第40話 留吉が元気になった

 老僧医は、裏庭にいた。軒下に吊るした物を見上げて、首を傾けている。

「玄西先生、お邪魔します」

「ふむ」と応え、医院を立て直してくれた南針に、信頼の眼差しを向ける。

「お願いがございます」

 その笑顔は、「そんなにへりくだらなくとも良い」と語っている。南針の左手を握ったまま背中に逃れ、無理な格好で目だけを覗かせる男子にも当に気付いているが、笑顔に変わりはない。

「この子に港で会いました。行くあてが無いとの事で‥‥‥ 留吉といいます」

 もごもごと、何だか自信なさげに告げる南針は、背中の左手を前に回し、留吉をひっぱり出した。

「さあ、ご挨拶しろ。玄西先生だ」

 留吉は、精一杯に顔を上げ「留吉です。よろしくお願いします」と囁くようにいって、深々と頭を下げた。

「おお、留吉か、玄西じゃ『和尚』と呼んでくれ」

 いいながら、留吉をひらひらと呼びよせる。

「これが何だか分かるか?」

 見上げたのは、軒下に吊るされた物だ。

「はい、これはドクダミです。お茶にするのですか、薬ですか」

 いい当てて、留吉の声が弾んだ。

「おぉ、思った通り、賢い子じゃ。どうじゃ、もう良いか?」

 干し草をじっと見つめた留吉は、「もう少し干したほうが良いと思います。こっちの端は、ひっくり返して、もう少し風を通さないといけません」

 干したドクダミの下を歩き出した留吉を、南針が父親のように見守り、鼻をうごめかす。

「南針先生、この子をわしの従者にしてくれ。体力を付けるためにも、野山を歩こうと思っている」

「どうじゃ、留吉。カゴを背負ってわしの供をしてくれぬか、二人で薬草採りだ」

 南針に視線を送った留吉は、満面の笑みで「はい」と大声を上げた。

 留吉について、どう話したら良いかと思案していた南針は、玄西和尚の大らかさに、胸が詰まる。

「おぉい、陽針。こっちゃ来い」

 覗いていたのか、和尚が陽針を手招きする。

「さあ、留吉。南針先生と共に、鍼灸の治療をしている陽針先生だ」

 ささっと、陽針に近づいた留吉は、叫ぶように挨拶した。

「留吉です。よろしくお願いします。陽針先生」

「おう、しっかり働けよ。玄西和尚を頼むぞ」

 一番かしらのような口をきき、陽針はそっくり返った。背丈が伸びて、偉そうに胸を張れば、とても十五歳には見えない。


 和尚に従う留吉の両足は右を向いたり左に飛んだり、嬉々として弾んでいる。

(おらは、きっと殺される)と思っていた囚われの身が、波丸だった南針先生と出会い、温かい食べ物と寝床を与えられた。

 まるで孫のように可愛がり、野道を三歩進む間にも、道端の野草を、鳴いている野鳥について教えてくれる玄西和尚だ。雲の具合で、今日明日の天気も予想してくれる。

 鎌倉の富谷でも、爺さんが、色々と教えてくれたが、それにも増して仕事があった。この頃は、朝飯を食べると直ぐに田んぼの中を歩く和尚さんの供をする。一日に五つも六つも教えてもらうのだ。どんよりしていた顔が自ずと輝き、足元が弾んで遠目にも楽しそうだ。


 人が集まる鍼灸所は、噂も集まる。「玄西和尚の後を歩く小僧は、南針先生が人買い商人から買い取ったやっこだ」と口の端にのぼった。己より劣っている者を見つけては、さげすみ、自己顕示欲を満たす。奴だった少年が、幸せに暮らしている。もしかしたら、自分より豊かに笑顔が輝いている。そんなことは許さない。昔から現代まで同じ差別の構造だ。

 鎌倉幕府は、人身売買を禁止した御教書を何度も出していた。

 そもそも、北条三代目の名執権北条泰時が定めた御成敗式目の第四十一条に、「奴婢ぬひ雑人ぞうにんのことについて」があり、新たな人身売買を禁止している。

 が、人身売買は後を絶たず、天変地異が起これば、食えない人々が己を売った。別に珍しい訳でもないやっこだが、あの南針先生に助けられ、清潔な身形で和尚に可愛がられ、穏やかな生活を送っている少年は、珍しくも羨ましい妬ましい存在だった。

「こんな物、食えるか」と、陽針は大声を上げ、留吉が、差し出した饅頭を払いのけた。

「お前は、やっこ」だろう。お前の手がふれた物など汚くて食えねえ」

「おらぁ、やっこじゃねえ。おらぁ、おらぁ‥‥‥」

「ふん、じゃあお前は誰なんだ? 南針先生とはどんな関係だ。生まれは何処だ? 南針先生とは何処で会ったんだ?」

「‥‥‥」

(この男は、何なのだ? 南針先生を探っている敵なのか?)

「留吉はーん、ちょいと手伝っておくれー」

 にらみ合う二人に、飯炊き婆さんの、間延びした声が届いた。

 留吉は、助けられたように裏戸に向かって走った。

「はーぁい」と叫びながら。


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