32話 「ルージュ ロワイヤル」
32話「ルージュ ロワイヤル」
その日は、樹がデリバリーを頼んでくれ、屋敷の庭で2人きりの夕食を楽しんだ。
話しは自然と花枯病の話しになっていく。
「じゃあ、この屋敷の花は尾崎さんと一緒に作ったんだ」
「いろいろ助けて貰ったな」
「じゃあ、何で喧嘩してたの?」
「喧嘩?………あぁ、もしかして、玄関先で言い合いになっていたの、見てたのか?」
「うん。仕事が早く終わったから屋敷にお邪魔しようと思ったんだけど。2人が話してたから。その後に尾崎さんから屋敷と同じ花だって、お花を貰ったんだ」
「なるほど……そういう事だったんですね。尾崎は、花枯病患者のために、私が作った花を商品化したいって何度も交渉してくるので。まぁ、仕事として協力してくれたのですから、当たり前なんですけど。………なかなか、そんな気持ちになれなかったんです。お金を貰ってあげるものなのかな、と」
「………私はいいと思います」
「そう、ですか?」
菊菜がそう自信を持ってそう言い切ると、意外な返事だったのか樹は少し驚いた様子だった。
菊菜は、これについてははっきりと言える事があった。
「花に触れられる人は、欲しい花があったら花屋さんに行って買う。花枯病の人は、樹さんの枯れないお花を買う。それでいいんじゃないかな……。それがいい、です。私も自分が欲しいと思った花を自分で選んで買いたい」
花を買うことさえ出来なかった。
買ったとしても触れる事ができなく、少し寂しい気持ちで花を見てしまっていた。
けれど、樹が作ってくれた枯れない花を堂々と買える。
そして、部屋に飾っては眺めて、触れて、笑顔になれる。
そんな事を想像するだけで笑顔になれる。
だから、花枯病で花に触れられる喜びをみんなにも感じて貰いたい。
菊菜がおそるおそる触れ、そして、緊張から解放され息を吐き、笑顔になれるその瞬間を体感して欲しい。そう強く思った。
「菊菜にそう言って貰えて、自信がつきました。前向きに考えていきますね」
「うん!楽しみにしてるね」
迷っていた気持ちが固まったのか、樹は先ほどからの少し晴れない笑顔は、すぐにいつもの太陽のような笑みに変わった。
彼も、菊菜と同じようにずっとずっと悩んでいたのだろう。
枯れない花を作りながら。
彼の努力と優しさの結晶である屋敷の庭を見つめる。
花達はいつも以上にキラキラと光っているように感じ、菊菜は目を細めた。
そして、花に向かって手を伸ばす。
近くの花は何故かひだまりのように温かく感じたのだった。
樹の寝室はとても大きい。
アンティークのものなのか、綺麗な花の模様の彫刻があしらわれた飾りが頭の部分に飾られていた。とても繊細で豪華な作りに、菊菜は初めて見た時は心奪われたものだった。それからも言うものの、彼の家に泊まる度に、それを見てはうっとりとしてしまう。そんな様子を見て、樹は「本当に好きですね」と笑うのだった。
「そんなに好きでしたら、毎日ここで寝てもいいんですよ?私もその方が嬉しいです」
「そんなに甘えられないよ!」
「…………あぁ、では言い方を変えますね。菊菜、この屋敷で一緒に暮らしませんか?」
「…………ぇ………」
突然の誘いに、菊菜はベットの上で固まってしまった。彼と一緒に買ったルームウェアに身を包み、ふわふわのベットに座っていた菊菜は、久しぶりに彼と一緒に寝れる事に少々浮かれすぎていたようだった。樹が伝えたかった事を理解するのに、直球で言われないと気づかなかったのだ。
やっとの事で理解した菊菜は、その瞬間から顔を真っ赤に染めた。
どう返事をしていいのかわからず「えっと………その、急にそんな事……」と、戸惑っていると、樹が菊菜に近づきベットがギシッと鳴った。
いつも、彼と抱きしめあっておやすみとキスをしてから眠るだけのベット。それだけなのが寂しいと思っていた。どうして、求めてくれないのか、切なく悩んだ事もあった。
けれど、ベットが軋む音と、近づいてくる彼のいつもと違う焦っている表情に、菊菜はドキッとして、この先に待っている事を予感した。
こういう時の女の勘は当たるものだ。
樹は菊菜に手を伸ばしたかと思うと、そのまま菊菜を抱きしめ、後頭部に腕をまわしながら、ゆっくりとベットに押し倒した。
何度も近くで見てきた樹の顔が、いつもとは全く違うものに見えてしまい、菊菜は視線を背けようと顔をそらすが、それはあえなく阻止されてしまう。
樹がキスをしてきたのだ。
「………っ………」
深いキスを与えられ、菊菜の体温は一気に上昇する。長いキスは、菊菜の口の中をうごめき、そして菊菜の快感を呼び起こしていく。
やっとの事で彼のキスが終わり唇が離れた時には、菊菜の体は痺れたように動かなくなってしまっていた。
「樹さん………」
「あなたと長い夜を過ごすのは、とても幸せでしたが、我慢の夜でもありました。私も男なので、好きな女性が隣にいるのに我慢するというのはとても辛かったのです」
「………我慢なんてしなくてもよかったのに」
「お互いに秘密をもったまま、体を繋げてしまうのには抵抗がありました。秘密を知った上で、菊菜に好きだと言ってもらえたならば、その時は菊菜を貰いたいと思っていたのですよ」
そう言うと、形の良い唇が菊菜の頬に落とされる。甘い戯れのように、樹はほほえみながらそう言った。
彼はずるい。
もう樹は菊菜の返事などわかっているはずだ。だから、余裕の笑みでそう言っているのだろう。
悔しいけれど、それで正解なのだ。
ここで菊菜が「好きじゃない」など言えるはずがない。
菊菜は樹が大好きになっているのだから。
「………どうしてかな?って思ってた。樹さんは一緒に居るだけで満足なのかなって。私は、あなたに触れて欲しいって思ってた……」
「一緒の気持ちだったようで安心しました」
「………樹さんが好き。秘密を知る前も知った後も、それは変わらない」
菊菜は彼の綺麗な黒色の瞳を見つめながらそう伝えた。緑色に染まりつつあるという自分の瞳は、きっと揺れて、潤んでいるだろう。
「私も菊菜を愛しています」
そのまっすぐな言葉がスタートとなり、樹と菊菜の距離は今まで以上に近くなり、そして繋がった。
どんなに涙を流しても、それは今までの涙とは違う。
幸せの涙なのだ。
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