31話「青空」






   31話「青空」


 


 

 「菊菜、大丈夫ですか?そんなに泣き続けてしまうと、目が真っ赤になりますよ」

 「…………だって、止まらないから」

 「あ、擦ってはだめです。………あぁ、もう赤くなってますね」



 少し落ち着いたけれど、涙は止まらない菊菜を心配して、少しだけ体を離して様子を見つめる樹は、困った顔で菊菜を見つめたあと、慰めるように目元にキスを落とした。

 菊菜の緑色になりつつある瞳の近くに。



 菊菜はそれがイヤでギュッと目を瞑ると、今度は瞼の上に彼がキスをしたのから、柔らかい感触を感じた。



 「あなたに碧海の話しをするべきがずっと悩んでいました。菊菜が知られたくないのなら、聞く必要はないのではないか。そう思っていました。…………けれど、菊菜はずっと私に隠し事を持ち続ける事になる。それに………花枯病になって不安になっているはずだと思ったのです。………だから、思い切って聞くことにしました」

 「気づいていたなら、言ってくれればよかったのに………」

 「…………怖がると思ったのですよ。同じ病気で辛い経験をした事や亡くなってしまった話しなど、あなたを不安にさせるだけだとわかっていましたから」

 「……………」



 花枯病はとても稀な病気で、知らない人も多い病だ。そのため、ネットや書籍などでも詳しく載っていないのだ。そのため、少ない資料で調べたり、実際に花枯病のと客さんに会って話す機会はあったが、深い話しなどは知ることはなかった。



 「いつくか…………症状をお聞きしてもよろしいですか?」

 「はい」

 「菊菜さんが発病したのはいつですか?」

 「………3年ほど前だよ。もしかしたらもっと前かもしれないけど、おかしいなと思ったのはそれぐらい」

 「なるほど。では、症状は瞳のほかにどんなものがありますか」

 「少し前までは私が触った花が枯れるのが早いなと思ったの。でも、最近は花や草に触れるとゆっくり枯れていくようになって……口の中に葉ものの野菜を入れてもカサカサになってしまうのがわかるぐらいに………」



 菊菜の花枯病の進行は進んでいるように感じられた。それが数年で起こっているので、菊菜にとっては怖くて仕方がない事だった。



 「樹さん。これって、やっぱりダメですよね。進行、悪い方に行ってますよね?」



 話しながらもまずい方向に向かっていると思い、菊菜を更に顔を青くして樹に恐る恐る問かける。すると、樹は菊菜の頭をポンポンと撫でると、「落ち着いてください。ゆっくりお話ししますね」と、言ってくれる。その表情が穏やかなのを見て、菊菜は安心してしまう。好きな人と居ると、どうしてこんなにも心が温かくなるのだろうか。一人で悩んでいる時は固く冷たいものになってしまうのに。

 


 「私は専門医ではないので、確定ではないですが。植物学を勉強したものとして研究した話しを伝えますね。まず、先天性のものではなく突発性のものでも、花枯病が治った事例はありせん」

 「…………そう、ですよね」



 菊菜もネットで調べた情報や医師から聞いた時には「完治は難しいだろう」と、言われていた。

 だから、期待はしていなかったが、また「事例がない」と言われてしまうと、悲しくなってしまう。目に見えて落ち込んでしまうと、樹は困ったように菊菜を見つめた。



 「そんなに落ち込まないでください。菊菜が安心出来る話です」

 「え……?」

 「最近出た海外の論文で、先天性のもの、つまり生まれもって花枯病の方の死亡率はとても早いものだとわかりました。そして、菊菜のような突然病に罹ってしまった人は最近増えてきて、そして若くして亡くなること、花枯病が原因で亡くなることはないとわかりました」

 「………ぇ………亡くならないって………」

 「花枯病から何か他の病気にかかってしまった、という場合もあるかもしれませんが……ここ100年の研究結果では突然的に花枯病になり亡くなった方はいない、という事でした」



 ホッとして体の力が抜けるというのはこの事を言うのだろう。

 ヘナヘナと彼に寄りかかり、座っているのもやっとの状態で、樹を見上げた。



 「大丈夫ですか?」

 「………少し安心したら、力が抜けてしまって。私は助かるの?」

 「えぇ。花枯病に関してはあまり知られていない病気なだけに資料も少ない。そして、治療する知識がある医者も数少ないのです。そのために、間違った情報が入ってきてしまう事も多いのでしょうね」

 「そっか………よかった………けど………花枯病は同じなのに、何が違うんだろう。助かる人、増えてくれればいいのに」



 自分の命が短いものではないと知り、ひと安心したけれど、花枯病で苦しむ人々、そして樹が出会った碧海という女性の事を考えると手放しでは喜べない。

 

 それに、目の前の樹の事もある。


 菊菜は彼をジッと見つめて、樹に向かって手を伸ばし、彼の頬に触れた。



 「樹さんは、ずっとこの屋敷で花たちを作ってきたんだよね。花枯病の人を少しでも笑顔にしたいって………私も何も心配なく触れるこの屋敷の花が不思議だったけど、魔法の花だと思って、嬉しかったよ」

 「そう言っていただけてよかったです。頑張って作ったかいがありました」

 「………でも、もう一休みしよう?」

 「え………」

 「碧海さんって女の人のために頑張ってたんだよね。植物園で悲しんで傷ついたのをずっと後悔してたんじゃない……かな?だから、碧海さんののこした言葉をずっとずっと実現しようとしていたんだよね。私もとっても幸せな気持ちになったよ。それに、碧海さんだってこの屋敷を見てくれてるって思うんだ。………だから、樹さんもゆっくり休んで、ね?」

 「…………菊菜、私は………」

 「いいからー」



 菊菜はそう言うと体に力を入れて、先程彼がしてくれたように、今度は樹を抱きしめる。

 そして、耳元で優しく語りかける。笑顔と穏やかな言葉。彼と同じように。



 きっと樹は一人で抱え込んで、花枯病と戦ってきたのだろう。それは、まるで花枯病を患った人たちと同じように悩んで苦しんで、そして寂しかったのだろう。


 けれど、こんなに立派な花屋敷を作り、花枯病である菊菜、そして碧海を救おうとしてくれたのだ。


 ずっとずっと………一人で。



 「樹さん、いつも助けてくれて、ありがとうございます。花枯病の人の花を作ってくれてありがとう。………だから、今は我慢しないで泣いて、そして休んでください」

 「…………菊菜…………ありがとう、ございます………」



 菊菜の耳にはいつもとは違う、樹の震える声が届いた。

 菊菜の背に彼の手が回される。

 その手は先程よりも強く菊菜を抱きしめてくれている。けれど、何故か小さく見えてしまう。



 守ってくれて、ありがとう。

 これからは、2人で守り合おう。


 そんな気持ちを込めて、菊菜は樹の柔らかな髪に小さなキスを落とした。



 その頃にはガラスをならしていた雨音は止まり、屋上には晴天の夜空が広がっていた。




 

 


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