29. 勝負の行方は

 お茶会の場所は、白い梔子とハーブが植えられている中庭だった。中央に白い円卓を置き、ケーキスタンドには焼き色が綺麗なカヌレがあった。

 高い木が大きな影を作り、風通しもよいため、意外と涼しい。

 それぞれ椅子に座り、若いメイドがティーカップの中を紅茶で満たしていく。ハーブティーだろうか。どこかホッとする上品な香りに、セラフィーナは緊張の糸がゆるまるのを感じた。


「さあ、どうぞ召し上がって」


 カレンデュラが毒味に一口ずつ口をつけたのを見て、セラフィーナも手袋を外して食べる。見た目も鮮やかなフルーツサンドは果物が瑞々しく、食パンの生地もふわふわだった。


「美味しいです」

「ふふん、そうでしょう。うちのシェフは腕がいいもの」


 エディは食べ物には手をつけず、ティーカップをソーサーごとつかみ、ゆっくりと味わっている。

 白地に青の葡萄柄のティーカップは美しい曲線で、取っ手も洗練されたデザインだ。

 カレンデュラのドレスはフリルが多く、今日も気合いが入ったもののようだし、レスポワ伯爵家の裕福な暮らしを如実に表しているようだった。


(勝負の結果が気になるけれど。まずはお茶会を楽しんでから……ということかしら)


 カレンデュラはエディと世間話をしている。

 懐かしい話なのか、エディが目元を和らげて相づちを打っている。セラフィーナにはわからない話題で盛り上がっているのを見て、話の邪魔にならないように空気に徹する。

 やがて、和やかなお茶会が進み、紅茶のおかわりをしていた頃、カレンデュラがメイドを呼んだ。メイドは心得たように包みを両手で抱えて持ってきた。


「お嬢様。こちらを」

「ええ。ありがとう。――下がっていいわよ」


 メイドはお辞儀をして背中を向ける。その姿を見送る途中で、カレンデュラが声をかけた。


「セラフィーナ様。勝負のことは覚えていらして?」

「……もちろんです」

「では、私のほうから発表させてもらうわ。こちらを見て」


 お皿を片付けた場所に白い布が広がる。と思ったら、小さな花が咲き並ぶ屋敷があった。手前に小川が流れ、緑の葉が風で踊っている。


「これは……」


 セラフィーナのつぶやきに、カレンデュラがふふんと薄紅色の髪を横に払った。

 遠くから見たらきっと絵画に見えるに違いない。刺繍とは思えない大作だ。


「見事です。これを一ヶ月で……?」

「正確に言うと、一ヶ月半ですわ。私が言い出した勝負ですもの。全力でやりました」

「しかし、カレンデュラ。だいぶ無理をしたのではありませんか?」


 心配そうに言うエディに、カレンデュラは女神の微笑みで返した。


「まあ、ご心配ありがとうございます。でも、私とあなたの未来のためですもの。このくらい、なんてことありません」

「…………」


 セラフィーナとエディは無言で視線を交わした。


(カレンデュラ様の作品は予想を上回る出来映えだったわ……もう負けは確定ね)


 完成品を知っているエディも同じ気持ちだろう。

 違う勝負だったら結果も違っていただろうが、こればかりは致し方ない。


「……次はわたくしの番ですね」


 カレンデュラの作品の上に自分の作品を載せる。布のサイズも一回り小さいため、比較するのが申し訳ない気持ちになる。

 おそるおそる様子を窺うと、カレンデュラは言葉が出てこないように固まってしまった。やがて、ぷるぷると腕を振るわせてうわごとのようにつぶやく。


「なによ……これ……」

「…………」

「こんなの、幼稚な子供の作品じゃない! あなた、私をばかにしているの!?」


 バンッとテーブルを叩き、カレンデュラが怒りをあらわにした。

 セラフィーナは屹然とした表情で言葉を返す。


「それは正真正銘、わたくしが縫った作品です」

「は……? 冗談でしょう?」

「いいえ。他の勝負はともかく、刺繍は昔から苦手なのです。これでも上達したほうなのですが……」


 伏し目がちに言うと、冗談ではないことが伝わったのか、同情するような眼差しを感じた。気まずい沈黙が流れ、風が木の葉を揺らす。木漏れ日がちらちらと緑色に踊る。


「こほん……勝負は勝負よ。あなたにはエディ様の恋人の座から降りてもらうわ!」

「わかりました。潔く負けを認めます」

「ふふん。わかったのなら、さっさと帰るのね!」


 勝ち誇ったような顔で言われ、セラフィーナは首を左右に振った。


「恋人ではなくなりましたが、わたくしがエディ様をお慕いする気持ちに変わりはありません」

「な、何を……! あなたは負けたでしょう!」


 こうなることは想定済みだ。

 勝負には負けたが、まだ話は終わっていない。回り道をしてしまったが、そもそもこの問題は当事者がしっかり話し合う機会がなかったことが発端である。

 セラフィーナはちらりとエディを見やった。


「本人に決めていただきましょう。誰が自分の婚約者にふさわしいか。それとも選ばれる自信がないとでも?」

「ば、ばかにしないでちょうだい! 私が選ばれるに決まっているでしょう。付き合いだって私のほうが長いのよ。エディ様のことをよく知っているのはあなたではなく、私。――そうでしょう!?」

「いいえ、答えは決まっています。わたくしですよね?」

「え、ええと……」


 二人から詰め寄られ、エディが視線を右往左往とさせる。


(カレンデュラ様を納得させるには、エディ様の口から本心を話すことが大事。どうか気づいて……!)


 必死の願いが通じたのか、困った顔になっていたエディが観念したように肩をすくめた。そして、カレンデュラに向き直る。


「――カレンデュラ。この際なので、はっきりお伝えしますが、私はあなたと結婚するつもりはありません。どうか私のことは諦めてください」

「な、なぜです!? 見た目や教養のどこに不足があるというのですか!? あなたの妻になるために、これまで自分磨きを頑張ってきましたのよ」


 今までこんなに明らかな拒絶はされていなかったのだろう。カレンデュラは理解しがたいという表情で食ってかかった。

 その反応を真顔で見つめ、エディが嘆息した。


「……そういうところです。あなたは芯が強い。だが、いささか強すぎる。自信があるのは結構ですが、すべてが自分の思い通りになると決めつけているでしょう。私の好みとする女性像からかけ離れています」

「で、では、その女のことは……!?」


 カレンデュラが指さす先にいたのはセラフィーナだった。

 その視線を追い、エディと目が合う。だがそれは一瞬だった。すぐにカレンデュラに向き直り、淡々と話す。


「少々無鉄砲なところがありますが、おおむね好ましく感じております。どちらかを将来伴侶とするなら、セラフィーナを選びます」

「そ……そんな」

「ですが、妹の友人としては、カレンデュラは頼りになる存在だと思っていますよ。いつも引っ込み思案の妹をひっぱってくれているでしょう? そういう存在は貴重ですから。これからも妹のことをお願いできますか?」


 それは嘘偽りのない言葉だったのだろう。素直な賞賛にカレンデュラは唇をぎゅっと引き締め、拗ねたような表情を浮かべた。


「……振った女に残酷なお願いをなさるのね。いいわ、レスポワ伯爵家の名前に誓って、その願いを叶えましょう」

「ありがとうございます」


 セラフィーナは静かに自分の作品を鞄にしまう。もう自分の出番は終わった。

 最初から二人で会話をする機会を設けていたら、こんな状況にはなっていなかったのだろうが、熱を上げていたカレンデュラはエディの受け答えを明後日の方向に受け取っていたことは想像に難くない。

 今回はセラフィーナがいることで、ようやく冷静にエディの心のありかを尋ねる心構えができたのだろうから。


   ◇◆◇


 話がまとまって帰る算段がついたところで、ふとカレンデュラが呼び止めた。


「待ちなさい。結局、あなたのフルネームを聞いていなかったわ。私だけ名乗るなんて、不平等ではなくて?」


 馬車に乗ろうとしていたセラフィーナはステップから降り、ドレスをひとつかみして淑女の礼をした。


「――これは失礼いたしました。わたくしはセラフィーナ・アールベックと申します」


 生家の名前を名乗ると、懐中時計の針が動かなくなったようにカレンデュラの時間が止まった。

 数十秒の間を置いて、ぷっくり二重の菖蒲色の瞳がみるみる驚きに彩られていく。


「な……な、なんですって!? あ、あなた……あのアールベック侯爵家の娘!?」

「はい。そうですが」

「あの黒魔王……ヴォール宰相の娘なの? 本当に?」


 なぜか疑い深いカレンデュラの確認に、セラフィーナは小首を傾げた。


「ヴォール宰相は父です。それが何か……?」


 肯定すると、めまいがするようにカレンデュラが額に手を当てた。エディも彼女の反応がわからず、戸惑ったような顔をしている。

 やがて自分の世界にいたカレンデュラがうめくように言った。


「アールベック家には……大きな借りがあるのよ……。なんなの、もう。初めから私は身を引くしかなかったんじゃないの……」

「え? ええと、カレンデュラ様?」


 話が見えず面食らっていると、菖蒲色の瞳がキッとこちらを見た。


「私は身を引くけれど、勝負は私の勝ちだったから! そのことは忘れないでちょうだい!」

「わ……わかりました」

「エディ様も! 幸せにならないと怒りますからね!?」

「……はい」


 今にも噛みつくかと思うほどの剣幕に押され、セラフィーナとエディは頷き返す。その反応に満足したように、カレンデュラがふんと胸を張った。


(よくわからないけれど……まあ、結果よければすべてよし、ということにしておきましょう)


 エディとアイコンタクトを取り、セラフィーナは改めて別れの挨拶を口にした。目が合うとカレンデュラは悔しげな顔を隠そうともせず、後ろにいた老執事がなだめていた。それを眺めながら、エディが肩をすくめて見せた。

 セラフィーナも曖昧に笑い、今度こそ馬車に乗り込んだ。

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