4 ふたりの姉を想う。
6年前、皐月が葉月の死を知ったのは収穫祭の翌日の昼だった。
はしゃぎ疲れた皐月は弥生と対象的に昼過ぎまでぐっすりと眠っていたのだった――。
皐月が目を覚ますととっくに日は登っていた。
体中、じっとりと汗ばんでいる。
今日は暑そうだ。
ぐっすり眠って、昨日の疲れも残っていない。
そこまで考え、ふと疑問が浮かぶ。
普段ならとっくに母さんが起こしに来てる。
今日に限って起こしに来なかったのは何故だろう。
大きく伸びをして立ち上がった。
外は夜に降っていた雨も上がって爽やかな秋晴れだ。
なのに心が晴れないのは何故だ?
皐月はそっと寝室を出た。
家中静まり返って異様な雰囲気だ。
何か嫌な予感がする。
母さんの作る朝ご飯の匂いも、葉月の騒がしい声も、弥生の朝の訓練の音も、何もしない。
「母さん?」
居間に入ると、母さんの小さな背中が見えた。
その肩は震えていた。
「皐月……」
呼んだ声にゆっくりと振り返った母さんは泣いていた。
初めて見る母さんの涙。
「母さんっ! どうしたの? 何かあった?」
「皐月……。葉月が……」
母さんはそれ以上言葉にできず、ただすすり泣いているだけだった。
少しだけ開いた襖の奥から線香の匂いが漏れている。
「姉さんが……どうしたの?」
声がかすれた。
喉の奥がカラカラだ。
背中を嫌な汗が流れる。
いてもたってもいられなくて、襖を思い切り開けた。
そこには弥生姉さんが布団の傍らにいた。
布団には「誰か」が横たわっていて、顔には白い布がかかっている。
誰か、それは今この場所にいない人。
それが誰かわかって、俺は膝をついた。
「葉月姉さんっ! どうして! 何があったの!」
皐月の問いに答える人はなかった。
母さんは泣き続け、弥生はただ葉月の亡骸を見つめたままだった――。
そして、数日がたち葉月の葬儀の日。
葉月は収穫祭の夜、人狼族から里を守って死んだと聞いた。
誰よりも強いはずの葉月が死ぬなんて今でも信じられない。
でも、何度呼びかけても、葉月が目を覚ますことはない。
現実感がなくて、どこか人事のように感じた。
葉月の葬儀は滞りなく行われた。
たくさんの人たちが訪れ、葉月の人望を思わせる。
弥生はあれから葉月のそばを離れずにいた。
食事も睡眠もろくにとってないようだ。
参列した人が弥生に声をかけても反応すらしない。
生気のない瞳でただ葉月を見つめている。
あの夜、何が起きたのか詳しくは知らない。
誰も教えてくれなかったからだ。
弥生は知っているのだろうか。
悲しみ方が普通じゃない。
皐月はかえって冷静にこの事態を見ていた。
自分だけ何も知らされていない疎外感。
何もできない子どもだと言われているようで。
皐月もまだ現実を受け入れられていなかった。
「弥生ちゃんも辛いわねぇ。すっかり憔悴しちゃって」
少し外の空気を吸いたくなって、そっと家を出た。
たくさんの人が入れ替わり、家の空気も淀んでいた。
そして何より、哀しみに満ちた空気が耐え難くなっていた。
気分を変えたい、ただそれだけだった。
参列者でごった返しているなか、皐月が少しぐらいいなくなっても誰も気づかない。
そして、抜け出した皐月の耳に飛び込んできたのは葉月の葬儀に参列したらしい人たちの会話だった。
木の陰に寝転んでいた皐月には気づかなかったようだ。
「本当ねぇ。飛び出してきた弥生ちゃんを庇ったんでしょ?」
「らしいわ。寝てたはずの弥生ちゃんがいたから気を取られたんだって」
「可哀想ねぇ、あんなにお姉さんのこと大好きだったのに。目の前ので……なんて」
話していた2人が通り過ぎると、皐月は体を起こした。
去っていく2人に弥生の小さな背中が重なる。
皐月が知らされなかった真実。
母さんも弥生本人の前でこんなこと説明できなかったのだろう。
いや、葉月が里を守ったことも嘘じゃない。
「姉さん……」
皐月は2人の姉を想う。
誰もいなくなった道の先を見つめて。
いつも強くて明るい葉月。
いつも優しくて厳しい弥生。
ずっと背中を追いかけていた2人。
葉月はいなくなって、弥生の背中はあんなに小さくなった。
葉月のために、弥生のために、皐月にできることは。
考えに考えたけど、結局皐月に出来るのはいつも通りに振る舞うことだけだった。
「姉さん! 稽古つけてよ」
弥生を無理矢理道場に連れだす。
焦点の定まらない瞳。
覇気もない。
竹刀を渡し、打ち込む。
2、3度打ち込めば、勝負は決まる。
乾いた音を立てて、弥生の竹刀が飛ぶ。
それでも、何度も何度も弥生に竹刀を持たせ、打ち込んだ。
いつもの弥生に戻って欲しい。
それだけを願いながら、毎日のように弥生を連れ出した。
ろくに食事も睡眠も取っていない弥生を体力の限界まで稽古に付き合わせた。
そのせいか、弥生は少しずつ眠るようになってきた。
食事も少しずつ無理にでも食べるようにさせていた。
根気よく弥生に接していた。
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