30話「ルイの涙」
30話「ルイの涙」
★★★
あまり思い出したくない過去の話。
けれど、大切にして忘れたくない過去の記憶だ。
いつかは話さなければいけない事だと思っていたが、こうも早くに菊菜に伝えるとは思わなかった。
話が終わると、彼女は今にも泣きそうになっており、どことなく顔色も悪い。
「菊菜、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫………。話してくれて、ありがとう。…………碧海さんという女性と出会ってから、樹さんはあの屋敷を作ったんだね」
「えぇ、そうですね。彼女が触れても大丈夫なように本物そっくりの花を作りたいと思ったんです。たとえ、それが偽物だとしても」
「…………碧海さんはここに来てくれたの?」
「…………完成するまで会わないつもりでした。私は造花をつくる人ではなかったし、こだわりもあって完成は遅くなりました。もう少しで完成間近という時に、大学に届きものがありました。碧海さんのご家族からでした」
「………まさか………」
「彼女はあれから半年後に亡くなりました。そして、その時に残したものを両親が送ってくれてのです」
「………そうだったんですね」
「あなたも泣いてくれるんですね」
そう言って、菊菜の目元に溜まった涙を指先で拭う。すると、彼女は「ごめんなさい」と何故か謝った。
「よく知らない私が泣くなんて………すみません」
「そんな事はないです。………碧海は手紙で植物園の花の心配をしていました。自分が枯らした花は大丈夫だったのか。その後の花は咲いたのか、と。そして、自分のように花枯病で苦しむ人を助けて欲しい、と長い手紙をくれました」
「…………だから、屋敷の花を作っていたのね」
樹は頷き、屋敷の花を見つめた。
これは全て作り物の花。
どんなに頑張っても本物には叶わない。ただの造花だ。
けれど、樹は1つ1つの花を丁寧に作り上げた。大学時代の友人である尾崎がミニチュアや模型作りの人を紹介してくれ、彼の会社の力を借りて造花を作ってきた。ゆくゆくは、花枯病の人に向けて販売する予定だったのだ。
けれど、樹は迷っていたのだ。
それで、本当に喜んでもらえるのか、と。
「…………菊菜はこの花に触れて、どうでしたか?」
「本当の花だと思ってたから驚いたよ。四季の庭は本当に会ったんだって、嬉しかった」
彼女は目についた涙を手で拭きながら、笑みを浮かべて庭を見つめた。そのキラキラとした瞳が、本心だと証明してくれているのがわかる。
「菊菜も、花枯病ですね」
「……………」
樹がずっと言えなかった言葉を伝えると、菊菜の笑顔が固まった。
きっと知られたくなかった事なのだろう。そして、樹が知っていると気づいていなかったようだ。
「屋敷に来た理由はもう1つあったのですね。日葵さんの事の他にも。花枯病の事を相談したかったのではないですか?屋敷で料理をしないのは、素手で野菜など切れないから。植物園のデートを断って海にしたのも、なるべく植物に触れる場所に行きたくないからではないですか?」
「…………どうして、樹さんにはいつもバレてしまうんでしょうか?」
菊菜は泣きそうな顔を必死に我慢して、作り笑顔でそう言った。
その答えはただ1つしかない。
「大切な彼女であり、ずっと探していた人であり………そして、一目惚れした相手なのですから、当たり前です」
☆☆☆
「菊菜も、花枯病ですね」
その言葉はグサッと菊菜の体を切り裂かれるような、そんな衝撃を与えるものだった。
医者からしか言われたことのない言葉。家族以外には必死に隠してきた真実。それを愛しい人に知られてしまった。
菊菜は激しく動揺し、目が泳いでしまう。けれど、冷静にならなければ、と樹をじっと見つめた。
そして、彼がどうして菊菜が花枯病だとわかったかを説明すると、菊菜が必死に隠してきた事が全て彼にはバレていた事がわかった。
「…………どうして、樹さんにはいつもバレてしまうんでしょうか?」
「大切な彼女であり、ずっと探していた人であり………そして、一目惚れした相手なのですから、当たり前です」
そんな情けない言葉がつい洩れてしまう。嘘つきな自分のどうしようもない言葉。
それなのに、樹はどうしようもなく優しい。その優しさが辛くなるほどに。
「花枯病だと気づいたのはいつ?」
「会ってすぐです」
「え…………」
「花枯病の人の瞳は独特です。瞳に緑の光が混ざります。それが菊菜にはありました」
「…………あぁ……だから、尾崎さんは私に屋敷の花をくれたんだ」
「なるほど。尾崎から何か言われて、屋敷の花が造花だとわかったんですね。………あの人は全く………」
樹は大きくため息をついた後、菊菜の手を強く握りしめた。菊菜の体がビクッと震える。
自分は樹に隠し事ばかりしているのに、どうして彼はいつまでも優しいのだろうか。それが不思議で仕方がなかった。
けれど、わかってしまった。
「私が花枯病だから、近づいたの?碧海さんという人が、花枯病の人を、助けて欲しいって言ったから、私に屋敷に入れてくれて、そして優しくしてくれたの?」
こんな事を言いたいわけじゃない。
樹がそんな事をする人だとわかっている。
だけれど、樹の気持ちを知りたかった。けど、知りたくない気持ちもあった。それなのに、口に出してしまう自分は愚かだと思う。だが、それを言葉にしないいけない、そう思ったのだ。
情けないぐらいに涙をこぼしながら、彼を見上げて訴えるようにそう言うと、樹は悲しげな顔も見せずにいつも笑顔を見せた。菊菜が安心する表情。大好きな笑顔だ。
「菊菜だからです。あなたは、私の庭に遊びに来てくれた蛍のようでした。緑がまざった綺麗な黄色の光で私を癒してくれた。そして、蛍のように儚げで、光りもおぼろげで………守りたいと思った。けれど、あなたは夢を持って頑張っていた。病気の事を隠しながら、遠くを見ていた。それが、かっこよくも美しいと思ったのです。…………碧海が願ったから花枯病の人を救いたいとも思ったのは本当ですが。ここまで、恋したのはあなたが初めてですよ」
そう言うと、樹はいつもと同じように菊菜を優しく抱きしめてくれる。
菊菜は、その言葉と彼の体温と、そして鼓動を感じギュッと目を瞑った。
それと同時に大粒の涙がボロリと落ち、そして樹にしがみついて菊菜は泣いた。
「………怖かった、助けて欲しかった………。自分の体が恐ろしくて、そして自分がどうなってしまうのか。他の人にバレてしまったら、蔑み、恐がられて、差別されると思った。自分の作品を買ってくれる花枯症の人を見て……こうなってしまうのかと怖がってしまう自分もイヤだった。…………ねぇ、私はどうなってしまうの?樹さんと離れたくない、夢を叶えたい………死にたくない…………っっ!…………ぅぅ………」
最近の私は涙もろい。
大人になってから泣くことなんてほとんどなかったし、泣いたとしても一人でこっそりと泣いていた。
それなのに、樹と出会ってからというものの、彼の前で泣いてばかりだ。
こんな泣き虫な恋人など、イヤかもしれない。
けれど、今夜だけは許して欲しい。
自分の怖さを人に打ち明け、醜さと死へと恐れが菊菜の体や心を蝕んでいた。
人にそれを話したからと言って、何も変わるわけではないかもしれない。
けれど、打ち明けてもなお笑顔で抱きしめ、「守りたい」と言ってくれる。そして、「大丈夫、大丈夫です」と背中を撫でながら菊菜を落ち着かせようとしながらも、涙が止まるまでずっと抱きしめてくれる樹。そんな彼が隣に居てくれる事が今は何よりも安心出来るのだから。
だから、涙が枯れてしまうまで泣いてしまいたい。樹のシャツが菊菜の涙でぬれてしまっても、樹はかわずに優しく語りかたけてくれるのだ。
「大丈夫。守ります」と言って。
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