第41話 勝次が旅立った
京都の冬は寒いからと鎌倉の出立を春に伸ばし、何やらかんやら事件が起きて、京都に辿り着いたのは初夏であった。落ち着く間もなく、屋敷の内外を手入れして、何とか体裁を整えると、早や真夏だ。
うううぅあ~~っい。
なんだこの暑さは、ジメジメとまとわりつく湿気に、目がくらむ。鎌倉だって、夏は暑い。しかし、陽が落ちれば、海からの風がその日の暑気を吹き払ってくれる。うっかり、腹を出して寝れば、夏風邪だ。
富谷の男衆、勝次はぐっしょり濡れて屋敷に戻った。
「あれぇ、勝次はん、夕立にでも会ったかえ」
京都の水を少し浴び、女ぶりを上げているハナが勝手口で声をかけた。京風を気取っているのも、可笑しくも可愛い。洛外から都ぶりの乏しい下男下女が雇われ、今やハナは奥女中だ。故郷に帰った富子と半大夫父子は、活き活きと活動し、勝次と末吉とハナは、おたおたと動いている。
暑さが収まるのを待ちわびたように、勝次は出かけた。時に迷子になりながら一人洛内を歩き回り、せめて使いの役目を果たしたいと思っている。「お富さまの牛車のお供は、おれだ」と思っていたが、その東国風の荒くれ風体は隠しようもなく、富子のお供は四郎大夫が勤めている。鎌倉では、京料理人として奥にこもっていたが、今や何処の青侍だという風情で都大路を闊歩している。
末吉とハナも大汗をかきながら、半大夫の指導のもと雇人を使いこなし奥を回すのに大わらわだ。
使いも、重要な仕事ほど四郎大夫が出かける。
勝次だけ、これといった仕事がない。庭の池を掃除していれば、「勝次さま、そのような仕事はわたしどもが」と取り上げられてしまう。
爺さんも下男仕事を取り上げられ、ぼやっとしていることもあるが、何といっても南海の教育係だ。富谷の下男としてではなく、武家か公家の子息として育て上げなければならない。箸の上げ下げにも目を光らせて、南海を泣かせている。
南海さえいれば、何処にいても賑やかな生活に変わりないが、もう少し大きくなったら、それなりの家に修行に出されてしまうかもしれない。
寒いぞと脅されていた京都の冬を迎える頃、お富さまが嫁に行くのだという噂が静々と流れた。が、勝次の耳に入ったのは、どうやら最後のようで、「ハナ、お富さまが行くというのは‥‥‥ 本当か」と問えば、ハナは首を曲げつつも目が笑い、口元が緩んでいる。
四郎大夫と勝次が、お富さまをめぐって、無駄なさや当てをしたことは、幼いハナも知っていた。
笑ったハナの目が、可哀そうと慈悲深く変わった。
下級公家の娘であった富子は、銭を土産に上級公家に嫁ごうとしているのは、事実のようだ。見目好い
なるほどと、納得してしまう勝次だ。
綿入れを着こんだ勝次は、冬枯れていく庭の池に見入る。叶わぬ恋とは、百も承知だが、時たま「頼りにしているえ」などと声を掛けられるだけで、落ち着いたものだ。
お富さまがいない屋敷で仕事もなく、おれはどうすれば良いのだ。右肩が下がり、背中が丸まり、すっかり爺さんの二代目だ。
北東の山々の稜線あたりが、紅色に霞んで見える。もう秋かと感慨深い勝次の衿元へ比叡おろしが忍び込む。
もう秋ではなく、もう冬なのだ。
骨の髄まで凍えるかと思える寒風に「おおぉ、寒い」と声が震えさせていると、早や年が明け、文永六年だ。
去年は、色々なことがあった。相州から西へ足を踏み入れたことのない勝次にとって、夢想だにしない目まぐるしい年だった。暇をもてあましていても月日は飛んでいく。また、ジメジメ蒸した夏だなぁと、寒くても暑くてもため息の出る勝次だ。
ハナが、気取って「お富さまが、お呼びです」
お富さまに、会うのも久しぶりな気がする。屋敷が広いので、裏手辺りが生活の場になっている勝次は、富子が御簾の中でゆらりと動くのを感じるだけだ。鎌倉の暮らしは良かった。皆で自然の中で自由に生きていた。そんな気がする黄昏勝次だ。
「勝次でございます」
外廊下に畏まり、御簾の内にいる富子へ声をかける。
「勝次か、元気にしておるか」
「はぁ」
「何じゃ、元気がないではないか」
「はぁ」
「そちに、仕事がないのは分かっている。そちが寒がりの暑がりなのもな」
「はぁ」
「どうじゃ、鎮西に行かぬか。ムクリ(蒙古)が攻めてくると大宰府は大騒ぎじゃそうだ。その目で見て来ぬか」
勝次は、「はぁ」も忘れて口を開けている。
(どうしてお富さまは、おれが博多へ行きたいと分かるのだ?)
京都を目指す船の中で、「爺さん、博多ってえのは、遠いので?」と尋ねる勝次の声を聞いた。留吉を失ったことが堪えているのだと、富子も苦い思いを貯めた。
京都の暑さを逃れるように勝次は鎮西に旅立った。
末吉とハナが、旅支度を手伝ってくれた。南海が荷物の中に、涎の付いた玩具を突っ込んでいる。笑いながら、洟をすすった。
仲が良いとはいえぬ四郎大夫が、干飯と薬草を持たせてくれた。
半大夫は、大宰府の下役に紹介の手紙を書いてくれ、路銀の入った袋を渡した。
草鞋の紐を念入りに絞め、腰を上げれば南海が背中に飛びつく。一緒に行くつもりなのか。
「よしっ」と童を背負った勝次は、だっとのごとく走り出す。
屋敷の周りを一回り、戻った板間の皆の後ろに富子の笑顔があった。素早く、南海を末吉に預け、荷物を引っ担いて飛び出した。
「本当に、お嫁に行くんですかい?」喉まで出かかった言葉を鼻に逃して、両目を寄せた。
船に乗れば早かろうが、勝次は、西国街道を歩き出した。
密命を帯びた間者の顔だ。何でも見てやろう。聞いてやろうと、足元が弾んだ。
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