名も無き夜に

才野 泣人

第1話

 よくよく考えれば生きたいと思ったことは一度もなかった気がする。ぼんやりと毎日生きていて命を消費していた。それになんの疑問も持たなかったし、実際それでなんの問題もなかった。


 じゃあ死にたいのか、と言われればそうではない。生きたくもないけど死にたくもない。矛盾しているけどそうとしか言えないのだ。


 きっと目の前のことに夢中になりすぎてこんなこと考える余裕がなかったのだろう。だからこうして今ふと立ち止まってみて、色々振り返ってみた時、自分には何も無かったことを思い知らされたのだ。




 夜風が頬を撫でる。煙草の煙が流されて消えていく。雲一つない綺麗な夜空。死ぬには最高のシチュエーションじゃないか。


 生きたくも死にたくもない。これは嘘じゃない。ただ俺はもうまともに生きれる気がしなくなったのだ。


 何故生きるのか、ということを考えたことがある。答えは出なかった。普通だったら家庭を築くため。いい会社に就職するため。夢を叶えるため。等々色んな理由が出てくるだろう。

 でも俺には全部逆にしか思えなかったのだ。生きているから家庭を築く。生きているから就職する。生きているから夢ができる。全てに生が先立つのだ。この上でじゃあ生きる意味は? と問われれば答えることができなかった。生きる意味なし。だから終わらせようと思ったんだ。



 死ぬときは飛び降りにしようとずっと決めていた。何となくこれが一番かっこいい自殺の仕方だと思う。本当はビルの屋上とかがベストではあるのだが、そんな簡単に侵入できるビルなどないので仕方なく大学の屋上で我慢する。なんともまあご都合主義よろしく鍵が開いていたのだ。



 人生最後の煙草を吸い終えてしまった。かっこつけて吸い始めてみたはいいものの、結局おいしいと思うことはなかったな。


「ねえ君、自殺するの?」


 突如後ろから声がした。振り返ってみるとそこには女の人がいた。黒髪に黒のロングスカート。顔は暗くてよく見えない。雰囲気的には美人そうだが。


「……誰?」

「私? 私はそうですね……死神と名乗っておきましょうか」


 胸ポケットに手を入れて煙草をもう一本取り出す取り出す。


「それで? 死神さんが何の用?」

「意外。疑わないんだね」


 口に咥えて火をつける。吸って、吐いて。白い煙が霧消していく。


「別にあなたが人間だろうと死神だろうと、今の俺には関係ないことだからね。それにこんな時間にわざわざ屋上に来る人なんか自殺志願者か死神くらいだよ」

「達観してるね。いや、捨てているのかな?」


 金網に背を預けるようにして座り込む。すると自称死神はゆっくりとこっちに近づいてきた。


「あなた、今から自殺しようとしてたでしょ」

「まあね」

「困るんですよね、それ」


 やれやれ、といった感じで彼女は話す。


「困る? 死神が?」

「そう。まあ細かくいうと私たちじゃなくて冥界の役人さんたちなんだけどね」


 気づけば彼女との距離は面と向かい合う程に詰まっていた。はっきりと見える彼女の顔はなかなかに整っている。


「この前の北陸豪雨は知ってますか?」

「もちろん」


 一ヶ月前ほどに起きた史上稀に見る大雨災害。多数の被害と犠牲者を出し、今もなお復興中のはずだ。連日ニュースでやっていたので覚えている。


「あれのせいで今冥界は死者の対応に追われていてまして。ただでさえ処理が少々特殊で時間のかかる自殺者は極力減らしたいんですよ」


 なんともまあ妙に生々しいというか、業務感のある話だな。


「それで? 自殺をやめたところで俺に何のメリットがあるの?」

「もちろんタダでとは言いません。代わりに願いを一つだけ叶えてあげます」


 これは思ってもなかった申し出だ。


「あ、でも当然死に関するお願いはダメですよ」


 牽制される。まぁそりゃそうだ。死者を減らしたいんだ。そこに俺を殺してくれって願いでも受け入れてしまったら元も子もなくなってしまう。


「じゃあさ、俺に生きたいと思わせてよ」

「はい?」


 何言ってんだこいつ、みたいな顔を彼女は見せる。


「俺はさ、別に死にたいとは思ってないんだよ」

「じゃあなんで自殺なんかするんですか」

「生きたいとも思ってないからだよ」


 再び煙草を吸う。美味しくも不味くもない。前に吹き出すと彼女に当たってしまうため上に煙を吐く。


「生きなくていいから死ぬ。別に悪いことじゃないだろう?」

「そんな理由で……」

「貴女にとったらそんなもの程度かも知れないが、俺にはこれが全てなんだ」


 結局みんなそうなんだ。死に意味があるものとばかり思い込んでやがる。無意味な死だってあってもいいだろう。


「いいですよ。あなたの願い、聞き入れましょう」


 意外にもあっさりと彼女は受け入れた。


「それで私は何をすればいいんですか?」

「それは貴女が考えないと。俺の仕事じゃない」


 そう言うと彼女は少しムスッとした表情になる。


「確かにそうですね。じゃあ取り敢えず何か思いつくまであなたと一緒に行動しますね」

「わかった。それでいいよ」


 煙草の火を消して携帯灰皿に捨てる。金網を伝うようにして立ち上がるとそのままドアへと向かう。


「じゃあ帰ろうか。えっと……」


 と、ここで彼女の名前を聞いていないことに気がついた。死神さんって呼ぶのも何だがこっぱずかしいような気がしていやだな。


「そういえば名前は?」

「死神に名前なんかありません。必要ならそちらで考えてください」


 なんか言葉が若干投げやりだ。もしかしてさっきの意趣返しかな。


「死神だろう? じゃあ西美香でどうだ」

「いいですねそれ」

「気に入ってくれたようで何より。さ、帰ろう」


 そうして二人で階段を降りていく。外に出ると人通りは全くなかった。そりゃそうだ。今は深夜二時を回ったところ。いくら金曜とはいえ、ピークはとうに過ぎている。



「そういえば私、君のことを全く知らないんですけど」


 家に向かって歩いている途中、思い出したかのように美香が問うてきた。


「神崎雪。大学三年。血液型はAB。今は大学近くで一人暮らし中。あとは……なんか知りたいことある?」

「いや、もう十分です。名前さえ知れれば良かったんですけど」


 どうやら喋り過ぎたようだ。別にバレてもなんともない内容だし構わないけど。


「そういえば死神って普段何してるの?」

「基本的に貴方達が想像してる事と何ら変わりないですよ。死者の魂を冥界に運んだり、こうして死者の数を調整したりね」


 想像通りというか期待を裏切らないというか。そこはちゃんと死神なんだな。




 そんなこんなで十分くらい歩いていると家に着いた。二階建てアパートの一階角部屋。


「着いたよ」

「お邪魔します」


 特筆すべきことも無い平凡なワンルーム。というような顔を美香は見せる。別に男の一人暮らしなんてどこもこんなもんだろうに。


「ギター、弾くんですね」


 特筆すべきことあったわ。部屋の隅に置かれたエレキギターとベース。すっかり景色の一部として馴染んでいたので忘れていた。


「まぁね」

「バンドとかやるんですか?」

「やってた、が正しいかな」

「あぁ……」


 彼女も察してくれたのか、これ以上この話題には触れてこなかった。


「布団は来客用のがあるからそれ使って。あとは……洋服とか?」

「あ、それは大丈夫です。あとで冥界から取ってきますから」

「そっか……」


 なんとも気まずい沈黙が流れる。


「寝ませんか? もう遅いですし」

「そうしよっか」


 というわけで急いで美香用の布団を敷いて明かりを消す。



 

 眠れない。なんか色々なことが頭に浮かんできてごちゃごちゃになってる。そりゃそうだ。この家にもう戻ってくることはないと思っていたのに、こうしてここでまた横になっているんだ。しかも死神を一匹連れて。別に彼女のことを全面的に信じ込んでいる訳じゃない。ただ居た方が面白そうな生活が出来ると思ったから連れてきただけだ。


 ヴヴッ、とスマホが鳴った。確認すると響子さんからだった。


『飲み行くよ』

『今からですか?』

『んにゃ今夜』

『りょーかいです。いつものとこで?』

『そう』


 オーケーと書かれたスタンプを送って会話を打ち切る。起きたら居酒屋に予約の電話しておかないと。そうしてうだうだしているうちに自然と意識は遠のいていった。


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