃ、だよな」
そう言って、ミュールを履いたままくるりとターンをすると、モデルっぽくポーズを決めてみせた後、
「この服は丈詰めはしない。これをオレの靴でぴったり合わせられるくらい背を伸ばしてやる。そして何ならジェンダーレスモデルでも目指してやろうかな。女性より美しくキレイに女性服を着こなすインターナショナルでアンドロジナスなオレサマ、なんてどう?
見てろよ、
おいおい。インターナショナルでアンドロジナスなジェンダーレスモデルは、間違っても”
突っ込みたくなるのを
「努力する気、やる気になってくれたのなら何より。それならぜひ、見てもらいたいものがあるんだけど」
おもむろにエプロンのポケットから届いたばかりの大学の前期成績表を取り出すと、ひらひらとネ・タローに向かって振ってみせました。
「え? ソレ、アレ? ……マジ?」
ラ・ママの手からひったくった成績表を、ネ・タローは食い入るようにして見入りました。しばらく凝視してから、
「……ヤバっ」
小声で呟いたネ・タローは作り笑顔を浮かべ、ミュールを脱いでさささっと玄関からの撤収を企てます。もちろんそんなことラ・ママは許しません。
にっこりと微笑みながらもネ・タローの前にたちふさがりました。
「ブランド物の輸入を手掛ける割に、なぜ、必修の経営学基礎と英語と第二外国語のフランス語がDなのかな?」
「そ、そ、ソレは……」
「いいかい? 全然学校には通えないのに、学費はビタ一文まけてもらえない。それでDなんて許せません。万一、留年なんてコトになっても、一年余計に学費を払う余裕なんてウチにはありませんからね? なんたって肉ばっかり食べさせられないようなビンボーな家なもんでね?」
「わ、わ、分かって…マス……」
背が低いと嘆いた体をネ・タローはさらに縮めると、いきなり、
「ケスクセ? セタンミュール。オゥ、プロテイン。パンテーン。ノン、パンティーノ。パパディノ、ゴルツィネ。ノン、ディー。イニシャルディー。タチサン、タンイ、クレ、クレ!」
フランス語にも英語にも聞こえるような怪しげな言葉を早口でまくし立て、猛ダッシュで階段を駆け上がっていってしまいました。
その背中を呆れて眺めた後、ひとり玄関に取り残されたラ・ママは、フランス人ばりに両手を広げて大げさに肩をすくめ、
「リアル経営学もリアル語学も、全然、成績に反映されてないじゃないのよ」
全く、もう。
深々とため息をつきました。
「寝て育てないといけないのは身長だけじゃないでしょうが。いつまでも引きこもってないで、とっとと外に出てフツーのバイトもして千雪ちゃんみたいな彼女を作って友達と遊んでこい、って言うの。学生生活だって今年を入れて残り3年だっていうのに。
だいたいコ・ジローのこの前の模試だってDばっかりだし。たまにはAを拝みたいのに。ダイヤじゃなくっていいから、さ。いや、この際、(チョコラB)Bでも(オロナミン)Cでもいいや。DじゃなきゃOKなんだけど」
ブツブツと呟きながらミュールを片付け、ネ・タローが廊下に落としていった成績表を拾い上げました。そして
「柱の邪魔なぁ、あのクラブでぇ~♪」
調子っ外れな鼻歌を歌いながらリビングに戻ると、椅子に座って成績表で紙ひこうきを折り始めました。
折りあがった紙ひこうきを手に、ラ・ママは立ち上がって窓辺に佇みました。窓からは夕暮れ時の涼しい風がさぁっと吹き抜けます。
手の上の紙ひこうきにそっと息を吹きかけると、ふわり、と浮かび上がりました。
そのまま風にのってあの空の向こうまで、
モンパルナスの灯まで、
もしくはイスタンブールまで、
飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで飛んで(回って回って回って)―――――、
いくことはなく、庭の片隅にポトリと落ちました。
「Dだけに、落単、撃沈、か」
苦笑いのラ・ママは、気を取り直すかのように顔をパンッと叩いてから、夕食の支度にとりかかるのでした。
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