20. 沈黙と、確信と、その後

 彼がここにいるわけがない。そう否定したいのに、目の前の光景に頭が追いつかなくて、体が硬直してしまう。

 他人のそら似かもしれない。でも、それにしてはよく似ている。

 エディの反応を窺うと、セラフィーナと同様に目の前の男を凝視していた。偽者とすぐ断じないのは、それだけ本人に近いということなのだろう。


(まずいわ。レクアル様のわけがないのに、似すぎているからエディ様が動揺している。わたくしが、なんとかしないと)


 レクアルとよく似た怪盗は仮面を被り直し、くるりと背を向ける。

 逃がすものかと、セラフィーナは急いでエディの前に出た。


「お待ちなさい! あなたが変装の達人ということは知っているわ。その顔もわたくしたちを動揺させるための手なんでしょう。でも、わたくしはだまされないわよ」


 強気に言い放つと、目の前の男はゆっくりと振り返った。

 仮面越しだからわからないはずだが――にやりと口角を上げた気がした。


「……はっはっは。レクアルというのは世を忍ぶ仮の姿、その正体は、国をまたにかける大怪盗ノイ・モーント伯爵なのさ!」

「嘘を言わないで! レクアル様は犯罪に手を染めるような真似はなさらないはずよ」

「……そのとおりです。あなたが殿下であるはずがない」


 彫像のように固まっていたエディがセラフィーナの横に並び、参戦する。


「殿下を侮辱しないでいただきたい。あなたはただの泥棒です」

「主君に対して、ひどい言われようだな」


 その声音はレクアルと同じもので、まるで本人に言われているような気分になる。

 エディは唇を引き結び、抜き身の剣の切っ先を伯爵に向ける。


「おや。まだ戦う気か?」

「無論です」

「やれやれ、仕方ないな。相手をするとしよう」


 じゃらり、と鎖の音がする。セラフィーナは向かい合う男二人から、そっと離れた。

 先に足を踏み出したのは伯爵だった。

 手の甲に巻き付けた鎖の先端がエディめがけて投げつけられるが、喉元に届くまでに剣ではたき落とされる。


「殿下は両利きですが、利き足は右です!」


 次に仕掛けたのはエディで、突きの姿勢で電光石火の攻撃を繰り出す。それを器用によけ、伯爵が手にした鎖の武器で応戦する。

 しかし、敵だと再認識したエディは容赦なく相手を追い込んでいく。伯爵が屈めば、すかさず蹴りを入れ、逃げ道をどんどん塞いでいく。やがて壁際まで追い詰めることに成功し、伯爵の喉元に剣先を突きつけた。


「――勝負ありましたね」

「さあ、それはどうかな?」


 両手を挙げて降参のポーズをしているが、伯爵にはまだ余裕が残っているらしい。


(この期に及んで、強がりかしら……?)


 首をひねっていたセラフィーナは、視界の端に動いた影を見て口を開ける。


「……エディ様! 上に誰かいます!」


 警告は遅かったようで、白い煙幕が視界を防ぐ。とっさに煙を吸わないように袖で口元を押さえるが、目がしぱしぱする。涙腺がゆるんだように、目の前がぼやけてよく見えない。


(なに、これ……っ)


 あふれる涙をぬぐっていると、煙幕が徐々に薄らいでいく。

 伯爵がいた場所はもぬけの殻となっており、エディも剣を鞘に収めてこちらに戻ってきた。腰を屈め、うずくまっていたセラフィーナに手を差し出す。


「大丈夫ですか?」

「うう……何でしょう、涙が止まらなくて」


 あやふやな視界の中、おずおずと手を重ねると、ぐいっと引き上げられた。

 そして、目尻に柔らかい布がそっと押し当てられる。驚いて目を瞬くと、絹のハンカチが涙を拭いてくれていた。


「……す、すみません……っ」

「いえ。私は耐性があるから平気ですが、ご婦人には刺激が強かったのでしょう。どうぞ使ってください」

「あ、ありがとうございます……」


 ハンカチを受け取り、頭を下げる。地面に置いていたランタンをエディが拾い、視界が明るくなる。


「あと少しでしたが……取り逃がしてしまいました」


 悔しそうに言う横顔は自分を責めているように暗く沈んでおり、セラフィーナはハンカチを握りしめて励ましの言葉を探す。


「ですが、少なくとも彼の今日の盗みは失敗です。エディ様の功績ですよ」

「……今後は警備を厳重にしなければなりません」

「そうですね」


 それきり、会話は終わってしまう。

 沈黙が重かった。けれど、かけるべき言葉が思いつかない。

 女子寮の前にたどり着いたとき、エディがふっと上を見上げた。反射的にまずい、と思ったが、すでに手遅れだった。


「……セラフィーナ。私の見間違いでなければ、窓から抜け出した方がいるようですが」

「…………」

「あれは、あなたの仕業ですね?」


 確信を持った響きに、がくりと首を下げた。

 間違いなく、エディの中で、セラフィーナの株が暴落した瞬間だった。


   ◇◆◇


 数日後、洗ったハンカチを返すタイミングを探していたセラフィーナのもとに、エディが現れた。今はリネン室からの帰り道である。幸い、周りに人はいない。

 もしかしたら、周囲に人気がいないときを見計らって来てくれたのかもしれない。

 お仕着せのポケットから絹のハンカチを取り出し、エディに差し出す。


「エディ様。先日はハンカチをありがとうございました」

「……あれから、夜中に部屋を抜け出すようなことはしていませんよね?」


 気のせいだろうか、ハンカチを受け取ったエディの目が冷ややかだ。


「もちろんでございます」

「ならいいのですが。運動神経がよいのは知っていましたが、窓から出入りするなんて、淑女がすることではありませんよ。怪我をしたらどうするのですか」

「以後気をつけます」


 実家では時々、気晴らしに抜け出していたことを知ったら、またお小言が飛んでくるに違いない。セラフィーナは話題を変えることにした。


「ところで、あの商人はその後、どうなりましたか?」


 セラフィーナに名乗った名前が本名だったかはわからない。偽名だった可能性もある。

 エディはため息をひとつこぼし、口を開いた。


「バルトルトという商人は実在していました。献上品も問題ありませんでした。ただ、彼が宮殿で拝謁した日時はバルトルトは店にいました」

「……え? ということは……」

「そうです。本物はお店で働いていました。アリバイは完璧です。あの泥棒はバルトルトに変装して下調べをしていたことになります」

「またやってくるでしょうか?」


 セラフィーナの問いに、エディは首を横に振った。


「その可能性は少ないでしょう。一度盗みを失敗したことで、警備は厳重になりました。今度は逃がしません」


 決意を秘めた瞳を見ていたら、なぜか心臓が騒ぎ出した。鼓動の音が大きく耳に反響する。


(気のせい。気のせいよ。……セラフィーナ、心を強くするの)


 自分自身に言い聞かせ、胸に手をあてて心をなだめる。好きだの愛だの、という感情は自分には不要のものだ。こんなところで足踏みしている場合じゃない。


(わたくしは……未来を変えてみせる。余計な感情は要らない)


 ぐらつきそうになる感情に蓋をし、セラフィーナは神妙に頷いた。

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