2. 本気の誘いには本気で断ります

 レクアルの鳶色の瞳がまっすぐに見つめてくる。セラフィーナも見つめ返したが、頭の中はいまだ混乱している。


「無論、そちらがいいのなら正妃でも構わないが」

「ちょ……ちょっと待ってください」

「うん?」

「わたくしが、レクアル様の妃になると……そういうお話ですか?」

「そうだ」


 何を当然のことを聞くのだ、とばかりに首を傾げられて、セラフィーナは瞬いた。


(こ、これは……ただの冗談というわけではなさそうね……?)


 どこから突っ込めばいいのか。考えあぐねている間にレクアルが口を開く。


「クラッセンコルトは、ユールスール帝国よりも温暖だ。冬もここよりは過ごしやすいと思うぞ。もちろん、私の妃となるからには不自由もさせない。条件は悪くないと思うが?」

「……条件がよすぎて逆に怖いです」


 うっかり本音をもらすと、レクアルは楽しげに口の端を持ち上げた。

 その横で、護衛の騎士が顔を手で覆っていた。


「なるほど。確かにうまい話には気をつけろと言うな。だがしかし、私はお前を気に入った。胆力のある女性は好ましい。どうだ、妃になってみないか。悪いようにはせぬ」

「…………謹んでお断りいたします」


 自分の第六感が囁いている。目の前の男はやめておけと。

 悪い男には見えないが、胸の内で何を考えているかは謎だ。深く関わるのは避けたほうがいい。


「はっはっは、断るか。なるほど、そうはうまくいかないか」

「えっと……」


 一人頷くレクアルにどう声をかけたものかと悩んでいると、彼の騎士が眼前を通り過ぎる。何だろうと思って見ていたら、先ほど自分が放り投げたヒールを両手に載せていた。


「足元、失礼いたします」

「え、あ、はい」


 反射的にドレスの裾を少し持ち上げると、セラフィーナの前で跪いた彼は、恭しく足を取って丁寧にヒールを履かせる。けれど、されるがままになっている状況に心がついていかない。

 騒ぎ立てた心臓を鎮めようとしていると、不意に足元から柔らかい声が聞こえてくる。


「どうか気になさらないでください。レクアル様はいつも突然思いついたまま言い出すので、私も困っているのです」


 冷たい白亜の床から素足が離れ、ヒールを履いたことで目線の位置が変わる。


「あ、あの。あなたは……?」

「失礼しました。エディ・ダールグレンと申します。殿下のお目付役です」

「そ、そうですか」


 エディは立ち上がり、改めて一礼した。

 流れるような所作は優雅で、セラフィーナは目が釘付けになってしまう。金色の瞳を縁取る長い睫毛は傾国の美女のような色気があり、彫りの深い顔つきは凜々しい。物腰も柔らかく、レクアルとも年齢が近いように見える。エディのほうが年上なのかもしれない。それでも二十代前半ぐらいだろうが。


(うう……こんな美青年にお世話になったなんて、いたたまれない)


 素足を殿方の前でさらしてしまった羞恥心より、高価なガラス細工を扱うような手つきで触られたことのほうが余計頬を熱くさせた。


(ああもう……忘れるのよ!)


 生々しい感覚を思い出すからいたたまれないのだ。ぶるぶると頭を横に振っていると、気遣わしげな声がかかる。


「あの……大丈夫ですか?」

「だ、大丈夫です。……その、ありがとうございました」

「いえ」


 エディは用事は終わったとばかりにレクアルの後ろに控え、沈黙を選んだ。


(花の香り……?)


 彼の残り香をたどり、先ほど見た花の徽章を思い出す。確か、クラッセンコルトの公都は花の都と名高い。


(そういえば、今まで他国に行くことはあっても、クラッセンコルトに行ったことはなかったわね。どうせなら、今までやったことないことに挑戦してみるのもありかも)


 セラフィーナはレクアルを見上げ、一歩足を踏み出した。


「レクアル様。……お願いがございます」

「なんだ。申してみよ」

「近日中に、わたくしは領地から追放されます。ですから下働きでもいいので、どうか働かせていただけませんか?」

「いいぞ」

「えっ」


 予想外の色よい返事がもらえて、逆に戸惑う。

 まさか快諾されると思っていなかっただけに、何か裏があるのではと勘ぐってしまう。

 だがそれすらも見透かしたように、レクアルは不敵な笑みを浮かべた。


「働き口に困っているならうちに来るといい。だが忘れるな、どんな身分になろうと、俺が第二妃に望む気持ちは変わらない。女官でも下働きでもなんでも、気が済むまでやってみるがいい。最終的に、お前が来るのは俺の隣だ。そのときを待っている」


 どこからそんな自信が来るのか。しかし、上司だと思うと、不思議と頼りがいがあるように思えてくる。


(本当に不思議な人だわ……)


 先ほどまで警戒心が強かった相手だったはずなのに、こうも簡単に気を許してしまうのはレクアルの自信満々で、驚くほど前向きの雰囲気のせいかもしれない。

 出立の日取りの相談をしていたセラフィーナは、遠くの柱からこちらを見ていた人影には気がつかなかった。

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