第41話拐かし2

「何事だ、伊之助」


 何時も騒がしい伊之助だが、今日の表情は真剣だ。

 いつものような、些細な事を騒ぎ立てて面白がっているのとは違う。

 本当に大変な事が起きてしまっているようだ。


「花嫁が、花嫁が乱暴されちまいます。

 御家人安に花嫁が攫われちまう」


「案内せい、伊之助」


 我は急いで槍を掴んで飛び出した。


「へい、旦那」


 普段は長屋でごろごろするだけの伊之助だが、本気で動きた時には、我も舌を巻くくらいの俊敏な動きをする。

 すでに片道を駆けて疲れてるだろうに、伊之助は息も荒げず我を案内してくれる。

 

「ぎゃっあ」


 我が伊之助の案内で飛び込んだ家の中では、今まさに白無垢姿の花嫁を組み敷いて、事の及ばんとしていた。

 駆けつけたのでは間に合わぬと判断して、手近にあった小間物を投擲した。

 それが獣欲に見境をなくしている御家人安の頭に命中したのだ。

 我はそのまま駆けつけて御家人安を蹴り飛ばし、花嫁を助け出した。


「しっかりせい。

 もう大丈夫だ。

 お前は何事もなく助かったのだ。

 安心せい」


「うわっあああああん」


 白無垢姿の花嫁が、身も世もなく泣いて抱きついてきた。

 これでは身動きができなくなってしまう。

 御家人安が万が一気を取り戻してはいけない。


「花婿はどこだ。

 はよう花嫁を介抱せんか。

 町人とはいえ男であろう」


「ひぃいいいいい」

 

 我が厳しく叱責すると、部屋の隅で腰を抜かしている、花婿姿の頼りなさそうな男が、情けない声を出して後ろに這いずっていく。

 これではとても花嫁を任せるわけにはいかない。

 

「父親はどこだ。

 このような腰抜けに花嫁を任せるわけにはいかん。

 父親が介抱してやれ」


「はい、私が父親でございます。

 私が介抱させていただきます」


 娘を護ろうとして御家人安を相手に抵抗したのであろう。

 あちらこちら着物が破れ、顔に傷を負った四十前後の男が、花嫁を抱き寄せた。

 父親が、汚物を見るような視線で、花婿を睨みつけている。

 この結婚は破談になるかもしれない。


 まあ、そのような事は我の預かり知らぬことである。

 我がするべき事は、御家人安を捕縛して奉行所に突きだす事だ。

 万がいいのか悪いのか、今月も南町奉行所の月番である。

 兄上に引き渡せば上手く計らってくれるだろう。


 どれほど悪名を轟かせていようと、御家人安は百俵取りの御家人だ。

 御家人を裁くのは評定所だが、我がそこまで連れて行く義理はない。

 自身番にまで連れて行って、兄上か精一郎殿を名指しで呼べば全て済む。

 御家人安こと堀尾安之助を用意の組紐で縛り上げ、気合を入れて起こした。


「おのれ、何奴。

 離せ、離さんか。

 俺を堀尾安之助と知っての事か。

 離さんとただでは済まんぞ」


「じゃかましいわ。

 やい、やい、やい、やい。

 この御方をどなたと心得る。

 天下無双の三百人斬り、立見藤七郎宗丹様だぞ。

 御家人安ごときが対等の口を利けると思っているのか」


 やれ、やれ、伊之助は我の名で啖呵を切るのが慣れている。

 どこで我の名前を出している事やら。

 

 

 

 

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