29話「レモネード」






   29話「レモネード」





 碧海との植物園に行く機会はすぐに訪れた。碧海が「早い行ってみたい!」と言ったので、樹は空いている日を伝えると碧海はその日にしよう、とすぐに決めたのだ。

 大学の門で待ち合わせをすると、碧海は目立つ格好をして待っていた。夏休み中で学生は少ないものの、ジロジロと碧海を見ている人がいた。

 それは真夏なのに白い手袋をして日傘を指し、サングラスまでしていたからだ。



 「碧海さん、お待たせしました」

 「ううん、私が早く着いちゃっただけだから。あ、そうだ!これ、今日のお礼!」

 「え………、別に案内するだけですし」

 「いいからいいから受け取って」



 碧海はそう言って、樹に透明な袋でラッピングされたものを渡してきた。樹はそれを受け取り、見ると黄色の花が閉じ込められた栞と、ハンカチのセットが入っていた。


 「私、駅前の雑貨屋で働いてるって言ったでしょ?そこで買ったんだ。栞かわいいでしょ?こうやって閉じ込められてる花だと触れるから私も同じの持ってるの。黄色の花!………私は大きな向日葵が好きなんだけど、でもさすがにそれは閉じ込められないからね」

 「…………ありがとうございます」

 「いいえー!こんなものでごめんね。でも、今日はとっても楽しみにしてたから。どうしてもお礼がしたくて」

 「………そう、ですか」



 こういう時に上手い言葉が出ないのが悔しかった。勉強や草花の事ばかりだったので、女の人と会話する事もほとんどなく、慣れていないのだ。

 そんな女慣れしていない男性と一緒に居ても楽しくないだろうな、と反省していたが、隣の碧海は見たこともない笑顔だったので、樹は少しホッとしてしまった。




 大学内の植物園に向かうと、一般開放日とあって、親子連れが多く見られた。いつもは静かな園内だが、今日は賑やかな雰囲気だった。

 碧海はすぐにでも駆け出していきたい様子だったけれど、肌に触れてしまってはいけないと細心の注意をしているのか、少し離れた場所から見ていた。



 「わー……綺麗だねー。なんか、生き生きと咲いてる気がする」

 「………碧海さん、サングラスとらないんですか?」

 「え、あー………取った方がよく見えるよね。でも、目の色が最近変わってきちゃって…………変じゃない?」



 碧海はサングラスをずらして、碧海を見上げる。すると、彼女の黒い瞳が緑になっていたのだ。花枯病患者の特徴の1つだ。



 「大丈夫ですよ。綺麗です」

 「………そっか。じゃあ、しっかり見ておかなきゃね」



 そう言って、碧海はサングラスをバックにしまった。

 そして、先ほどよりも嬉しそうにしながら、植物園をまわったのだ。



 樹が話すことはつい専門的なものになってしまいがちだが、それでも碧海はとても楽しそうに話を聞いてくれていた。

 仕事以外で他人と過ごすことがほとんどなかった樹にとって、その時間はとても穏やかで暖かい時間だった。

 誰かと一緒に居るのは面倒だけれど、でも笑える時間が増えるのだ。それを感じた瞬間でもあった。



 「あ、あの紫の花!樹くんと初めて会ったときに見た花だよね。………名前なんだっけ?」

 「桔梗ですよ。絶滅危惧種に登録されています。英名は膨らんだように見える姿が風船に似ていることからバルーンフラワーと呼ばれています」

 「へー風船花なんだ。なんか、そっちのほうが可愛いね」

 「そうですか?」

 「そうだよ!あ、隣にある似てる花は?」

 「あぁ……それは、ツリガネソウで別名が………」

 「わーーーーい!お花がいっぱいだー!」



 2人が話をして居ると、後ろを走る子ども達が近寄ってきた。大きな声だったので、樹は驚いてそちらの方を向いた。けれど、それは少し遅かった。



 ドンッ


 

 と、体と体がぶつかる音がした。

 けれど、自分に衝撃は来なかった。けれど、隣に居たはずの碧海が視界から消えていた。



 「………え…………」



 と、という彼女の低い音と共にドサッと倒れる音が重なった。

 走っていた子どもが前方を見ていなかったのな碧海にぶつかったのだ。突然の事に、碧海はこらえられずに倒れてしまったのだ。樹が手を伸ばしても、すでに遅く彼女は前方に倒れてしまった。

 草花が植えられている方へ、と。



 「碧海さん!?大丈夫ですか!?」

 「………あ………いや…………」

 「え…………」



 樹が彼女の方を見ると、彼女の肌に触れてしまった花や草、木がみるみる枯れ始めたのだ。手袋だけでは手が触れることしか防げない。腕は頬、首や足元などは肌が出ている。そして驚いた事に、触れた草花だけではなく、その花の隣にも伝染し、彼女の周りだけが茶色に変わっていくのだ。

 その中心にいる碧海は体を震えさせて、動揺してその花達を見つめている。



 「いや………見ないで………助けて……」

 「碧海さん!こっちに…………」



 樹が彼女に駆け寄り、体を支えようと近づいた。すると、先ほどの子どもが悲鳴をあげたのだ。



 「キャーッッ!何これ………、お花が枯れてる」

 「え、何……。こわ、何あの人……」

 「花が枯れちゃうとか魔女………?」

 「恐ろしい………もしかして、花枯病とか言う呪いの?」

 「えー、何それ?」

 


 子どもの家族や近くに居た人々が騒ぎによって集まってきてしまったのだ。

 そして、碧海を見ては不気味なものを見る目、そして言葉を向けてきたのだ。


 碧海は、恐怖と悲しみと絶望の顔で枯れていく花と、人々を見た後にノロノロと立ち上がった。



 「碧海さん……手から血が出てます。私の研究室に………」

 「いやっ!……さ、触らないで!」



 樹の手をパンッと叩くと、碧海は涙を浮かべた顔で樹を見た後、その場から走り去った。集まっていた人達は、碧海が近づくと、サッと道を避ける。

 樹は転んでしまった子どもに「ごめんなさい。大丈夫だった?」と声を掛けた後、すぐに碧海の元へと駆け出した。


 顔や服に泥がついたままの碧海を、周りの人は怪訝そうに見ていたが、何も言わずに遠巻きに見ているだけだった。

 樹が彼女に追い付いた時には、すでに植物園から外に出ていた。



 「碧海さんっ!」

 「……………樹くん……」



 植物園の裏手にいた碧海に気づき、樹はすぐに近寄った。裏手には、関係者だけが立ち入れる小さな研究施設があった。樹も訪れる場所だったので、鍵を持っていたため、そこに碧海を招き入れた。



 「消毒しますね」

 「…………」



 研修室は誰もいない。

 救急箱から絆創膏などを取り出して彼女の傷を手当てしていると、碧海は小さな声で話し始めた。



 「………ごめんなさい」

 「え…………」

 「植物園の花、枯らせてしまった………。本当にごめんね」

 「いいんですよ」

 「だって絶滅危惧類なんでしょ?大切な花じゃない!?」

 「種はあります。また植えればいいんです」



 涙をポロポロこぼしながら謝罪する碧海にそう返事をするが、彼女の涙と悲しみの表情は止まらない。



 「………やっぱり、私って不気味だよね。あんなの見せられたら、恐ろしい。………人間じゃないみたい」

 「………そんな事ないですよ」

 「そんな優しい嘘言わないでよ!あんなの恐ろしいだけよ。綺麗な花が一瞬で枯れるのんだよ!私が1番怖いの!花が枯れていく瞬間も、他の人の視線も…………」



 大声を出してそう言う碧海を落ち着かせるように、樹はゆっくりと言葉を伝えた。

 彼女と出会ってから考えていた事だ。



 「じゃあ、私があなたでも触れる花を作ります」

 「え………」

 「薬でも何でも作ります。それに、俺は花枯病の事も知ってる。怖くないですよ」



 碧海に出会ってから花枯病の事を調べることが多くなった。そして、その病気は世間では知られていないこと、知っていたとしても差別される事が多いこと。そして、孤独を感じている患者が多いと言う事を知った。

 明るい碧海だが、さっきのように偏見で見られてしまった事もあるのだろう。

 だったら、少しでもそんな人達を少なくしたいと思ったのだ。植物学を学んだ一人として何か出来るのではないか、と。



 樹は真剣な表情で碧海を見た。

 碧海は、ポロリと目から溢した。泣きなんでくれた、と思ったが彼女の表情は変わらなかった。



 「そんなの無理よ」

 「やってみたいとわからないじゃないですか!」

 「………私の命があと少しだってわかってて言ってるの?」

 「っっ…………」

 「…………やっぱり知ってたんだね」



 花枯病の患者は短命だ。先天性のものだと、30歳まで生きられないのだ。

 危険な状態になると、手足は細くなり肌も白くなる。そして、太陽の光、紫外線を浴びると肌に激痛が走るようになるのだ。そして、瞳が緑に染まってしまうと、余命は残りわずかなのだ。

 そのどれもに碧海は当てはまっている。

 樹は出会ってからすぐに気づいていた。



 「花が好きだったけど、触れないなら意味ないって全然名前とか覚えようとしなかったんだ。だけど、やっぱり名前を知れると楽しいね。教えてくれて、ありがとう」

 「…………何でそんな風に言うんですか?私はまだあなたと………」

 「………あなたみたいな花好きな人と一緒に居ても、自分が哀れになるだけ。それに、名前に植物の名前だらけの樹くんはずるいよ……羨ましすぎる。そんなあなたに触れたら、私が枯らしてしまうわ………」

 「………碧海さん………」



 いつの間にか、彼女は笑顔になり樹が泣きそうになっている。

 そんな樹を見て、碧海はゆっくりと背を向けた。



 「ありがとう、樹くん。とっても楽しい時間だった。………枯れない向日葵………触れてみたかったな………」



 そう言うと、碧海は小さく手を振って、研究室から出ていってしまった。



 樹は俯き、手を強く握りしめたまま動けなかった。

 彼女を傷つけるとわかっていて、追いかけて手を握り、引き留めるほどの強さはないのだと思い知ったのだった。




 

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