27. 残念ながら才能がないようです

 下級女官部屋で針仕事に勤しんでいると、エディが顔を出した。


「こちらにいらっしゃいましたか」

「どうかしました?」


 椅子から立ち上がりかけると、手でそのままでいいと示されたので、おずおずと再び座る。今は昼食の時間で、セラフィーナの他に女官はいない。

 エディは近くの椅子に腰かけると、一枚の手紙を机に置いた。


「……これは?」

「カレンデュラからお茶会に招待されました。同行者として、あなたの名前が指名されています。何か心当たりはありますか?」


 一瞬首をひねりかけたが、ああ、と理由に思い当たった。

 ちらりとエディを見る。金色の瞳は穏やかな光を宿し、セラフィーナをまっすぐと見つめている。


(心当たりはあるけれど、怒られないかしら……?)


 女同士の取り引きをした夜を思い出し、断り切れなかった自分も大概甘いと思う。なんと説明すればいいかわからず、エディに話すのをずるずると引き延ばしにしていたのもよくなかった。これは、さすがの彼も怒るのではないだろうか。

 今さらやらかしてしまった自覚が強くなり、背筋が寒くなる。世間話で場を和ませてから本題に入るべきか悩むが、余計な小細工をしても意味はない気がする。むしろ、火に油を注ぐことにもなりかねない。

 それでも自分から言い出すのは勇気がいる。

 エディは口ごもるセラフィーナに無理強いはせず、包帯を巻いている指先に目を留めた。手をとっさに机の下に隠すが、すでに後の祭りだ。


「セラフィーナ……。その指はどうなさったのですか?」


 見られてしまった以上、ごまかしはできない。

 もうダメだ。腹をくくるよりほかない。セラフィーナは重い口を開いた。


「実は……勝負することになったのです」

「勝負?」

「はい。エディ様と合流する前に引き留められて、カレンデュラ様と刺繍で勝負をしましょうという話になりまして。負けたほうがエディ様を諦めることになりました」


 決死の覚悟で話したのに、エディは平然としている。


「そんなことになっていたのですか。ですが勝負内容が刺繍なら、何も問題はありませんね」

「……普通はそう思いますよね。見ていただけますか、わたくしのこれまでの成果を」


 机の上に置いていた刺繍枠を取り外し、縫っていた白い布を広げる。

 その刹那、音が一瞬にして消えてしまったような沈黙が落ちた。


「えー……と、これは焼き菓子か何かでしょうか」

「お花です」

「花……あ、薔薇とかですか?」

「いえ、ガーベラです」


 図案としては初心者向けの題材だ。その基準は世間一般でいう常識であり、セラフィーナにとっての常識とは異なる。


「…………あの、もしかして」

「お察しの通りです。わたくし、刺繍が壊滅的に下手なのです」

「そう、ですか。刺繍は図案を見ながら縫えば、ある程度は形になると思うのですが……」

「力加減の問題でしょうか。同じように縫ったつもりですが、毎回糸がこんがらがってしまって。修正しようと試みると、さらに無残な結果に。縫う位置もずれているようで、何度試しても見本のようにはならないのです」


 手本の図案を見せると、エディは何かを悟ったように遠い目をした。


「よく勝負を受けましたね……」


 淑女とて万能ではない。誰しも、欠点のひとつやふたつある。

 侯爵令嬢のときは代理がいた。主に代わって裁縫が上手なメイドがやってくれた。けれども貴族令嬢でなくなった今、そんな便利な存在はいない。


「ええと、まあ。のっぴきならない事情があったといいますか……。ただ、いかなる理由であれ、勝負を受けた以上は逃げるわけにはいきません。どんな不利な状況でも負けることを恐れてはいけないのです」

「気概は素晴らしいですが、誰しも得手不得手はあるものです。あまり無理をなさらないでください。せっかくのきれいな手がかわいそうです」

「弱点を克服してこそ、一人前の淑女だと思うのです。わたくしは最後まで諦めません」

「悲愴な顔で言われても説得力が……本当に大丈夫ですか?」


 気遣うように言われ、セラフィーナは過去に思いを馳せた。

 何度やっても期待に応えられなかった結果、周囲は諦めの気配に包まれた。代わりにやりますからと静かに取り上げられて、渋々それを受け入れた。

 努力だけではどうにもならないことがあるのだと思い知ったあの日、セラフィーナは針を手放した。侯爵家の使用人は優秀だ。彼女たちに任せれば何も心配はいらない。そう自分に言い聞かせることしかできなかった。


「家庭教師からは、ない才能は伸ばせないと言われました。ですが、それも昔のこと。成長した今ならば、結果は違うかもしれません」

「…………」

「と息巻いてみたものの、結果はご覧の通りです。毎日特訓を重ねていますが、上達までの道のりは険しいですね。家庭教師が言っていたことは正しかった。……わたくしに刺繍の才能はありません。ですが、わたくしは諦めが悪いのです。勝算は限りなく低いですけれど、どうか見守っていただけないでしょうか?」


 みっともなくあがくなんて真似、貴族令嬢では考えられない。けれども、今のセラフィーナは平民だ。何もせずに諦めるという選択肢はない。

 だがエディからすれば、理解に苦しむ行動だろう。セラフィーナの腕前を見た者は誰もがさじを投げた。きっと、彼も暗澹たる思いを抱えているはずだ。こんな不出来な作品を見てしまったら無理もない。

 エディをまた困らせてしまった。発言を撤回すべきかと逡巡していると、そんな不安を払拭するように明るい声が返ってきた。


「そうですね……一緒にやってみましょうか」

「へ?」

「これでも妹に代理を頼まれるくらいには刺繍は慣れているので。少しはお役に立てられるかもしれません」


 目が合うと、陽だまりのような微笑が向けられる。


「代理って……刺繍のですか?」

「そうです。もともとは不慣れな妹に付き添ってやっていたのですが、私のほうが上達してしまって。妹のリクエストもどんどん上級者向けになっていくので、自然と腕が鍛えられました」

「き、器用なんですね」

「意外とやり出すとハマるんですよ。コツコツとやることが性に合っているのかもしれません」


 嬉しそうに話すので、おそらく本音なのだろう。

 しかしながら、意外な特技を聞いてしまった。男女の偏見はないつもりだが、刺繍が得意な貴族男性の例は今まで見たことも聞いたこともない。


(エディ様の場合、刺繍を覚えてしまうぐらい、妹さんと仲がよいのね……)


 純粋にうらやましいと思ってしまう。自分にもそんな存在がいたら、刺繍の腕も少しはマシになっていただろうか。

 うつむいて考えこんでいると、エディが遠慮がちに声をかける。


「あなたさえよければ、代わりに私の作品を出してもいいんですよ?」

「…………それはできません」


 首を横に振ると、声に非難するような色が混じる。


「勝負に負けてもいいのですか?」

「――いいえ。ですが、これは社交の駆け引きではなく、れっきとした乙女の勝負なのです。卑怯な手を使って勝利するなど、相手に対して失礼です。カレンデュラ様は正々堂々とした勝負をお望みでしょう。ならば、わたくしも誠意を持って対応せねばなりません。もし姑息な方法を用いたと知られたら、あの方は二度とわたくしを許さないでしょうから」

「それで、結果として負けてもいいと?」


 セラフィーナは唇を引き結んだ。

 この勝負は自分だけのものではない。エディもすでに巻き込んでいる。しかも事前に相談もなく。これ以上、彼に迷惑をかけないためには、多少のずるをしてでも勝たなくてはいけない。

 すでに、協力してくれたレクアルの顔に泥を塗っているようなものだ。もし負けるようなことがあれば、二人の信頼を裏切ったことにもなる。いや、黙って勝負を受けた時点で同じかもしれないが。

 本当は最初からわかっていた。何が最善かなんて。


「カレンデュラ様は心からエディ様をお慕いしています。その気持ちが痛いほど伝わってきました。だからこそ、不誠実な真似はできません。偽の勝利に意味はないと思います。……わがままですみません。でも、これがわたくしなのです」


 カレンデュラの泣きはらした目元を見たとき、この勝負は受けなければいけないと思った。彼女のまっすぐな心と向き合うために。

 本物の悪役令嬢なら、こんな風に心を乱されることはないのだろう。いかさまでも使える手はすべて使って、徹底的にヒロインを追い込めるはずだ。


(やはり、わたくしに悪役令嬢の真似なんて、初めから無理だったのだわ)


 いつも自分は中途半端だ。与えられた役にすら、なりきれない。

 うなだれていると、エディが励ますように言葉をかけた。


「あなたは自分の心に正直に生きているのですね」

「いいえ、そんなつもりは……わたくしは情にほだされてしまう甘い人間です」

「自分の弱さを知っている人は他人にも優しくできるでしょう。私は騎士を基準に考えがちで、守るべきもの、切り捨てるものを簡単に分けてしまいます。セラフィーナが決めたことなら、私がとやかく言うことではないですね」


 どこか諦めをにじませた声に、セラフィーナは小さく頭を振った。


「わたくしは不器用な生き方しかできません。エディ様のようにそつなくこなせる生き方に憧れます」

「……そんなにいいものではありませんよ」

「いいえ。レクアル様の信頼を得ていることが何よりの証明です。もっと自分を誇ってください。あなたは選ばれた人間です」

「セラフィーナにそう言われると、少々気恥ずかしくなりますね」


 頑なだった表情が柔らかくなったのを見て、セラフィーナは胸を撫で下ろした。

 時間が合えば勤務後に刺繍の臨時講師になってくれるということで話がまとまり、他の女官が帰ってくる前にエディは出て行った。

 勝負のお茶会まで二週間――残された時間は短いのか、長いのか。

 完成にはほど遠い作品を見下ろし、そっと目を伏せた。

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