第45話 三郎衛門は洟をすする
宇土三郎衛門の隠居屋敷は、ごたごた居並ぶ家並みの端だ。鄙びた風情が、かえって目立ってしまう趣の一軒家だ。何処かの隠居が密かに建てた別宅を謝涛屋の世話で買い取った。下男が一人、通いの飯炊き婆が一人。
侘しいが、港の喧騒が聞こえてきそうな家で気楽な毎日を送っていた。
菊池の地を離れたのは、南海王丸の事件が起こった二十年以上も前より以前だ。南宋貿易の仕切りをする為に、菊池の殿に召し抱えられたといえる。
南宋人が住まう唐房の端に居を構え、品物も売ったが、まず顔を売った。それ以来、菊池には帰らず、寄る年波を理由に隠居の後は、謝涛屋にほど近い裏道の外れに住んでいるのだ。今でも、遠く桜姫を見守り、菊池の当主である菊池武房の名声の庇護を受けている。たまに、武房の家来が、商売の相談にくる。
暇を持て余す穏やかな日々であったが、数年前から胃の腑に違和感を覚え、やがて痛みを自覚した。
博多に住む配下だった男に針を打ってもらうと、痛みは去り、外歩きも可能で気楽な毎日に変わりはなかった。
そんな三郎衛門に、俄かにやらなければならない事が
己の寿命が、尽きつつあるのは明白だ。
毎夜の痛みに眠れぬ夜をやり過ごし、好まぬ針を一本いただき、うつらうつらと昼を過ごし、食も進まず、体力を消耗して月日を数えることもままならない。急がねばならぬと思う身体を、
南針先生に、往診を頼みたいと使いを出したが、医院は閉じられ応える者もいないという。使いはそなまま帰って来て、用を成さない。如何したのだ。もう南針先生には会えないのか。
うつらうつらと思い出すのは、泣いても笑っても、ひたすら可愛い若さまだ。
「じい、じい」と、無心な笑顔が駆けて来る。
大手を広げて、受け止めれば右手に握った野の花を「見て、見て」と振り回す若さまだ。
「そんなに振り回しては、せっかくのお花が泣いてしまいますぞ」
「えっ」と目を見張り、握っていた手の平を開けば、花は萎れて「笑ってくれない」と、べそをかく。
夢に現に、現れるのは、幼い南海王丸ばかり。
嵐に翻弄される船上で、痛みに目を覚まし、後悔の嵐に弄ばれる。
菊池の殿に仕えたのは、三十も過ぎた頃だ。いささか悪さをして生まれ故郷を出奔した。三男だから、探してももらえなかった。
殿も若く遊び人で、蓄財の手段として日宋貿易を企んでおり、昔からの武辺の家来では仕事を任せられないと思っていたようだ。在日の南宋人の落とし
平安時代に大宰府の荘官として菊池に来た
「先の読めない愚か者」と陰口を囁かれても、何するものかと信念を貫いたといえるが、何時も負け戦にばかり参戦するので、小さな花はしぼんで行くばかりだ。隆泰の時代は鎌倉幕府に疎まれ、歴史に名を成さない。しかし、あちらこちらに撒いた種が、文武に長けた華を咲かせた。
何を隠そう、蒙古襲来
時を前後して大わらわで生まれたのは、南海王丸と武房であった。
早く、桜姫を尋ね、弟である南針先生のことを報せねばならない。あれやこれやと悩んでいる刻は残されていない。
と、思いつつ、うつらとする己が情けない。
宇土三郎衛門は、滲んでくる涙を目尻の皺で受け止め、洟をすすった。
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