第2話

 静かになったのは一瞬で、次の瞬間から、悲鳴、叫び声、小屋を埋め尽くした。清が興奮しながら、水槽を指差す。


「ほ、ほら正一、言っただろう! 本物じゃないか!」

「あ……ああ……」


 水槽から、ざぶんと露わになった上半身と尾を出す。


陶器のような白い肌に、大きい瞳を囲う長い睫毛から水滴が一粒、水面に落ちた。先ほどまで水に浸っていたとは思えないほど、髪は綿菓子のように軽そうで、ゆるりとクセがついている。


 まるで異国人のようだ。尾は、自由自在に動き、狭い水槽で魚のように上手く泳いでいる。異様な風景は異形の証明になり、悲鳴の後押しをした。


「これが西洋の海から直接取ってきた人魚だ、ほうら、本物だろ」


 司会の男が、雑に尾びれを掴む。一瞬、痛いような顔をした人魚はすぐ、平然とした顔をした。


 尾から弾かれた水しぶき民衆にかかり、まるで毒でも浴びたかのように悲鳴を上げた。なんてことをするんだと、かべに寄り掛かっていた正一が前傾姿勢になった。


「どうした? 正一」

「……いや、なにも」

「いや、これはすごいものを見たな!」


 清が隣で、来てよかっただろうと耳元で呟く声も正一には届いていない。正一の切れ長な瞳は瞬きすることすら忘れているように見えた。


「正一?」

「ああ」


 明らかに生返事の正一に、清は怪訝な顔をしたが、すぐに興味は人魚へ戻った。


 民衆にひらひらと振る手はまるで飴細工のように繊細で、長い睫毛に囲われた瞳は茶色がかっていた。人魚がふわりと頬を緩ませれば、正一の胸はギュウと締め付けられた。


 日に乱反射する鱗は、触れていないのにひんやりと感じかせる。尾は半透明で、びいどろ細工のように薄く割れそうであった。正一は、小屋に悲鳴がこだまする中、誰にも聞こえない程の声で呟く。


「綺麗だ」


水槽に、雑に真っ黒の布が掛けられる。色鮮やかで繊細な色合いに、真っ黒な布が入ってきたことによって正一はハッと現実に引き戻された。


「さあ、今日はもう終いだ、けぇったけえった」

「なんでえ、これっぽっちか」

「うるせえ! さっさとけえんな」


 時間が短すぎる、もっと見せろなどの怒涛が飛び交う中、入り口に立っている正一にぶつかりながら人々は出て行った。にいちゃん邪魔だぞ、そう言われても正一は動かなかった。動けなかった、という方が正しいだろうか。


 正一は、もう水槽がなくなった舞台を、ぼんやりと見つめていた。


「おい正一、帰らないのか」

「……ああ、帰る」


 後ろ髪を引かれながらも、振り返り小屋を出ようとした、そのとき。あの司会の男が、ああ、と正一に話しかけた。


「おい、ボン」

「……なんですか」

「20銭で、裏、つれてってやるよ」

「裏?」

「なんだぁ、会いたくねえのか? あの人魚に。見惚れてただろ?」


 ニタニタと粘着質な、いやらしい笑みだった。そんな顔に、嫌悪感が溢れる。


 この男はよく見てる。尚更、こんな提案をするのは正一が金を持っていると踏んだからであろう。


「そうだなぁ……あと1時間したら、裏に来い。会わせてやるよ」


 じゃあな、そういうと舞台袖に引っ込んだ。一体なんなんだ、そう、もういなくなった舞台を睨んだ。中々出てこない正一に痺れを切らしたのか、外から清の声が聞こえた。


「おおい、正一、早く出ろよ」

「ああ、分かってる」


 いくはずがない、そう独り言で呟きながら湿っぽい見世物小屋を後にした。

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