紀元前300年前後 ギリシャ アテナイ 医師アグノディス

「彼をどう思う?」


 医師ピリッポスは不穏な空気を感じて眉をひそめた。彼らが話しているのはアグノディス医師のことである。

本日はサロンにてアテナイ在住医師による症例検討会を行うはずであったのだ。だが今、集会場は不在のアグノディスその人への中傷の場となっていた。

ピリッポスとアグノディスはアレキサンドリアで師ヘロフィロスのもと、共に医術を学んだ同期だ。彼とは刺激し合い、研鑽した仲である。彼の悪口を聞くのは不快だった。


「女性患者からの人気が高すぎる」

「クセナキス家の侍医であるこの私から彼は母娘共、患者を奪い取った」


 ここ半年に渡り、アテナイ中の女性患者がアグノディス医師を指名するようになっていた。特に、女性特有の病を持つ患者、妊産婦から彼は引っ張りだこだった。


「彼はヒポクラテスの誓いを破っていると私は判断するね」


 フン、と年嵩の医師が鼻を鳴らす。


「女性受けの良い容姿をアグノディス医師はお持ちだし」


 どちらかというと、アグノディス医師は中性的な容貌を持っており、女受けがするかどうかの判断は難しいとピリッポスは思ったが、彼が美形であることは確かだった。


「最近はああいう優男に身体を触れられるのを好む女が増えているというではありませぬか」


 ヒポクラテスの誓いには医師は男女、奴隷の区別なく患者を性的欲求の対象にしてはならぬ、という金文がある。彼らはアグノディス医師が女性患者を色仕掛けで惑わしていると疑っているのだ。


「いかがなものだろうか。憶測だけで物を言うのは」


 あまりの言い様に苛立ちが抑えられず、ピリッポスは口に出していた。医師たちが端に座っていたピリッポスに顔を向けた。


「彼は若いが優れた医師であり、人格者です。患者がそれを見抜き、彼を選択しただけでは」


 アグノディスその人の真面目で真摯に医術に取り組む様を間近で見てきたピリッポスには黙っていられなかったのだ。


「私がアグノディス医師より劣っているというのかな」


 クセナキス家の侍医である高齢の医師はピリッポスを睨みつけた。


「アグノディス医師にあって私に無いものは若く美しい体躯と、皺の無い艶やかな優しい面差しだけだ。長年培った知識と経験は伊達ではないと自負しておるぞ」

「そういうわけではありませんが……」


 口籠るピリッポスに若い医師が声をあげた。


「彼をアレオパゴス裁判に召喚しようと思う」

「私も同意する」

「私もだ」

「我らで共にヒポクラテスの誓いを正そうではないか!」

「不埒な医師の行為は同じ医師として見過ごされぬ!」


 口々に叫びたてる医師たちにピリッポスは為す術がなかった。












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