十一章 応援
奈津は八ヶ月のお腹を抱えて仕事に来ていた。産休を取る事もできたのだが、赤ちゃんができてからしばらく休暇を取るので、生活のためにもできるだけ働いてお金に困らないようにしておきたかった。
昼休憩をしていると、あの女王様、中島佳代が奈津に近づいてきた。
「随分お腹がおおきくなったわね」
「はい。もうすぐ九ヶ月ですから」
「私、あなたのような生き方はきらいだわ」
「そうですか。でも、私は何を言われても平気です」
「久保田さん、強くなったわね」
「母になるのですから、自分のことでクヨクヨしていられません」
「私には真似出来ないけど、応援するわ。私にできる事があったら助けるから遠慮しないで言ってね」
「はい。それでは遠慮しないでお願いするこことにします」
「呆れた。意外に久保田さんって厚かましいのね」
「知りませんでしたか?」
奈津はストレートにものを言う中島佳代が昔は苦手だったが、今は裏表がないのが、こころの底から有り難かった。
「私、ニノに結婚をもうしこまれたの」
「え! おめでとうございます」
「悩んでるのよね」
「何をですか?」
「色々あるのよね」
「先輩。私で良ければお話し聞きます。今晩、ご飯でもどうですか? 私、飲めませんけど…」
「いいの?」
「はい。喜んで。私、いい所知ってるので、そこにいきましょ。仕事が終わったら下のロビーで待っててください」
「じゃ、聞いてもらおうかな。でも、大丈夫?」
「産気づいたら、病院まで連れて行ってください」
「厚かましい!」
二人は笑ってデスクに戻った。
「いらっしゃいませ。あら、奈津さん。お腹おもたいでしょう」
「はい。腰が痛いです。女将さん、今日は会社の先輩が一緒です」
「テーブル席がいい?」
「いえ、カウンターで。先輩、ここでいいですか?」
「ええ、どこでも」
席に着くと、女将がおしぼりを持ってきた。
「お飲み物は何になさいますか?」
「何にしようかな…」
「先輩、私のおすすめは『ぶ酎ハイ』です。四国のスダチに似た柑橘系の酎ハイです」
「じゃぁ、それを」
「奈津さんはいつものでいい?」
「はい」
妊娠がわかってから、お酒は一滴も飲んでいない奈津だったが、ブシュカンの香りと酸味が食欲をそそると女将に言うとブシュカンに三温糖をい入れ、炭酸で割った飲み物を奈津のために作ってくれるようになった。
「それでは、お疲れ様です。カンパーイ」
グラスが鳴り、二人はグッと一杯飲んだ。
「〜ん。美味しい」
「それは、良かったわ。ゆっくりしていって下さい」
「ありがとうございます」
中島佳代が女将に言った。
「先輩、ここのお料理は全て美味しいので、好きなのを注文してください」
そう言うと中島は何品かを女将に注文した。
「いい店、知ってるじゃない」
「進藤部長に連れてきてもらったんです。進藤部長が亡くなってから、女将さんにはお世話になりっぱなしで」
「奈津さん。お世話なんて…。私は好きでしてるんだからね」
そう言うと女将は個室へ料理を運んで行った。
「お店も素敵だけど女将さんも素敵な人ね」
「そうなんです」
「ところで、中島先輩悩みって…」
中島佳代はぶ酎ハイを一気に飲み干した。「私ね、自分に合う男なんて絶対にいないと思ってた。でもね、ニノに出会って何て言ったらいいのか、しっくりしたの。やっと出会えたと思ったの」
「なら、何も悩む事ないんじゃないですか」
奈津は中島佳代が特殊な趣味を持っていると言う噂を思い出した。ニノとはそこの所もきっと一致しているに違いないと奈津は確信した。なら、何を悩む事があるのか? 中島佳代がもう一杯ぶ酎ハイを頼んだ。奈津が中島佳代の顔を見ると中島の目からは大粒の涙が溢れ落ちていた。
「先輩、どうしたんですか?」
奈津はあの強気の女王様が人前で泣くなんて思いもしなかった。奈津は鞄の中からハンカチを取り出して中島佳代に渡した。
「ありがとう。あのね、私ね、ニノとは結婚してもいいと思っていたの。だから、避妊をした事がないの。でもね、妊娠しなかった。で、気になって検査しようって事になって二人で病院へ行った」
「それで?」
「ニノは正常だった。でも、私は無卵子だった」
中島佳代の顔がみるみる歪み、目から流れて出た涙が頬を濡らし、バッチリ施されたメイクに涙の川の筋ができた。
「ニノはね、ああ見えて子供が好きで、結婚したら佳代に似た子を三人は作るって言ってた」
「ニノはこの事、知ってるんですか?」
「言えない。言ったら私達終わってしまう」
そう言うと二杯目のぶ酎ハイを飲み干した。
「先輩。本当に先輩のことを愛していたら、子供ができないから、さよならなんてしないと思います。もし、そういう人なら例え結婚しても上手くいくとは思えません。ニノに話しをして下さい。それで、終わりになるなら、先輩から払い下げてやって下さい。それでこそ、女王、中島佳代じゃないですか!」
「え、女王?」
「…」
奈津は言葉に詰まったがすぐに切り返した。
「女子の憧れ、女王様のような貫禄と言う意味ですよ。男はニノだけじゃないですよ。そうでしょ、中島先輩」
「久保田さん…。あなた本当に強くなったわね」
「はい。先輩に鍛えられましたから」
「ありがとう、久保田さん」
そう言うと中島佳代が奈津に抱きついてきた。
「あら、お二人さん、仲がいいこと」
料理を運んできた女将が奈津にウインクをして言った。
「女将さん、今日は私が奢ります。久保田さんと赤ん坊に美味しい物、出してあげて下さい」
「はい、はい。奈津さん、良かったわね」
「はい、それではうんと高い物をお願いします」
それから一週間後、奈津のスマホに中島佳代からラインが入った。
『ニノは私に惚れてるのよね。子供のことは残念だけど、私を失うことは耐えられない。私に捨てられたら生きていけないって。だから、結婚してやることにしたわ』
薬指に大きなダイヤの指輪をはめて、それにキスをする中島佳代の写真が添付されていた。その写真を拡大すると、後ろの方で小さくなって正座をするニノも写っていた。その顔は気のせいか、苦痛に満ちてるようにも、嬉しそうにも見えた。やはり、中島佳代は女王様が似合うと奈津は思った。
妊娠九ヶ月に入り、奈津のお腹はさらに大きくなった。奈津のお腹の中の赤ん坊は、時々伸びをするのか、足の形が外からでもわかることがあった。その足をお腹の上から撫でてやると、すっと引っ込めた。どんな顔をしてるのだろうか? 圭太さん似かな、私に似てるのかな。圭太さんは、喜んでくれているのだろうか? 生まれてくる子供に早く会いたいと思う反面、怖い気持ちもあった。でも、覚悟はできていた。
奈津は御盆休みと共に産休に入った。出産に備えて色々と準備を始めた。性別は八ヶ月に入った時に女の子と聞いていた。名前は何にしようか? スマホで赤ちゃんの名前を検索してみた。ランキング一位は陽葵(ひまわり)、二位は芽依(めい)、三位は凛(りん)井上先輩の名前が上位三位になっていた。お洒落な人は名前までトレンディなんだと思った。その時、奈津のスマホに着信を知らせる音楽がなった。井上凛からだった。
「井上先輩、こんにちは」
「なっちゃん、どう。お腹大きくなったでしょ」
「はい、破裂しそうです」
「もうすぐだもんね。早く出したいでしょ。でもね、生まれたら生まれたらで本当に大変。ゆっくりご飯も食べられないし、美容室だっていけない。だから、今のうち、好きなことをしておきなさいよ」
「はい、先輩」
「ところで、お腹の赤ちゃん性別は聞いた?」
「女の子です」
「良かった。沙羅のお古だけど、服をおくるわ。買わなくても全部揃ってるからね。紙おむつぐらいは買ってね。出産に必要なものもおくるから」
「先輩…。いいんですか? 次の子の時にいるんじゃないですか?」
「次は男の子って決めてるのよ。後継が必要なのよ。ほんといやになっちゃう」
「そうなんですか?」
「だって、大会社の代表取締役、社長よ。生まれる子だって私の自由にはならないよ」
「そうですか。それでは是非男の子を生んでください。応援します。井上先輩、本当にありがとうございます」
「お礼なんていいから。必要ない物は捨てて構わないから」
「生まれたら、連絡します」
「なっちゃん、頑張ってね。私に出来ることがあったら、遠慮しないで言って」
「井上先輩… 本当にありがとうございます。この子は幸せものです」
「だから、お礼はいいって。でも、生まれてくる子は確かに幸せ者よ。進藤部長の遺伝子をついでるんだもん。絶対に美人で優秀な子よ」
「半分は私の血を継いでるので、どうかわかりませんよ」
「それも、そうね」
「もー先輩。そこはそうねではなくて!」
二人は大笑いした。
電話を切った途端、また着信がなった。茉姫の女将からだった。
「奈津さん、出産準備進んでる?」
「はい、おかげさまで。さっき東京の先輩からも電話があって、色々送るから、何も買わなくてもいいって。紙おむつだけ買ったら大丈夫だそうです」
「そう。頼もしい先輩ね。じゃあ私からはベビー布団とベットをプレゼントするわね」
「女将さんには色んなことをして頂いているのにこれ以上甘えられません」
「何言ってるの。甘えれる時は甘えなさい。私がおばあちゃんになった時は奈津さんに助けてもらうつもりだから、先行投資よ」
「女将さん、嬉しいです」
「話は変わるんだけど、明後日から一泊で温泉に付き合ってくれない?」
「いいですけど、どこへ行くんですか?」
「湯村温泉って行ったことある?」
「夢千代日記のですか?」
「そうよ。明日、病院の日でしょ。先生に聞いてみて」
「はい。わかりました。病院が済んだら連絡します」
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