22. 再会した人は別人でした

 鮮やかなライムグリーンのドレスは肩の出るデザインで、胸元には大粒のパールのネックレスが輝く。シフォンが幾重にも重なり、後ろは裾がふわりと丸くなったバルーン仕様となっている。

 事前にレクアルが用意してくれただけあって生地は上質だし、大人っぽく落ち着いた雰囲気ながらも可愛らしさも兼ね備えた衣装だ。


(まさか、またドレスを着る機会が来るとは思わなかったけれど……)


 自分をエスコートするパートナーをそっと盗み見る。

 白の蝶ネクタイに燕尾服を着込み、いつもは下ろしている前髪を後ろに撫でつけた横顔は、真面目な騎士から貴族のそれに変わっている。

 エディの腕に指を乗せて大理石のホールを歩くたび、好奇の目にさらされているのが肌でわかった。視線が痛い。それはもう、ちくちくと。

 だが気持ちもわからなくはない。今夜のエディははっきり言って目の毒だ。何もせずとも美しいのに、髪型と服装の相乗効果で色気が増し増しになっている。感嘆のため息をつきたくなる仕上がりだ。その彼が正体不明の女を伴っていれば、誰だって驚く。

 ユールスール帝国では有名人のセラフィーナだが、クラッセンコルト公国で自分を知る者はごくわずかだろう。誰が先に話しかけるか、ひそひそと会話の上で視線が飛び交う。

 会場の注目を集めた中、夜会の主催者への挨拶を無事に済ませて一息をつく。軽食が並ぶテーブルの近くで待機していると、ふと見覚えのある琥珀色の髪が目に入った。優雅な足取りでこちらに向かってくるのはレクアルだ。ということは、彼の護衛騎士も近くにいるはずだ。

 周囲をざっと見渡すと案の定、壁際に騎士姿のアルトが控えていた。向こうもセラフィーナの視線に気づいたらしく、小さく手を振られる。驚いた素振りはないので、事の次第もあらかた把握済みなのだろう。

 足を止めたレクアルはエディを一瞥してから、セラフィーナに笑いかける。


「やはり、お前はドレス姿がよく似合うな」

「……もったいないお言葉です」


 腰を屈んで控えめに言うと、レクアルは後ろにいた連れの男に視線を移した。セラフィーナもそちらを見て数拍の後、目を丸くした。


(どうして彼がここに……?)


 男が身じろぎすると、藤色の髪がさらりと揺れる。

 レクアルより上背があるが、年齢は二十代前半。パールグレーのベストを着込んだ夜会服はおしゃれで、よく似合っている。今夜は前髪を左に流しているせいか、それとも服の効果か、前回の印象とだいぶ違う。


(やけに整った顔の文官だと思っていたけど、実はもっと身分が高いのでは……? もしくは、よく似た顔の別人という線も……)


 そもそも書庫で会ったときと雰囲気がまったく異なる。しばらく誰かわからなかったぐらいだ。けれど、セラフィーナを無言で見つめる青紫の瞳は同じものだ。

 先ほどから訝るような視線が突き刺さり、反応に困る。相手も同じことを思っているだろうが、なぜここにいるのか。とはいえ、こちらの事情を明かすわけにもいかない。困り果てていると、レクアルがにこやかに話を続けた。


「セラフィーナ、紹介しよう。俺の二番目の兄にあたる、ニコラス兄上だ」

「……え。あなたが、ニコラス様……?」


 二番目というと、レクアルと一歳違いの兄だ。


(でも待って。だって、この人は文官の服を着て――)


 混乱するセラフィーナを牽制するように、ニコラスが上品な笑みを浮かべて肯定する。


「ええ、そうですよ。初めまして、ニコラス・クラッセンコルトです。どうぞよろしく」

「よ……よろしくお願いいたします」


 レクアルに負けず劣らず、きらきらしたオーラは夜会の主催者である公爵にも引けを取らない。というか、笑顔の圧がすごい。表情筋を引き締めて無難に挨拶を返すと、レクアルが驚いたように声を上げる。


「なんだ、ニコラス兄上と知り合いだったのか?」

「い、いえ。知り合いとちょっと似ていたものですから……。に、ニコラス様とは今日初めてお目にかかりました」

「そうか? まあ、そういうこともあるよな」


 一人納得するレクアルに、胸の内で違うんですと否定する。言えなかったが。


(雰囲気どころか、口調までも違うなんて……! もうこれは別人の域じゃない)


 内心抗議するが、その相手は笑顔を崩さずにたたずんでいる。素晴らしい演技力だ。劇場の主役ばりの猫かぶりである。

 しかし、それを指摘することは死を意味する。そんな無言の圧力をひしひしと感じる。

 セラフィーナが口を噤んでいると、レクアルが主催者である公爵に名を呼ばれて、またな、と言い残して去っていった。ニコラスもその後を追う。

 二人が離れるのを見送り、ようやく呼吸が楽になった気がする。胸に手を当てていると、エディが気遣うように声をかける。


「大丈夫ですか?」

「は、はい。ちょっとびっくりしただけです。……すみません、飲み物をいただいて参ります」

「私がもらってきます。このままお待ちください」


 言うが早いか、エディが少し先のところにいたウェイターからグラスを受け取り、戻ってくる。わざわざ取ってきてもらって受け取らないという選択肢はない。


「ありがとうございます」

「いえ」


 葡萄色のジュースは芳醇な香りがした。味も申し分ない。心なしか、気分も落ち着いたように思う。

 セラフィーナは空にしたグラスを近くのテーブルの上に置き、エディに向き直る。


「失礼しました。もう平気です」

「それならよかったです」

「……今夜のお役目、しっかり果たせてみせます」


 小声でそっと付け足すと、頼りにしていますね、と言葉が返ってくる。

 そのとき、コツンコツンとヒールの音が耳に響いた。遠巻きに見ていた人の輪から、まっすぐこちらに向かってくるのは一人の少女だった。彼女が先ほどの靴音の主らしい。


(ひょっとして、この方が……?)


 エディを見上げると、小さく頷きが返ってくる。

 癖のない髪は薄紅色で、勝ち気な瞳は菖蒲色に彩られている。口元は紅のルージュが光っていた。

 ドレスは濃い桃色だ。髪色に映えるようにしたのだろう。胸元にはレース編みの大きな花が咲き乱れ、ドレスの裾にいくにしたがって花びらが舞い散るように刺繍がされている。可憐さを前面に押し出したデザインだ。しかも出るところは出て、引っ込むところは引っ込み、見事なプロポーションだ。

 けれど、聞いていた印象とドレスの雰囲気が真逆で面食らう。苛烈な女王様というより、花の妖精のような装いだ。

 少女は目の前まで来ると、セラフィーナには一瞥もくれずにエディだけを見つめる。


「ごきげんよう。お連れの方は初めましてですわね。エディ様、ご紹介いただけるかしら?」

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