第9話王太子フェリクス視点

 ヴェネッツェ王国は滅びかけている。

 いや、滅んだと言うべきだろう。

 生き残っているのは、奈落ダンジョンに逃げ込んだ者だけで、地上には誰一人生きている人間がいない、地獄のような状況なのだから。


 全てはハワーデン公爵家のせいだと言えるほど恥知らずならば、俺も罪悪感を感じなくてすんだのだろう。

 確かに俺は愚か者だ。

 頭が悪い事は、今回の件で嫌というほど思い知った。

 権力を持つバカが自分を賢いと思い込んだら、国が滅ぶという事を、国を滅ぼしてから初めて実感した。


「殿下!

 第四層で魔獣が暴れまわっております。

 援軍をお願い致します」


「近衛騎士団ついてこい」


 近衛騎士団など名ばかりだ。

 今では奈落ダンジョンに入った当初の百分の一ていどしかいない。

 最初から近衛騎士だった者は片手以下の四人しか残っていない。

 他の者は、生き残った一般騎士団や冒険者から編入した者達だ。

 装備は死んていった近衛騎士の物を流用しているが、傷や汚れでボロボロだ。


「聖女様だ!

 聖女様が奇跡を施してくださったぞ!」


 エイル神の聖女ローザ。

 俺の愚かさと、貴族どもの愚劣さによって殺されかけて、奈落ダンジョンに捨てられた女。

 彼女が不幸な民に奇跡を施すたびに、生き残った民達の怨嗟の視線が、この国を地獄に変えた俺や貴族達に突き刺さる。

 心優しい父王陛下は、その視線に耐えかねて正気を手放してしまわれた。


 俺と違って気高い心を残していた貴族士族の勇士は、誇りを取り戻すために無理に無理を重ねて、最前線で民を護って死んでいった。

 愚劣な貴族士族が、ダンジョンの中でさえ、民を犠牲にして豊かな生活を続けようとしたが、白銀の巨大な狼に連れ攫われた。


 今頃どうしているのか分からないが、楽には死ねなかっただろう。

 もしかしたら、今も拷問され続けているかもしれない。

 あの時俺に向けられた狼の視線は、そう思わせるだけの軽蔑が含まれていた。

 虫けらを見るような、汚物を見るような視線だった。


「おおお、どうか、どうか、どうか聖女様。

 子供達をお救いください。

 私の命を捧げます。

 ですから、子供達だけはお助け下さい」


 光のない全くの暗闇で、斃した魔獣の肉を生で食べるしかない、この生き地獄の生活で、民達の間に広がった救いの噂。

 罪のない子供達だけは、聖女様が助けてくださるという噂。

 最初は、救いの全くない絶望の中で、心の弱い庶民の間で広がった、根も葉もない噂がだと思っていた。


 だが、実際に子供達だけが消えていなくなっている。

 父母のいる者は、父母も一緒に消えてはいるのだが、彼らが救われたのか魔獣に喰われたのかは誰にも分からない。

 それは、子供達も同じだ。

 聖女に助けられたのか、魔獣に喰われたのか、真実は誰にも分からない。

 ただ、民は聖女が救ってくださると信じるほかに、この地獄の生活に耐える手段がないのだろう。


 だが、それは俺も同じだ。

 民を救うという言い訳がなければ、とうに死んでいただろう。

 己の愚かさを恥じて、死ぬ以外の道はなかっただろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る