28. いざ、お茶会へ

 お茶会ではエディの恋人として出向く必要がある。当然、偽恋人役も続行だ。

 勝負の件に関してエディを通してレクアルに報告したところ「もっと早く言え」というお小言を頂戴したが、勝手に勝負を受けたことに対する叱責はなかった。やるからには勝ってこいと言われている。

 本日のドレスはレクアル監修のもと、アイボリーのドレスになった。袖口にもフリルがあしらわれ、野薔薇と蔦の美しい刺繍が見事に調和されている。アメジストのネックレスをつけた姿を見たレクアルは満足そうに頷き、セラフィーナたちを送り出してくれた。今日の役目を終えたらもう一度、感謝の言葉を伝えるつもりだ。


(なんだかんだ言って、レクアル様は面倒見がいい方よね。今日の馬車も手配してくださったし……)


 レスポワ伯爵家のタウンハウスまで馬車で揺られる間、セラフィーナは向かい側に座るエディに改めてお礼を述べた。


「エディ様。完成するまでずっと付き合ってくださって、本当にありがとうございました。おかげさまで、ちゃんとした形になりました」

「仮とはいえ、私たちの間柄は恋人でしょう? 遠慮しないでください。もともとはこちらの事情で付き合わせているのですから」

「そ、そうでしたね……」


 相づちを打ちながら、なんとも言えない気持ちになる。

 偽りの関係とわかってはいても、彼の口から恋人という単語が飛び出すのは心臓に悪い。


(うう、過剰反応はだめよ。気にしない、気にしない……)


 心を無にして、手提げ鞄の中に入れた完成物を手袋越しに確かめる。

 エディの的確な指導のもと、セラフィーナは間違えて刺してしまった部分はそのたびに糸をほどき、正しい箇所に刺し直した。最初は失敗続きだったが、刺す前に慎重にマス目を数えるようになってから、少しずつミスも減っていった。

 一部分がうまくできたと喜んでいたのもつかぬ間、実は左に一列ずれていることが判明したときは目の前が真っ暗になった。絶望するたびに優しく励まされ、なんとか気力を振り絞ったが、やり直した回数はもはや覚えていない。気が遠くなる作業を繰り返したせいか、魂が抜けていた瞬間もあった気がする。

 ちなみに糸が強く引っ張られすぎていたのは、失敗しないようにと力みすぎていたのが原因だったらしい。できる限り力を抜いて、ぷるぷる震える手で針を持ったときはエディのほうがおろおろとしていた。あれは完全に、針を初めて持った子どもの保護者の顔つきだった。

 楽しくお喋りしながら緻密な刺繍をする社交術は、一生習得できる気がしない。セラフィーナにとって刺繍とは布の上で刺繍針を片手に挑む戦場だ。複数の刺繍糸を間違えずに使い分け、表も裏もきれいな縫い目で揃えるのは過酷すぎる試練だった。


(でも……わたくしは試練を乗り越えたもの……!)


 何度もやり直しをした結果、誰が見ても花だとわかる出来映えになったと思う。最初が最初だっただけに、奇跡的な上達である。これもひとえに根気よく付き合ってくれた師匠がいたからだ。

 一人だけでは到底完成できず、とても見せられない作品のままだったに違いない。

 ガラガラと砂利道を走る車輪の音が止んだかと思えば、座席が少し浮遊するような振動の後、馬車が停車する。馭者がドアをノックして到着を告げた。


「さあ、参りましょうか」

「……はい」


 先に降りたエディが手を差し出す。その手につかまり、馭者が用意したステップを下りていく。

 領地のカントリー・ハウスと比べたら狭いが、左右に並んだ植木の向こう側に大きめの屋敷がある。壁にはひし形の模様がついたレンガが積み上げられ、二階にはアーチ型の窓が取り付けてある。なかなか立派な佇まいだ。

 細長い白ひげが印象的な老執事が出迎えてくれ、応接間に案内された。


「お嬢様を呼んでまいりますので、それまでゆっくりお寛ぎください」


 入れ違いに来た年嵩のメイドがティーセットを置いて出ていく。

 ワインレッドの縦縞の壁紙に、深緑の絨毯が敷かれ、落ち着いた内装だ。暖炉の上には浮き出し模様の飾り棚があり、横には柱の代わりに木彫りの熊が立っていた。

 部屋を見渡し、おそらくお茶会の場所は別なのだろうと見当をつける。

 セラフィーナは紅茶を飲みながら、部屋に飾られている美術品を眺めた。離れ小島の朝日が照らす風景画は優しいタッチで描かれ、海が太陽の色で染まっている。

 横に視線をずらし、ふと壁際に飾られている金の額縁に目が留まる。

 立ち上がって近くまでいくと、額縁の中には銀のスプーンが一つ収められていた。丸い部分には細かい穴があり、繊細な模様が彫られていた。食卓に並ぶスプーンとは異なり、スプーンの柄が細く尖っている。

 セラフィーナの視線の先を目で追いかけたエディが口を開く。


「スプーンがどうかしましたか?」

「あ、いえ。珍しいなと思って」

「……私も初めて見ました。形状が普通のものとは違いますから、鑑賞用でしょうか?」


 エディのつぶやきに、セラフィーナは乳母から教わった知識を紹介する。


「モートスプーンという古い茶道具のひとつですね。茶葉をすくう際はふるいにかけ、粉状の茶葉を穴から落とします。ティーポットの注ぎ口の詰まりを尖った部分で取り、カップの中に浮いた茶殻をこれですくうのです。言うなれば、昔の茶こしというわけです」

「実用性にも優れていたのですね。そんなに珍しいものなのですか?」

「生産されていた時期が短かったため、稀少性が高いのです。銀の茶道具の中でもモートスプーンはひとつひとつがオーダーメイドだとか。穴の部分のデザインが違うため、コレクターの人気も高いと聞きます」


 一通り説明すると、幼い声が話に割り込んできた。


「まあ、それに気づくとはお目が高いのね」

「――カレンデュラ様」

「皆様、ごきげんよう。それはバームリー公爵夫人から友人の証しとしていただいたものなの。さあ、お茶会の準備が整いましてよ。ついていらして」


 カレンデュラはつんと澄ました顔で部屋の外に出ていく。セラフィーナはエディと視線を交わし、その後に続いた。

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