13話「スターリング シルバー」






   13話「スターリング シルバー」




 菊那が樹に自分の過去を打ち明けてから数日が経った。

 彼にお願いすれば大丈夫。そう思っているけれど、考えれば考えるほどに不安になってしまうものだった。



 まず向日葵の種を植える時期だが、本来ならば5月なのだ。今は春になったばかりで寒い日もある。種を植えるには早かった。けれど、彼には不思議な庭園がある。そこで育てれば大丈夫なのだろうか。


 それにあの向日葵の種を調べるとしても、種を割ってしまい中身がなかった場合はすぐに芽は出てこないとわかってしまうのだ。それは怖かったからこそ、自分では試せなかったのだ。「もう日葵の向日葵は咲かない」という現実を突きつけられるのが怖いのだ。



 毎日のように樹からの連絡を待っていた。彼からの連絡が来るのを待っていつつも、来ない事にもホッとしてしまう。





 いつもと変わらない日を過ごしていたが、最後に樹に会ってから5日後の事だった。

 菊那が仕事を終えて帰宅したと同時にスマホが鳴った。画面には「樹さん」と書かれている。

 菊那は通話ボタンを押すのに少し躊躇ってしまう。大きく深呼吸をした後に、ゆっくりとボタンを押した。



 『こんばんは、菊那さん。樹です。今、お時間よろしいですか?』

 「こんばんは。今、帰宅したので大丈夫です」

 『それはよかった。菊那さん、明日明後日はお休みでしたよね?』

 「はい。そうですが………向日葵の事ですか?」

 『はい。明日お会いしたいのですが…………宿泊の準備をしていらしてくれませんか?』

 「……………え…………」



 予想外の言葉に菊那は、固まってしまったが頭でその意味を理解した途端に、体温が一気に上昇するのを感じ、鏡を見ずとも今の自分の顔が酷い事になっているのがわかった。電話でよかったと菊那は思ってしまう。



 『何か予定はありましたか?』

 「い、いえ……樹さん……えっと、その………どうして泊まりなんですか?」

 『それは………秘密です』



 クスクスと楽しそうに笑いながらそう言う樹の声が耳に入ってきて、菊那はドキドキが増してしまう。



 『それでは、明日の10時に迎えに行きます』

 「え、あ………はい」

 『では、明日。おやすみなさい』

 「………おやすみなさい」



 いつもの挨拶をして電話を切った後、菊那はその場に座り込んでしまった。

 あの樹に泊まりをお願いされたのだ。ドキドキしてしまうのは当たり前の事だろう。



 「な……何で泊まりなの!?向日葵の芽が出るのを夜通し見守る………なんて事はないよね?」



 気が動転してしまっているのか、思考がおかしくなっている。

 頭がぐるぐるして正常に頭が働かないのかもしれない。



 「……けど、あの紳士な樹さんがお付き合いもしてない人に手を出すなんてないだろうし………。で、でも樹さんだって男の人だけど。もしそうだとしても、樹さんならちゃんと段階を踏んでくれるだろうし……え、樹さんって……私の事どう思ってるんだろう?」



 おろおろとしながら、不安定な思考回路のままいろいろな事を考えてしまうが、結局、菊那は樹の事などわからないのだ。

 名前と職業、花屋敷の主人であるという事と、花の名前に憧れる、花にも紅茶にも詳しい紳士。そんな事しか知らないのだ。

 その事実を思い出した途端に、上がっていた熱が急激に下がっていくのを感じた。




 「………何、期待してるんだろう。それに私の目的は日葵くんの向日葵なのに………最低だな」



 向日葵を咲かせるために頑張ってくれている樹にも、そして種をプレゼントしてくれた日葵にも失礼だと思い、菊那は一人ため息をついた。



 「………明日の準備を急いでして、向日葵の事確認しようっ!」



 頬を両手でパンパンッと叩き、気合いを入れた後に菊那は勢いよく立ち上がった。


 樹の事を考えるのはやめよう。

 今は、向日葵の種を咲かせる事を考えるのだ。ずっとずっと悩んできた事。

 もし咲かせることが出来たら、日葵がどこに眠っているのかを探して、育てた日葵の持って挨拶に行くのだ。

 そして、「助けられなくて、ごめんね」と伝えたかった。



 菊那は明日無事に向日葵の種のいい話が出来ますよう。芽が出ますように。

 そう祈りながら、夜を過ごしたのだった。










 「おはようございます、菊那さん。今日はいいお天気ですね。すっかり春になりました」



 待ち合わせの時間より早めにマンションの玄関に向かうと、すでに菊那は車を停めて待っていてくれた。

 この日は英国の雰囲気が感じられるチェック柄のスーツだった。だが、そのチェックもとても落ち着いているグレーのスーツで、樹はとても上品に着こなしていた。スーツのモデルをしたら、きっとその商品は売れに売れるのではないか。そんな風に思えるほどだった。



 「おはようございます。今日はよろしくお願いします」



 高級車の助手席に乗り、そう挨拶をするとゆっくりと車がゆっくりと動き出す。

 


 「昨日は驚きましたよね。突然あんなお誘いをしてしまって」

 「え、えぇ………まぁ、驚きました」

 「でも、菊那さんが了承してくださって良かったです」

 「………まだ、教えてくれないのですか?」

 「えぇ………秘密です」



 真っ直ぐ前を向いて運転する彼の横顔を盗み見ると、とてもニコニコしていた。

 全くもって楽しそうだ。

 菊那はそんな表情をみると、クスッと笑ってしまう。きっと、樹がこんなにも楽しそうなのだから良いことなのだろう。そう思えて、緊張していた体が少しだけ軽くなった気がした。


 が、それも束の間の事だった。

 菊那はある事に気づいたのだ。



 「………あの………樹さん。この道って花屋敷と逆方向ですよね?」

 「えぇ。そうですね」

 「………どこに向かってるのですか?」

 「秘密です」

 「……………」



 てっきりいつものように彼の自宅に招かれると思ったが、それは違ったようだ。

 始めから菊那の想像していた事は無駄だったとわかる。

 


 「樹さん、目的地だけでも教えてくれませんか?」

 「もうすぐ着きますので安心してください。20分ぐらいで到着しますよ」

 「…………(全然すぐじゃないです!)」



 菊那はおろおろとしながら町の景色を見つめながら、必死に行く先を考える事しか出来なかった。そんな菊那をよそに、樹だけがご機嫌にドライブを楽しんでいた。



 そして、20分後。

 菊那の予想を遥かにこえる場所に到着していた。広い敷地にたくさんの車が駐車されており、目の前には大きな建物がある。そこにはたくさんの人達が行き来しており、皆大きな荷物を手にしていた。そして、時折空から轟音が響いてくる場所。



 「空港…………」

 「はい、到着しました。そして、菊那さんにプレゼントです」

 「え………」



 樹と菊那は手に大きな荷物を持ち、空港に到着した。樹はとても目立っており、先程からチラチラと女性だけではく男性も彼を見ては驚いた目で見つめたり、惚れ惚れとした表情で見入っているようだった。

 けれど、樹は慣れているのかそれらの視線には全く気にせずに、1度足を止めて菊那の方を向いた。


 そして、菊那にある物を手渡したのだ。


 空港の入り口で樹にプレゼントされたもの。

 それは九州行きの航空チケットだった。



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