第2話


「あ、こっちです」


 翌日、俺は大衆居酒屋の前にいた。美香は家でお留守番してもらっている。そっちの方が色々と都合がいいからな。


「お疲れ。入ろっか」


 須藤響子。高校時代の先輩で、元バンド仲間。ちなみにギターボーカル担当。茶髪のショートカットをウェーブさせた髪型、猫目、小柄な体は当時ファンを熱狂させていた。ファンって言ってもクラスメイトとかそんなんだけど。


「私生中ね」

「わかってますって」


 席に置いてあるタブレットで生中を二つ注文する。すると一分もせずに出てきた。


「それで? 今日はどうしたんですか?」

「別になんともないよ。ただ飲みたいから誘っただけ」


 そんなことだろうと思った。彼女はこうして定期的に俺を呼び出しては飲みに連れ回っているのだ。俺もこうして断らないものだからすっかり体のいい飲み相手と化してしまった。別にこれが嫌だとかは思わないんだけどね。


「結局新しいドラマーは見つからないんですか?」

「全然駄目。やっぱりドラマーはどこも引っ張りだこだからね。こんな趣味でやって

るような連中の元には来やしないよ」


 数ヶ月前にドラマーが辞めて以来、うちのバンドは解散状態にあった。別に解散じゃなくて休止でいいじゃないかと提言したが、響子さんが強く拘ったのだ。


「もう打ち込みでいいんじゃないですか? 俺がやりますから」

「やだ」


 半分になったジョッキの中身を一気に飲み干す。こうして話が平行線のまんまで一歩も進んでないのが現状だ。


「今年の芸文祭のステージどうするんすか。もう二ヶ月切ってるんですよ」


 芸文祭とは毎年秋に行われる大学の文化祭のことだ。


「なんとかなるって。まあ今日は飲もうや」


 そう言って彼女はタブレットを操作し始める。


「俺ハイボールで」

「はいはい」


 もう何十回と飲み交わしてきているので互いの注文パターンは知っているのだが形式として言っておく。


「……何でそこまでバンドに拘るんすか」


 ジョッキが卓に置かれる。ついでに知らない料理まで出てきた。響子さんが追加注文したのだろう。


「別に深い意味は無いよ。ただライブの時のあの高揚感を人と共有出来るのが最高に楽しいのさ」


 それなら二人でも別にいいじゃないか、とも思うがきっと彼女の中ではスリーピースこそが至高なのだろう。


「どんなに小さいハコだっていいんだ。人前で好きなようにギター弾いて気持ちよくなってるあの瞬間のために私はやってるんだ」


 何となく腑に落ちてしまった。彼女はいつだって自分本位だ。だからギターを弾くときも自分が最高に気持ちよくなれる場面を求めているんだ。


「というか雪は? 曲は出来たの?」

「全く」


 うちのバンドはライブをやるときは必ず新曲を書き下ろすようにしていた。とはいっても響子さんや元メンバーは作曲が出来ないので全部俺が担当しているのだ。


「駄目じゃん。あと二ヶ月切ってるんだよ?」

「まんまこっちのセリフですよそれ……。だいたいカバー曲すらまだ決めてないじゃないですか。」


 今回の芸文祭ではカバー曲とオリジナル曲が各一曲ずつの予定だった。


「そうそう、それで思い出した。いい曲を見つけたんだよ」


 そうして彼女はポケットからスマホを取り出す。


「ほらこれ。humpbackの星丘公園って曲なんだけど」


スマホから流れてきたのは至ってキャッチーなメロディだった。わかりやすいコード進行だがシンプルすぎて逆に残りやすい。ライブでやるにはちょうど良い曲だ。


「……確かに良いですね。やりやすそうですし」

「だろう? じゃあ今回のカバーはこれで決定な。あとは新曲なんだが……」

「やっぱりドラムが見つからないと出来ませんって。難しさとかも調節しないといけないんですから」

「うーん……」


 このままだとステージをキャンセルしなければならないことになってしまう。それはなんとか避けたいものだが。


「あ……一人心当たりあるかもしれません」

「え!? ほんとに!?」





「それで私にドラムをやれと?」


 響子さんと別れた後、家に帰って美香にさっきのことを話した。


「そう。今回だけでも良いから、お願い出来ない?」

「私ドラムなんてやったことないですよ」

「今から練習すればなんとかなるから。頼むって」


 精一杯懇願してみるものの、美香の表情はあまり明るくない。これは厳しいか。


「わかりました。やります」

「マジで!?」


 正直あまり期待していなかったのだがこれはよかった。


「ただしちゃんと基礎から教えてくださいよ。私が下手で恥をかくのは神崎さんなんですから」

「もちろん」


 これでなんとか芸文祭に出ることは出来そうだ。あとは曲を作らないと。ドラムは初心者だから無茶はさせないようにしないとな。


「それだけ熱意があっても自殺するんですね」


 呟くように彼女はそう言った。


「……まぁ、音楽は生きる理由にならなかったということだよ」 



 

 という訳で早速翌日から作曲と練習が始まった。ドラムは吹奏楽部の余っているものを貸してもらった。空きコマごとに通い詰めては基礎からみっちりと教え込んだ。作曲の方も案外すんなりといった。ドラムが初心者であること、観客が一般人であることを考慮すると乗りやすい王道なメロディラインが適切だ。



 

 そんなある日のことだった。


「神崎さんって、作曲してるときが一番楽しそうですよね」 


 パソコンをいじくってる俺の隣で美香がそんなことを言った。 


「そうかな? まあ確かに作曲は好きだけど」

「練習の時とは顔が違いますもん。一人で笑ったりしてちょっと気持ち悪いくらいです」


 散々な言われようだな。別に好きにさせてくれよ。


「神崎さんは何がきっかけで音楽やるようになったんですか」


 きっと彼女にとっては何気ない質問だったのだろう。しかし今の俺にとっては何故か深く刺さった。


「……高校に入学したときにさ、部活動紹介があったんだよ。そこで軽音楽部の演奏に心打たれてね。俺もこんな風になりたいって思って軽音部に入ったんだ」


 まあ本当は軽音部に入った目的はこれだけじゃなかったんだけどな。それは美香には内緒にしておく。


「でも実際に演奏していくうちに楽器よりも曲そのものに興味が出てきたんだ。こんな素晴らしい曲をどうやったら書けるんだ。どういう風にメロディを組み立てればいいんだって」

「そこで作曲に目覚めたんですね……」


 多分考えてみれば元々素質はあったのだろう。昔から音楽を聴く方の人間であった。流行の邦楽にしろ洋楽にしろ。ボーカロイドや電子音楽にはまっていた時期もあった。


「音楽って不思議なもんでさ。いかにも感覚的ですよ、感情的ですよって誘っておいて実際に触れてみるとガチガチの理論で攻めてくるんだよ。俺はそれを理論的に感情的をやるって呼んでるんだけど」


 大多数の人間に受ける曲には必ず法則がある。カノンコードやら王道コードってのがその最たる例だ。


「やっぱり作曲が好きなんですね」

「……そうだな」


 話しているうちに自分でも気づいていた。俺の中での音楽は人を喜ばせるためのものだ。どんなメロディにすれば人が気持ちよくなれる。Ⅰ、Ⅴ、Ⅵ、Ⅲ、Ⅳ、Ⅰ、Ⅳ、Ⅴで人は楽しくなれるのだ。そうして人が盛り上がっているのを見て気持ちよくなれるんだよ。


 そしてこれが俺と響子さんが微妙にわかり合えない理由でもあるのだろう。俺は人が楽しんでるのを見ている時が、彼女は自分が弾いている瞬間が楽しいのだ。そのために音楽をやっている。別にどっちが良いとか悪いとかじゃない。いろんな感覚的に音楽をやる人も、理論を知りながら聴くに徹する人にもそれぞれの音楽がある。それでいいじゃないか。


「でもそれなら一人でも良いんじゃないですか? 別にバンドでやらなくったっても」


 的確に人の心を削る質問をしてくるなこの死神は。


「そう考えたときもあったし、今でも一人で曲を作ってはネットにあげることもある」


 現代は大変便利な時代になった。個人でもパソコン一台あれば誰でも曲を作ることが出来る。自分が歌うことが嫌なら機械に歌わせることも出来る。


「でもさ……」


 結局一番俺の曲を聴いてほしい人は一番近くに居るんだよ。


「いや、やっぱいいや」

「何それ!? めっちゃ気になるやつじゃないですか!?」


 美香は怒って俺の右腕をぽかぽか叩いてくる。


「いいんだよ。男には秘密の一つや二つあった方が」


 結局その日の作曲作業はあまり進まなかった。

 




 音楽をやるために生きているのか。そう問われれば違うと答えることが出来る。じゃあなんでこんなに一生懸命音楽をやっているのかと問われれば答えることが出来ない。自分が楽しいから。人を楽しませたいから。彼女の近くに居られるから。どれも正しいようでどれも違う気がする。

 生きたくはない。死にたいわけでもない。音楽はやっていて楽しい。そんな考えが絡み合って常に首が絞まる。俺は一体どうなりたいんだろう。

 

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