最終話

 時間というものは光陰矢の如く去って行くもので気がつけば芸文祭当日となっていた。


「あたしらって何時からだっけ?」 

「一時半からですよ。もうそろそろスタンバイしておかないと」

「りょーかい。ところで美香は?」

「お腹空いたってなんか屋台の方まで行ってました」


 ちなみに美香のことは姉の友人だということで響子さんには伝えてある。 


「ただいまー。二人とも焼きそば食べます?」

「私はいいかな。さ、早く裏に行こう」


 そうして颯爽と響子さんは歩いて行った。後を追うようにして俺たちもついて行く。


 ステージでは二つ前の出演者がパフォーマンスを始めていた。プログラムによるとダンスサークルらしい。


「雪、チューナー貸して」

「はいはい」


 カバンに入れていたチューナーを投げ渡す。


「いい加減自分で持ってきてくださいよ」


 返事は返ってこない。自分でチューナーは持ってこないくせにチューニングの時間になると急にスイッチが入るのだ。彼女にとってここが切り替えのポイントらしい。


「あの……私はどうすれば?」


 美香が不安そうな顔をしてこちらを見てくる。


「特にないよ。最後の確認さえしといてもらえれば、後は焼きそば食べといていいよ」


 そうして俺もカバンからもう一個のチューナーを取り出すとベースのチューニングを始める。次いで指の運動、運指の確認。一通り終わったところで顔を上げると響子さんも準備を終えたところだった。


 静かな騒音が聞こえてくる。ステージから流れてくる音。観客の歓声。無言の舞台裏。三つの音が混ざり合って心地よいリズムをつくる。最初の頃は緊張でガチガチだったこの時間も、今ではリラックスすることが出来る。


「美香、大丈夫?」


 珍しく響子さんがこの時間に口を開いた。普段ならステージに出るまでずっと瞑想してるはずなのに。


「だ、大丈夫じゃないです……」


 そう言う美香の手は割り箸からスティックに持ち変わっていた。


「緊張したときはね、手の平に人という字を三回書いて飲み込むといいよ」

「ベッタベタじゃないですか」


 もうちょっとタメになることを言うのかと思ったらめちゃくちゃ普通のことだった。 


「美香さんも律儀にやらなくていいから」


 横を向けば今まさに人の字を飲み込もうとする人がいた。

 ステージの方から大歓声が上がった。どうやらダンスが終わったようだ。裏に人が流れ込んでくる。


「じゃ、私たちも移動しようか」


 響子さんの号令で舞台袖に移動する。どうやら次のステージは手品サークルのようだ。さっきよりもより鮮明に観客の声が聞こえてくる。


 流石に少し緊張してきたな。このステージに立つ直前だけは何十回やっても慣れない。でも響子さん曰く、ライブ後の次にこの時間が好きなそうだ。緊張と期待が入り交じったこの感情がなんともいえないらしい。俺にはよくわからない次元であの人は音楽をやっている。


 今までより一段大きな拍手が起こった。とうとう出番が回ってきたらしい。覚悟を決めないと。


「さあ、行くよ」


 暗い通路を抜けてステージへ飛び出す。明るさを取り戻して視界が開ける。

 音の最終チェックが済むと、前振りもなく一曲目を始める。まずはギターのソロから。



 

 君が泣いた夜にロックンロールが死んでしまった

 僕は飛べない

 イチニのサンで日が暮れて

 明日になればわすれてしまうのさ

 もう時間が止まればいい

 



 ベースとドラムが合流する。うん。ドラムも悪くない。さっきまであんなに緊張してた割にはリズムも走ってないしよく叩けてる。観客の手拍子に惑わされてないし、初めてにしては上々だ。


 響子さんに関しては言わずもがな。相変わらず気持ちよさそうに演奏するこって。短い練習期間だったけどこれだけ完成度を高めてくるのは流石だ。


 体感的には一分もしないうちに一曲目が終わってしまった。


「えー、一曲目は星丘公園という曲でした」


 響子さんのマイクパフォーマンスが始まる。メンバー紹介を通ってちょっとした小ネタを挟み、一通り済んだところで二曲目に入る。


「じゃあ、ちょっと早いけど次で最後の曲です。うちのベーシストが作詞作曲しました。聴いてください。名も無き夜に」


 静寂の中、ドラムの四ビートが響き始める。ギターがコードをなぞりながら歌い出した。メロディはカノンコードを少しいじったもの。歌詞はまあ……正直その場のノリで書いたのであんまり思い入れはない。まあ俺が好きなのは作曲であって作詞ではないということだ。


 間奏のギターソロ。ここも単純にペンタトニックスケール内で遊んだものに過ぎない。いい曲を作るのに難しいコード進行や理論はいらない。簡単なもので人を沸かせることが出来るんだ。


 Cメロは少し落として、ラスサビは半音上げる。そうすることでメリハリをつけるんだ。最後はサビと同じコード進行。余韻を残すようなドラムのシンバル。そして三人で決めて曲が終わる。


 歓声も消えないうちに舞台裏へと下がる。冷めない熱気。響いてくるアンコールの声。でもその期待には応えない。だって俺らはこのために音楽をやっているんじゃない。自己中心的な音楽をやってるんだ。自分が気持ちよくなりたいだけなんだよ。ああ、最高。なんだかんだ言ってバンドが好きなんだなぁ、俺。 

 

 




「じゃあ今日はお疲れさまってことで。乾杯!」


 その夜、いつもの居酒屋で打ち上げをしていた。


「いやー、今回も上手くいったね」


 そう言いながら一口でジョッキの半分ほど飲み干す響子さん。男らしすぎる。


「めっっっちゃ緊張しました。いつもあんなのやってるんですか?」


 そういう美香の片手にはモスコミュール。死神のくせになかなか洒落たものを飲みやがる。というか死神も酒飲むんだな。


「最初はそんなもんだよ。あとは慣れ。……って言っても今回だけなんだっけ」

「そうですね……」

「まあ仕方ないさ。今日一緒にやれてよかったよ。ありがとう」

「いえいえ! 私こそありがとうございました」

 

 女子同士になんか友情が生まれている。これも音楽の力かもな。

 

 二時間の飲み放題だったが話は尽きなかった。ライブの話から音楽の話へと映り、最終的にはただの日常話にになっていたが楽しかった。というかあの死神、一体どこまで人間生活に溶け込む気だろうか。恋愛話とか普通にしてたけどなんの違和感もなかったぞ。そういえば死神っぽいところとか一回もみたことないけど本当に死神なのだろうか。甚だ疑問だ。

 

「二次会どうする?」

「もちろん行きますよ」

「私はちょっとお先に失礼しますね」


 これは意外だ。ってか家一緒なのに。まあ合鍵は渡してあるから問題はないが。


「そっか。じゃあお疲れ」

「はい。失礼します」


 そうして美香は帰っていった。もしかして気を遣ってくれたのだろうか。


「じゃあ、二人で飲み直そっか」

「そうですね」


 近所のワイン食堂に入る。全体的に静かな雰囲気で気に入ってる店だ。


「今日のライブ」


 彼女はそう切り出した。


「今までで一番楽しそうだった。何かあったの?」


 一瞬ドキリとした。自分のことに夢中なふりしてちゃんと見てやがる。


「……この前死のうとしたんですよ」


 すると彼女は少し驚いた顔を見せた。


「バンド解散して、しばらく考えてるうちに生きてる意味とかわかんなくなってきて。屋上から飛び降りようとしたんですよ」


 彼女は黙ったままだ。


「でも引き留めてきた人がいて。それでもうちょっとだけ生きることになったんですけど。曲とか作ってるうちにやっぱり俺音楽が好きなんだって」

「……人間してるねえ」


 長い沈黙の後、彼女はそう言った。


「生きてる意味とか考えるのなんて人間だけだよ。そんなもん考えたって人生が楽しくなるわけじゃないんだし、もっと気楽に生きようよ」

「気楽に……」

「そう。結局は動物的本能なんだよ。心臓が動いてるから生きてる。そんなんでいいじゃない。そうして生きてきた人生にたまたま音楽があった。ただそれだけだよ」


 心の中で何かが融けた気がした。生きなくていいから死ぬじゃない。死んでないから生きてる。そっちの方が楽じゃないか。その道中にあったもので心の隙間を埋めるのだ。俺らは偶然それが音楽だっただけであって、人によってものは多種多様だ。いわゆる趣味だとか才能だとか呼ばれてるやつだろう。


「すげえなぁ」

「そう? 私からしたら雪の方がすごいと思うけどね。私そんなこと考えたことないもん」

「響子さん音楽バカですもんね」

「なにおぅ!?」


 

 結局二次会の後はすぐに解散した。だって俺は彼女に話さねばならないことがあったから。

 



 

「ただいま」

「あ、お帰りなさい」


 美香はまだ起きていた。カバンを仕舞うと布団に座り込む。


「話があるんだ」


 美香は真面目な顔をしてこちらを向いた。


「俺さ……前は生きたいとも死にたいとも思ってなかった。それは別に今も変わらないし、今後変わることもないと思う」


 人の価値観ってのは簡単には変わらないもんだ。それがある程度を取ってから固まったものであれば尚更。


「でも気づいた……いや、気づかされたんだ。生きたくないから死ぬより、死んでないから生きるの方が楽しいって」


 要するに“生きても死んでもいい”をどっちから捉えるかだ。生きる方面から見るか、死ぬ方面から見るか。二ヶ月前の俺は後者だった。でも今は違う。


「今でも生きたいとは思わない。でももう自殺することはないよ」


 無理に生きたいと考えようとすることが間違いだったのだ。俺は生きたいと思わない自分を受け入れる。それでいいんだ。


「そう……ですか」


 そう呟く美香の顔は少し儚げに見えた。


「だから、もう大丈夫。別の人のところに行ってあげて」


 よくよく考えてみると最初の望みは叶ってないし、俺が自殺を止めたのも響子さんがきっかけなので別にこの死神が何かしたって訳でもない。でももう十分なんだ。このライブがあったから響子さんとあんな話が出来たし、そのライブが実現したのも美香のおかげだ。


「わかりました。それでは」


 そこで俺の意識は途切れた。

 



 

 翌朝目覚めると美香はいなくなっていた。きっと別の自殺しそうな人のところへ行ったのだろう。はたまた冥界に帰って死者の整理をしているか。

 

 あの夜がなければ今俺はここにいないし、音楽と真面目に向き合うこともなかった。これがいいのか悪いのかは俺には判断しようがない。人生ってのは複雑に絡み合って形成されていくものだろう。全く不思議なもんだ。


「さ、新曲でも作りますかね」  



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