14話「ポラリスアルファ」
14話「ポラリスアルファ」
「そう言えばお聞きしていませんでしたが、菊那さんはどんなお仕事をされているのですか?以前お話されていた裁縫関連でしょうか?」
「いえ。今は近くのカフェで働いてます。土日は学生さんのバイトが入っているので、平日のゆったりとした時間に働けるし、休憩で美味しいコーヒーが飲めるんですよ」
「それは羨ましいですね」
何事もなかったかのように、菊那と樹は飛行機の中で至って普通の会話を交わしていた。
機内は空いていた。いや、ゆったりとしていたの間違えだ。
菊那と樹が飛行機に搭乗すると案内されたのがプレミアムクラスの席だった。あまりに豪華な空間と待遇にビクビクしてしまった。けれど、少し離れてはいるが隣には樹が居たため、いろいろと説明をしてくれたので安心出来た。美味しいコーヒーや軽食も出てきて、至れり尽くせりだった。
「………あの………樹さん。もう乗って、ご飯も食べてしまってるのですが………こんなに特別な席をプレゼントしていただいてよかったですか?」
「もちろんですよ。プレゼントするなら、より喜んでもらった方が私も嬉しいでので。それに、デートでもあるので」
「…………樹さんは本当にお上手ですよね」
「本当の事なのですよ。………先程話した続きですが、菊那さんはもう刺繍はされていないのですか?」
話が途中で途切れてしまった、菊那の仕事についての事を樹はもう1度聞いてきてくれた。裁縫の仕事をしていないのが、どうも気になっているようだった。
過去の菊那の話を聞いて、いじめで裁縫が嫌いになってはいないかと心配してくれているようで、菊那は微笑みを返した。やはり、彼は本当に優しい。
「………まだ、裁縫は嫌いになんてなれませんし、好きですよ。それに、カフェで時間を短くにして働いているのは、裁縫のためなんです」
「そうなのですか?」
「はい。実は自分で作った刺繍入りのポーチやハンカチ、バックなどをネットで販売しているんです。少しずつ買ってくれる人も増えてきたので……このままハンドメイドで暮らしていけたらなーって考えているんです。本当にまだまだで夢、なんですけれど………」
菊那は少しずつではあるが、好きを仕事にしてきた。カフェの仕事も好きではあった。コーヒーの香りにゆったりとした時間。お客さんのホッとした表情。お花が好きな店主がお店のいたるところに花を飾っているのも菊那にとってはお気に入りだった。けれど、その花達を見ていると、どうしても「このお花可愛いな。刺繍してみたいな」「このブーケだったらポーチの布に映えそう」など考えてしまうのだ。どうしても、裁縫が刺繍が好きなのだ。そう思って、菊那は目を細くして微笑む。
すると、隣りで話を聞いてくれていた樹も同じように穏やかに笑みを浮かべながら「そうでしたか」と言ってくれた。
「今、菊那さんが作ったものはお持ちですか?ぜひ拝見したいのですが」
「あ、ミニポーチなら………」
菊那は手荷物から薬などを入れる小ぶりのポーチを取りだし、「古いものなので恥ずかしいですが」と、樹に手渡した。
「アジサイの刺繍ですね。とても丁寧に作られていますね」
「花の刺繍を作っているのに、あまり花に詳しくないので。樹さんに見せるのは少し緊張してしまいますね」
「そうですか?………とても綺麗です。美しい花ですね」
「……………」
刺繍の事を話しているのはわかっている。
けれど、菊那はドキッと胸が大きく鳴った。それは樹がその言葉を菊那の方をジッと見つめて口にしたからだ。まるで、自分に言っているのではないかと錯覚してしまうほどに、微笑みの中にもまっすぐな視線があった。
どう返事をしていいのかわからずに、恥ずかしさのあまり菊那は視線を逸らしてしまう。すると、樹は「人気が出るのはわかります。そして、可愛いと言われるのも」と、今度はポーチをまじまじと見てくれた。
「ハンドメイドの仕事、本業になれるでしょう。私は、そう思いますよ」
「っ………!本当ですか?!」
「えぇ。裁縫の事を詳しいわけではないですが、私も素敵だなと思います。花の事で知りたいことがあったらぜひ聞いてくださいね。応援しています」
「ありがとうございます………。樹さんにそう言われると、とっても安心します。それに力にも」
「それは良かった」
突然始まった旅に戸惑いが大きかった。けれど、こうやってとりとめもない話を楽しめるだけでも、肩の力が抜けてリラックス出来た。それに、樹に褒められる事は大きな自信になっていた。
彼に認めてもらえると、心の奥が暖かくなるのだ。それはやはり樹を「気になっている」証拠なのだろうか。
菊那は隣に座る樹をちらりと盗み見る。
確かに始めは容姿に魅了された部分も多かったかもしれない。けれど、子どもに対等に関わる姿や花や紅茶の事を楽しそうに話す笑顔、ミステリアスな雰囲気。そして何よりも優しい物腰と性格に惹かれた。
考えないようにしても、隣に居れば自然とそんな思いが頭をよぎるのだ。
(………ダメ。今は、考える事ではない)
そこまで気持ちに逆らえずに樹の事を思ってしまったが、菊那はギュッと手を握りしめた。爪が手のひらに食い込み痛みを感じる。
きっと彼の事を考えるのは、向日葵の種の事を考えるのが怖いからだ。
そう思って、菊那は樹から視線を離し、窓の外を見た。そこには、もう雲しかない世界に景色が変わっていた。
あと数時間後にこの景色はどう変わっていくのか。
菊那はそんな事を考えて、ゆっくりと深呼吸をしたのだった。
空港に到着して感じたのは、心地がいい温かさと、少し強めの春風だった。
菊那達が住んでいる場所よりも大分南の方にあるため、もうすっかり春の雰囲気に包まれていた。
空港からは樹が手配してくれていたレンタカーを借りて移動する事になった。
「ここから少し離れた場所にあるので、菊那さんは休んでいてもかまいませんよ」
と、樹は言ってくれたが、菊那は初めて降り立った土地の景色が新鮮で、長い時間のドライブを楽しんだのだ。
始めは街の中を走っていた車も、少しずつ郊外へと移動し、少しずつ田園や山が増えてきた。
「樹さん……山の方へ向かっているのですか?」
「そうですね。ですが、実はもう目的地は見えているのです」
「え………」
菊那がキョロキョロと周りを見ると、お洒落なログハウスのような造りの一軒家とビニールハウス、そしてその周りにはまだ何も植えられていない農地があるだけだった。そのため、自然と目的地はわかってしまう。
菊那がその家とビニールハウスを見つめる。少しずつその場所が近くなっていくと、菊那の目にも鮮やかな黄色が見えた。
「ここは………向日葵畑……ですか?」
「もうわかってしまいましたか。そうです。菊那さんに、どうしてもここに来て欲しかったのです」
ビニールハウスの前で、車を停車させた樹は、驚いた表情を見せる菊那を見て、とても優しく微笑みながらそう言ったのだった。
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