一章 女王様

「久保田さん。取引先から違う商品が届いてるってクレームが来てるよ。ほんと、しっかりしてよね」

 なにかと、奈津を目の敵にしている五才上の先輩・中島佳代がフロアに響き渡る甲高い声で言ってきた。

 一週間前、十年以上取引をしている(株)プログレからの商品受注を中島佳代が電話で受けていた。「これ、処理しといて」と伝票を奈津の所に持ってきた。本来なら、中島佳代がしなければならない仕事である。しかし、中島佳代は奈津に仕事を押し付け、サッサとお昼休憩に出かけてしまった。奈津は商品番号を確認しながらパソコンに入力をした。ところが、いつもと違う商品が伝票に書かれていた。念のために過去のデータを確認したが、ここ十年は同じ商品の依頼しか受けていない。中島佳代がお昼から帰ってくるのを奈津は待った。

「中島先輩。プログレさんからの商品、いつもと違うんですが、これで間違いないのでしょうか」

「先方が言って来たんだから、それで早く処理して! 納期がないんだからね!」

 中島佳代はイライラした口調で言ってきた。確かにすぐに手配をしなければ間に合わない。しかし、違う商品を発送したら、もっと大変な事になる。

「一応、先方に確認を取った方がいいと思うんですが…」

「私が聞き間違ったとでも言いたいの? ちょっと仕事に慣れて来たからって、偉そうに。久保田さん、あんたは言われた事だけやったらいいの!」

 大声で怒鳴り散らし、オフィスから出て行ってしまった。仕方なく奈津はパソコンのエンターキーを押して発注を終えた。

 奈津は入社して十ヶ月のルーキーだ。小柄で目鼻立ちがはっきりしたチャーミンな外見をしている。配属が決まり、今の部署に入った時、四分の三を占める男性社員からの拍手喝采を受けた。それまで、お高く止まっていた中島佳代の心情が穏やかではなくなったのはいうまでもない。奈津は本当に気の利く女性で、男女問わず人気があった。取引先の会社からも「久保田さんっていう子、電話の受け答えもいいし、こっちのうっかりミスにもすぐに気が付いてくれる。あんな子がいてくれたら安心だよ」と営業担当の社員が言われる事が何度かあった。内外問わず、奈津は人気者ということになる。

 中島佳代も負けず劣らず端正な顔立ちをしていた。プロポーションだって抜群だ。何時も胸の谷間が見えるトップスを着ている。おそらく胸のサイズは九十センチのFはある筈だ。男性社員に近づく時はその胸を突き出し、長い髪を掻きあげ、そして下から相手の目を艶めかしく見ながら話しをする。それが中島佳代の定番スタイルだ。中島佳代が入社した頃、男性社員はこの姿に悩殺された。実際に、中島佳代が自慢の胸を近づけて来た時、耐えきれなくなった男性社員がトイレに駆け込んだ事が幾度もあった。男だけの飲み会では毎回のように中島佳代の話題が上がった。

「一度でいいから、あの胸で眠りたい」

「あの胸で窒息して死んでも構わない」

と言い出す者もいた。

 実際に中島佳代に食われた者が結構な数いるという噂は本当だった。関係を持ったと思われる男性社員は、次の日、必ず青ざめた顔で出勤して来た。朝礼が終わり自分の席に座わる際、苦痛に満ちた顔をする。そして、両手首にサポーターをしていた。ある日、違う課の部長が手首にサポーターを付けている何人かの社員に「君たち、それは流行りなのかね」と尋ねた。もちろん答えはしどろもどろだった。

 月に二回、行われる飲み会の席で、手首にサポーターをしている者達が追求にあった。もちろん、なかなか白状はしない。ところが泥酔したサポーター男の一人が、震えながら号泣し始め、あの日の事を鼻水を垂らしながら話し出した。

「先輩! 助けてください。僕、怖くて怖くて……」

「ヨシヨシ(笑)助けてやるから言ってみろ」

「二日前の水曜日に中島さんから、今晩一杯飲みに行きません?ってメモを貰ったんです。僕、舞い上がっちゃって指定されたバーに行ったんですよ」

「お前、俺が中島さんに目を付けてるの知ってて、抜け駆けしたんか!」

「すいませ〜ん。許してください」

 机に頭を擦り付けて謝った。

「まぁいい。それでどうした?」

「中島さん、挑発的なシースルーの服に着替えてて、三杯目のカクテルを飲み干した時に僕の肩に頭を乗せてきたんです」

「お前って奴は…」

「酔っちゃったって言われて、帰れますか?って聞いたら、どっかで休んで行きたいって言われて…」

「早く言え!」

「は、はい! その…ホテルに行きました。すいません」 

「それで?」 

「先にシャワーしてきてと言われたので、シャワーを浴びて出てきたんです。そしたら、恥ずかしいから目隠ししてと言われて中島さんから差し出されたアイマスクをつけました。そしたら、中島さん僕の手首を後ろ手に手錠をはめたんです」

「おいおい。お前、そっちの方の趣味か?」

「先輩。違いますよ。中島さんですよ。急に中島さんが鞭で僕のお尻を腫れ上がるくらい打ってきて…」

「それから?」

「これ以上は屈辱的で言えません。その時に中島さん写真を撮ったらしく、それを僕に見せてみんなに知られたくなかったら、私の言う事をお聞き! って」

 一斉に笑いの渦が舞った。笑いの壺に入ってお腹を抱えだす者もいた。同じ体験をした何人かは神妙な面持ちだった。

 この飲み会以降、中島佳代を「女王様」と密かに呼ぶようになった。

 その後も、相変わらずターゲットを見つけては声をかける女王様だったが的中率が極端に落ち、欲求不満が溜まり、イライラして見える事が多くなった。もちろん見えるというのは、この女王様伝説を知る者の先入観からだ。相変わらず、手首にサポーターをし、お尻を浮かせて座っている者はいた。そっちの世界が好きな奴もいるということなのだ。

 久保田奈津の入社以来、女王様・中島佳代の確固たる立場の雲行きが怪しくなった。女王様は何でも一番でなければならないのである。頭の回転もよい、器量もよい、何より小柄でチャーミングな奈津の存在は許せなかった。何かにつけて、奈津をこき使い、自分の仕事のほとんどを押し付けてきた。特に就業時間が終わる五分前になると「これ、今日中にしといてね」と伝票を持ってくる。そして、自分は次のターゲットの元へと全身からフェロモンを出して飛んでいくのだ。

 

 奈津が入社して三年。

 

 東京の本社から三ケ国語を使いこなす、百人いたら百人共が「イケメン」と答えるエリートの進藤圭太が部長として赴任してきた。年齢は三十五才だ。

 もちろん、新しい獲物を見つけた女王様・中島佳代に拍車がかかったのは言うまでもない。

 進藤圭太が赴任した次の週に歓迎会が催された。

 進藤圭太は頭と顔がいいだけではなく、話術にも長けている。おまけにゴルフにテニス、水泳、サッカー、なんでもこなすスポーツ万能な男だ。世の中の女性が放っておくはずはない。

 歓迎会の席でも、すでに進藤圭太の周りには女性社員が陣取っていた。中島佳代はその中心にいる。そして、その日の格好は胸の谷間が三分の二は露出しているカットソーに、パンティーが見えてしまいそうな超ミニのスカートだ。男性社員の視線は中島佳代に釘付けだ。

 久保田奈津は中島佳代がギリギリに持ってきた伝票の処理で、未だ会社で仕事をしていた。

 課長の柴田秋紀が乾杯の音頭をとり宴会が始まった。この柴田も女王様に食い物にされた一人である。間違いなく、柴田のあられもない姿は写真に撮られ、コレクションの一枚にされているはずだ。

 一人一人の自己紹介が始まった。最後の一人が自己紹介を終えた。

「これで、全員終わったかな?」

 柴田秋紀が全員の顔を見渡し言った。

「久保田奈津さんが未だじゃないですか?」進藤圭太が言った。

 進藤圭太はすでに社員の名前と顔を頭の中に叩き込んでいた。

「あの子、要領が悪いんです。だから、いっつも残業してるんですよ。今日だって、進藤部長の歓迎会があるからってちゃんと言っておいたのに…。私から注意しておきます」

 そう言ってきたのは女王様・中島佳代だ。男性社員は静まり返った。特にコレクションにされている奴隷社員は下を向いたままだ。進藤圭太は敢えて何も言わなかった。

 料理が運ばれ、宴会は徐々に盛り上がり始めた。次々に社員達は進藤圭太にお酒を注ぎに来た。女王様・中島佳代は進藤圭太の横を離れようとはしない。だが、進藤圭太が中島佳代の挑発には一切動じないため、苛立ちを隠せない様子が誰から見てもわかった。

 宴会もそろそろお開きの時間となったその時、ようやく久保田奈津が現れた。

「遅くなって申し訳ございません」

「久保田さん、もうお開きの時間よ。仕事は段取りよくしないと、みんなが迷惑するんだからね」

 自分の仕事を押し付けておきながら、先輩面で注意をしたのはもちろん中島佳代だった。

「久保田奈津さんですね。遅くまでお疲れ様でした。料理が冷めてしまったね。この後、時間はありますか?」

「あっ、はい」

「良かった。昔、先輩によく連れて行ってもらった小料理屋があって、挨拶に行きたいから付き合ってくれますか? 仕事の事も聞きたいし」

 断る理由は見つからなかった。

「はい」

 奈津はうなづいた。

「私も…」

 中島佳代が言いかけた言葉を進藤圭太が遮った。

「今日は、ありがとうございました。来週からよろしくお願いします。皆さんのご意見を聞きながら、この部署が発展して行くように全力で取り組んで参りますので、しっかり付いて来てください」と締めくくった。

「じゃ、行きましょうか。久保田さん」そう言って店を出る進藤の後に奈津は付いていった。

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